先月の激務から解放されて

ちょっと、ゆっくりさせてもらっていました。



前に、旦那の会社でどう?

って声をかけてもらっていたけど

何せ仙台支店は出来立てほやほや。

まだ軌道に乗ってないのが現実で

今すぐの採用は無理だけど

行く行くは・・・って事で宙ぶらりん。



行く行くはの、行く行くって

いつ?



せっかちなのと

はっきりしないのが

苦手なもんで

この宙ぶらりん状態が

どうにも居心地悪くって。



また短期で凌いで行こうか

これはなかったものとして

落ち着いて働ける場所を探して行こうか

迷いながら

週一のタウンワークを見たり

ネットでハローワーク覗いたり。



でも、来月からの

ライブの予定が着々と決まって

カレンダーを埋めて行って。

嬉しい悲鳴なんだけど

仕事は、どうするんだ?

って感じで

ほんとに、中途半端。



だけど、ここへきて急展開



軌道に乗る前に

今いる派遣さんが

とっても使えないってことが発覚して。



でも諸事情で

チェンジも簡単に出来ない様子。

そこは、事情が事情で←

急遽、面接と言う名の

打ち合わせ。


ワタシは一度もお会いしてないし

履歴書すら提出してないのに

旦那の話だけで

ぜひ、うちに。

って言ってもらえた有り得ない展開。


YESか、NOかだけ

とりあえずお返事して

そこから、バタバタと。


思いもしなかった

まさか、旦那と同じ職場で

働くことになるなんて。


そんなの

絶対、避けたいことだった。

家だけでも、十分すぎるのに←



今だって

正直な話

避けられるもんなら避けたい

って思う気持ちもないわけではない



でも、

あの場所へ戻れること

またあの仕事が出来ること

その気持ちの方が

勝ってしまったんだな、きっと。



大好きだった仕事。

建築関係の営業事務。

平面図や立面図を見て

見積りしたり

積算したり

発注したり

現場の帳簿管理は勿論

現場にも出向いて。



大工さんと打ち合わせしたり

時には

スケール持って寸法測ったり

ドライバー片手に調整したり

特殊なトラックで配達まで

県内外をあちこち走りまわってた。



今でこそ、ちらほら出てきてるらしいけど

あの時は、女性のいる現場ではなかったので

とても珍しがられて

ほんと、大事に扱ってもらえた

って、いい思い出。

それも、若かったからこそでしょうけど。



そこに

戻れるのが

とにかく嬉しかったのかもしれない。



震災以降

自分に何が出来るのか

ほんと考えた。

考えたけど

答えは出なくて。



でも、頭のどこかで

東北の復興に関わる仕事が出来ないだろうか

って、ずっと考えていて。



少しでも携われたら

って、漠然とだけど思い続けていて。

だけど思ってるだけで

結局、何も進んでいませんでした。



それが、ここへきて

こんなお話を頂いて

夢のようだったよ。



ワタシが現場に出向いたり

直接、施主さんにお会いすることはないとはわかっていても

そこにある、笑顔を想像しただけで

ほっこりする。

自己満足以外の何物でもないけどね。



一日目は支店長と

二日目は本社からわざわざ来てくれた社長と

面談。



第一印象で、あれ?・・・

って、感じた人とは、絶対うまくやっていけない自信がある

こんなことに自信持っちゃいけないんだろうけど



でも、どちらにも

そんな印象はこれっぽっちも感じなかった。



境界線がなかった

上からじゃ、全然なかった。

でも、野望は凄かった。

何年も先の仙台を東北を

見据えて事業展開して行く決意が

物凄く感じられた。



男女平等だと言った。

「男だろうが女だろうが

やった人はちゃんと評価するから

父ちゃんの収入上回れるかもしれないよ」

って、笑ってた。



定年も70歳。

世間では、ワタシの年齢はもう

つまはじきで、相手にされないことの方が多い

って言ったら

「まだまだ、ケツが青い年代だよ

大丈夫、これから、これから」と。



泣きそうだった。



20年もブランクがあるのに

この仕事は特殊で、一から教える事の方

本当に難しいから

ここまで経験してたって事は貴重だよ

ご縁があって、巡り合えて良かったです

とまで言ってもらえて



子供が生まれてからというもの

ずっと、ぬるま湯に浸かって

気のみ気のまま

他力本願で

どんぶらこ、どんぶらこ

揺られてきたワタシの甘ちゃんな人生を

否定ではなく

そう捉えてくれる人が

今、自分の目の前にいてくれることに

とても大きな運命を感じ

拾う神がいてくれたことに感謝して

人生、捨てたもんじゃない

って、痛感しました。



会社の決まりも特にないし

服装だって、全然普段着で良くて

基本、いい意味で

「ほったらかし」

やることさえ、やっていたら

細かいことは何も言わない方針。



休みが必要な時は

いつでも遠慮なく言ってくれたらいいから

なんて、言われて



来月予定の

横浜での3泊4日での研修も

子供がいるんだから、それなりに考慮するとも

言ってもらって

至れり尽くせりで恐いくらい。

いいのかな?こんなにしてもらって。



旦那と、家でも会社でも

顔を合わせなきゃないことは

しんどい。そりゃ、しんどい。

まわりにも、気を遣わせてしまうだろうし。

早く軌道に乗って

思う存分、外回りをして

事務所に戻って来ないことを願う。←



遠い昔の経験と知識しかないけど

体が、頭が

少しでも覚えてくれてるなら

時間がかかっても

勘を取り戻せるなら

また、あの時のように

充実した仕事が出来る。



年のせいにしてしまうけど

物覚えの悪さと

物忘れの激しさ

を考えたら

目の前が真っ暗にもなる



せっかく頂いたチャンスなら

もう、この先ないかもしれないチャンスなら

とにかく、やるしかない。



やり遂げたい。

って、気持ちが芽生えてきた。

何十年ぶりの想いだろう。



自分の関わった物件が

完成した時のあのなんとも言えない気持ち

たまたま通りかかって

こぼれてきたやさしい灯りを見られた時の

ほっこり温かい気持ち

また、味わえるかな。

出来たら、嬉しいな。



ずっと、建築畑を歩いてきた

父の遺影に

いつもより長い時間

話しかけてる自分がいます。



世は、オリンピックに向けて

着々と動き出していて。



でもね、そこへ業者を取られてしまったら

復興が進まないって、気付いてる?



ここに引き止めるために

お金もかかってるらしいよ?

知ってるのかな。



仮設から一日も早く出られて

安心して住める場所を作ってあげる方が

先・・・では、ないのかな?違う・・・のかな・・・。

と、ぼやいてみる



必死で頑張ろ。

鉢巻を締め直して。

勿論、楽しむことも忘れずに。



おみくじ、当たってたかな。

当たってるといいな。

自分の勘、当たってたかな。

当たってるといいな。



迷ってる時点で、決まってる

自分の気持ちは、いつだって。

悩んだふりをしてるだけなんだ

きっと。



お友達にも助言してもらったり

励ましてもらったり

色々な確認?をしてもらったり

嬉しかったなぁ。



あれこれ考えもしたけど

でも、最後にこうしようと

決めたのは

答えを出したのは

誰でもなく、自分。



良くも悪くも

自分の責任で。




やっぱり

ワタシは



迷ったら、進め!だ。



この先も

きっと

ずっとね。

3月は

どうしても

胸がざわつきます。

そして、感傷的。



立ち止ってなんかいませんが

どうしても

元に戻されてしまうのです。

あの日に・・・。



3年なんですね・・・・・・・・・。



思い立たないと

なかなか重い腰を上げられないワタシ

きっかけは、

単なる探し物。

見付けるために

あちこち、引っ掻き回していたら

見覚えのなる一つの箱が。



中には、お手紙がどっさり。

3年前、お友達が送ってくれた

励ましのお手紙。

1通、1通手にとって

その時を思い出す。



気のせいかな。



悔し涙より

嬉し涙の方が

頬を伝う時

なんだか、温かい。

そんな、気がするよ。



毎日、毎日

多いときは1日2回

エレベーターも止まって動いてないから

息を切らして

郵便配達のおじさんが運んできてくれたんだ。

たくさんの物資と

やさしさも一緒に。



ワタシはこうやって

ワタシの家族はこうして

生かして貰えたんだって

改めて感謝です。

ありがとう。



今ではなかなか見かけることがなくなった

横断幕やのぼり。

偶然だったのかな。

先月、たまたま市●所で働いていたために

毎日目にしていた

「ともに前へ」の垂れ幕。

心が、引き締まった。



その隣にある勾当台公園

脇を通る度に思い出す。

音楽とは離れて生活していたあの時

飢えていたあの時。

生の音楽に触れ合えた場所。

SISTER JETの

野外でのアコースティックライブ。

温かかった。嬉しかった。楽しかった。



いわきにこそ、辿り着くことは出来なかったけど

飛行機で出会った神戸のおじさんも

突然行きたくなった石巻も

なんか、それを

たまたまだよ

って想うことが出来ない自分がいます。



出逢うべくして

行くべくして。





言いたいこと

伝えたいこと

いっぱいあるけれど

うまく、頭の中でまとめることが出来なくて

何度も

何十回も

書いては、消し

書いては、消しの

繰り返し。



くだらないことなら

すらすら浮かんで出てくるのに

このことは

言葉になかなか出来なくて。



忘れてなんかいない!

って言いたいけれど

それでも

忘れてる時間は、やっぱりあって



3月になって

全国的にメディアで

まるで、思い出したかのように

取り上げられるようになり

この時期だけでいいんだね、もう・・・

なんて言う、捻くれた考えの自分も含めて

所詮、他人事ですか?

なんて、問いかけたり

喝を入れたり。




それでも

例え、大きく取り上げられなくても

やってくれてる人はいる

続けてくれてる人達はいる



自分達の

利益ばかりを求めてる人だけじゃない。



誰かのように

被災地を食い物にしたりしないから。



またこの1年で

自分が何が出来たのか

思い出してみても

言えることなんて、ほとんどありません。

何もできずに

また1年、時間だけが過ぎました。



微々たる金額の募金を

毎月続けることと

復興支援商品を購入すること。

なるべく手作業で

生活する為に新たにチャレンジしてる商品を

見付けて、目を向けて。

それを、使ってもらうこと。

それのみ。



無力は無力のまま。



まだ足を運べない場所もたくさんあります。

それは、目にするのが恐い

って、思いももちろんありますが

まだ、行方不明の方がたくさんいること。

自分の足で

もしかしたら、踏みつけてしまうんじゃないか

って、考えてしまうと

どうしても、どうしても・・・。



こんな心の部分は

自分でもうまくコントロールが出来ません。



色んな、色んな、色んな想いが

ぐるぐる、ぐるぐる渦を巻いて

頭も胸も締め付けます。



震災の時に

高校に入学した息子達

この春、自分の新しい場所へ旅立ちます。



息子の友達や同級生に

自衛官や警察官になる為に

巣立つ子がほんとに多くて。

胸が熱くなる。



震災を経験して

肌で感じて

見たくなくても目にする毎日で

聞きたくなくても耳にする毎日の中で

敢えて、そこに自分の場所を探しに

立ち向かう子達を

心から誇りに思います。



陸から

海から

空から



送り出すご両親のことを想えば

そこは、正直複雑でもある。

娘を送り出す友達とは

一緒に泣いています。



良かったね

なんて、簡単に言えない

大丈夫だよ

なんて、無責任に言えない



だから、黙って

一緒に泣くだけ。

とにかく無事を祈りつつ。



あの中を生きてきたあの子達だから

社会に出た時に

強くいれると思うのです。

そして、

やさしくいれると思うのです。



他力本願だけど

頼んだよ

って、思ってしまうのです。



これで、復興は完結。

って、日はいつ来るんでしょう。

どこをもって、終わりなのかもわかりません。



まだ、何も始まってなかったり

止まったままの人だっていたり



そりゃ、自分に関係のないことは

所詮、他人事。



だけど

せめて

この日だけでも

心に寄り添ってあげて欲しい。



ぽっと

心に火を灯して

想ってあげて欲しい。



ワタシも、灯します。

灯すことも続けます。



忘れないでいる

って、ことも

心の支援。



14時46分

黙祷・・・。


また、高速バスの事故。



今回は、特に

余りにも身近すぎて。

ゾッとした。



高速バスを利用する時

ワタシはいつも一番前の席を予約していた。

バス●ャックにあったら

真っ先に危ない目に合うよ

って、言われながらも。



今は、腰が悪いので

高速バスは、あまり使ってません。



一度、降り立ったときに

膝から崩れ落ちてからは。



でも、行き先によっては

使わなきゃいけない時も出て来る訳で。



この間の、いわきもそうだし

ここから日本海側に行く時もそう。

手段を選べなかったりする。



そして、ワタシは

あの会社のバスを

先月まで毎日利用していました。

息子もこれから4年間、使います。



選べるなら、楽。

でも路線によっては

そこの会社しか乗り入れてなかったりするでしょ。

不安じゃないなんて

誰が言い切れますか。



現に

前日に路線バスを運転し

次の日に、あの高速での事故なんですから



何もなかったから

笑い話にして笑い飛ばしたけど

前にも書いたように

あの大雪の日

猛スピードで駆け抜けたあの恐怖は

今でも忘れません。



人が降りたのを確認して

ドアを閉めてから走り出すんじゃなくて

走ってる途中で閉めた。

それも一度だけじゃない。



雪で遅れてたよ、確かに。

でも、仕方のないことで

危険を課してまで

急いで!

なんて、誰が思いますか?



すごいスピードで

信号、右折したよね。

デコボコで、ガタガタな道を。



次の日は次の日で

前の車のせいかもしれないけど

クラクションを鳴らして急ブレーキ。

後ろの方で立っていた女性が

その反動で前まで滑って来たのも見た。

これも、2回。



運転手さんは、マイクを付けていて

曲がるときや

停まるとき

丁寧に一言添えてくれる人もいる

でも、そんな時に限って

何も言わない。



人の命を預かってしまうお仕事。



人の命は

そんな

軽いもんじゃないよ。



ワタシは

自分自身も

交通事故で突然、父を亡くしているので

少しは気持ちがわかる。



ありがとう

も、言えなかったし

なんで一人で、勝手に逝ってんの!

なんて、文句も言えなかった。



心の準備が出来る期間があった方が

言いたいこと、してやりたいことが出来ていいのか

ないほうが悲しむ時間が少なくていいのか

わからないけど・・・。



亡くなった場所での

土下座が

ワタシには

パフォー●ンスにしか見えなかった。



そして、ワタシが一番腹が立ったのは

社長のコメント

「誠意をもって対応するかどうか・・・」

って、話を続けたけど

もう、そこしか、耳に残らない。



ふざけるな。

って、感じ。



対応するかどうか?

対応しなきゃないに決まってるでしょ?

呆れる。

憤りを感じるって言った息子さんの気持ちが

よくわかる。



もしかしたら、パ二くってたのかもしれないけど

言い間違ってはいけないとこ。



病気だって

いなくなるのは納得いかないし辛い。

でも、それが事故や事件で人的なことで

奪われた命なら、やりきれない。



お金じゃ買えないんだよ

変わりはいないんだよ?



もうすぐ震災から3年。

もう一度、考えようよ。

命の大切さ。



それは、自分だけじゃなく

人の命もだよ。