差別だ言葉を聞いていて、時々思うこと。
事実本当にそうかもと感じることが多いけれど、これは差別だ!と騒いでいる本人が過剰反応しているだけで、別段差別でも何でもないと思うこともボチボチある。
こんなとき、差別だと過剰反応する人こそが、差別的意識が強い人な気がしてる。
さて。
LGBTって言葉をよく聞くようになりましたね。
Googleで検索すると、こんな説明文が出てきます。
“L”=レズビアン(女性同性愛者)、“G”=ゲイ(男性同性愛者)、“B”=バイセクシュアル(両性愛者)、“T”=トランスジェンダー(生まれた時に割り当てられた性別にとらわれない性別のあり方を持つ人)など、性的少数者の総称です。
「性的少数者」…
男という性があり
女という性があり
性的対象者は異性
というのが圧倒的多数なのは分かる。
そこに当てはめることが出来ない少数者を、LGBTという総称でまとめてる。
本当にそれでいいの?と、時々思うことがある。
多分、トランスジェンダーという、心と体がちぐはぐになってしまった方々がいるから、ちょっと頭が混乱してしまうというか。
体は女、心は男。
では、性的対象になるのは男か、女か。
男を好きになるならトランスジェンダーでゲイということか。
では、性別適合手術を行っていないうちは、セックスはどうするのか。
ゲスな話かもしれないけれど、セックスが一番性を強く感じる行為に感じている。
それと、昔、ゲイなオネエ様に「女のオーマンなんて見たくないわよ!」と強い拒絶をされたことがある。
そんなわけで、同性愛者に異性の肉体はNGか…という、勝手な思い込みが発生した。
勝手な思い込み。
これこそが差別の根本にあるような、ないような(ぇ
急にこんな話をしだしたのは、こんな記事を見つけたから。
勝手に転載ごめんなさい↓
連載なので少し長いですが、こういう話っていいなぁと思います。
息子がゲイだと知って、その息子が生涯の伴侶として連れてきたのが、トランスジェンダーの男の子。
そして、二人の間に、養子でも代理出産でもなく、子を設けるという話。
まず、母親の言葉が好きです。
「1人の人間として信頼し合って恋が芽生えて、そういう形になったって、ただそれだけのことじゃないかと」
こういう考えが出来る人、好きです。
男とか女とか、ゲイだからこうだ、レズだからどうだ…そういうの全部どうでもいいっていうか。
そういう括りで、だからどうだと考えること自体が愚問だなぁって。
この人が好き。
だから全て受け入れる。
もう、それだけでいいじゃん。
シンプルで一番いいじゃん。
ちなみに、このカップルは肉体的には子づくり出来る状況のため、自身の子を産む決断をするわけですが、心が男性で回りは女性ばかりの中で妊娠出産は、相当な葛藤があったようです。
そりゃそうだ。
妊娠出産は、女性の特権だもの…なんて考えが、多分偏見の第一歩 (゚∀゚)
ただ、この考えは生物の基本に触れてしまうため、なかなか覆すことは出来ないだろうけど…
だけどね。
出世魚とか、気候条件で性別が変わる種とか、自然界には性が流動的な種だっているじゃんよ (゚∀゚)
人間だって、同じ生物なんだし、男が出産してもいいじゃない。
あくまでフィクションな映画の話だけど、シュワちゃん主演の「ジュニア」では、シュワちゃんが妊娠してるわけで(話が違う
生粋の男性でも、ゲイでも、自らの体内で子を育てるという経験をしてみたいと妄想する人もいるっぽいし(世間話程度
こうだから、こうあるべき
これだから、こうすべき
”べき”なんて言葉がもう、息苦しくてたまらんのです。
差別だなんだ、配慮がどうだと騒ぎ立てる人ほど、差別意識に向いていると感じている今日この頃。
騒ぐ人がいるから、騒がざるを得ないというか、凄く面倒だなぁって思う。
だからと言って、配慮の一環で全てのトイレを男女共用にしたら、よからぬ考えを起こす馬鹿は必ず出てくる。
女性専用車両という存在に異議を唱える人がいたり、女性専用車両に駆け込みでうっかり乗り込んでしまった男性を激しく非難する人がいたり、とにかく過剰に騒ぐ人がいるから、対処するほど差別意識が強く出るような。
明確な悪意からの差別は本当に嫌悪するところだけど、たまたま偶然そうなってしまっただけのことにまで、差別だなんだと必要以上に騒いだりするから、あらぬ方向に差別問題や偏見が飛んでしまう。
あー、相変わらずまとまりのない文章で嫌だわぁ(苦笑
別記事でそれぞれ書けばまとまる話も、あれやこれや絡めようとするから、余計まとまらないんだってーのー。
でも、固定概念があって、そこから差別や偏見に飛んで行ってややこしい話になっていくってのは、漠然とでも分かってもらえると嬉しい。
そして、そんな固定概念は捨ててしまえってことが言いたいのも、分かってほしい(無理
個人的な話。
表向き、ちょっと変な普通の女。
基本マゾヒストで受け専だけど、喘ぎや叫びに興奮すると逆転する似非サディスト。
可愛い女の子とあれこれ妄想することもあるけれど、痴漢やセクハラで女性が圧倒的に強いため、女の子には手を出さないけど、本当は色々したい人。
付き合ったのは男ばかりだけど、実際プレイに及んだことがないだけで、嗜好を突き詰めればバイセクシャルなんだと思う。
結論:男だろうが女だろうが、やりたいと思う相手に性別は関係ない(爆
犯罪級の危険思想に基づく考えは捨ててはいけないけれど、アダムとイブじゃないんだから、性的嗜好であーだこーだ考えるのは、いい加減古臭い。
この人はこういう人。
男とか女とか、どっちの性別に惹かれるとか、全部ひっくるめて「この人はこういう嗜好」。
ストレートだレズだゲイだトランスジェンダーだ、そんなのに当てはめる必要すら、もう感じない。
だって、一口にレズと言っても、色んなタイプがいると思うし。
変な固定概念が、他人の意見が、当人を苦しめて苦悩する人生なんて人生じゃない。
どっちだからなんだ、何がいけないんだ。他人の嗜好(思考)を押し付けんな。
こういうザックリな受け止め方じゃ、いかんのだろうか?
すごーくどうでもいい、ついでの話。
ツインレイ(魂の片割れ)は必ず男と女の組み合わせと聞くけれど、それは肉体的なものか、精神的なものか、どちらと考えるのでしょうか。
LGBTの場合、今世ではツインレイに巡り合えないと考えたほうがいいということでしょうか。
ネットが普及し、世界と繋がることが容易になった現代、巡り合う人が増えていると聞きますが、LGBTと自覚した段階で来世に持ち越し決定と考えたほうがいいのでしょうか。
本当にすごーくどうでもいい話だけど、ふと思ってしまった話。
まぁ、ツインレイなんて存在自体、世代を超えてどうこうなるような話っぽいので、考える必要無いんだろうけども。
ちょっとした疑問でした (゚∀゚)