悠久の不思議な歴史を巡る旅!【比叡山延暦寺】《 予告編 》 | 龍虎俊輔の独り言-無心是我師-

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[- 悠久の不思議な歴史を巡る旅 -]
≪ 比叡山延暦寺 ≫
〈 予告編 〉

第15回目となる
悠久の不思議な歴史を巡る旅は、
比叡山延暦寺の歴史探訪の旅と
なります。

本日は、
比叡山延暦寺の歴史を
ご紹介します。

御存知の方も
いるかもしれませんが、
改めて学ぶのも
良いかもしれませんよ!


比叡山延暦寺に関しましては、
以前にも取り上げましたが、
不思議な歴史探訪シリーズとして、
再度、
ご紹介することにしました。


〈 歴 史 〉
-比叡山延暦寺-

滋賀県大津市坂本本町、
比叡山山頂にある天台宗総本山。
本尊は・・・
薬師如来(東塔・根本本堂本尊)。
1994(平成6)年
古都京都の文化財の1つとして
世界文化遺産に登録されています

最澄(767~822)は、
785(延暦4)年、
比叡山に登って修行、
薬師堂(のち一乗止観院)を建立し、
薬師如来像を刻んで、安置。

805(延暦24)年、
入唐求法から帰朝した最澄は、
天台法華宗の確立、大乗戒壇設置を目指したが、
822(弘仁13)年、
入滅してしまった。

その直後に
大乗戒壇院設立の勅許があり、
さらに
翌823(弘仁14)年、
延暦寺の寺号を賜った。

その後、
弟子の円仁・円珍の時代に
密教化を進めて、平安貴族の支持を獲得した。
特に
966(康保3)年、
第18代天台座主となった良源(元三大師)は、
右大臣・藤原師輔の帰依を得て、
堂塔を整備、
東塔・西塔・横川の十六谷に
三千もの坊舎が林立した。

良源の没後、
天台宗は、
円仁派と円珍派の門流の対立が激化し、
円珍派は、
園城寺に下って寺門となり、
山上に留まった円仁派の山門との抗争が、
恒常化した。

こうした状況の中、
武装した僧兵が神輿を担いで朝廷への
強訴を繰り返しが、
一方では、
良源の弟子・源信などにより
浄土教が発展し、
法然の浄土宗、親鸞の浄土真宗
一遍の時宗、日蓮の日蓮宗
栄西の臨済宗、道元の曹洞宗
といった鎌倉新仏教を生み出した。


1571(元亀2)年、
越前朝倉氏に加担たとして
織田信長の攻撃を受けて全山焼失してしまいました。
その後、
豊臣秀吉や徳川家康・秀忠・家光の援助を受けて、
徐々に復興。
江戸時代には寺領五千石の大寺であった。


そして、
江戸時代の寛永年間(1624~1644)には
ほぼ現在の姿になったそうです。



歴史探訪の旅は、
明日以降となります。


乞うご期待!!


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 龍虎 俊輔 
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