ニューオリンズ・ピアノを聴く(前篇) | Apple Music音楽生活

Apple Music音楽生活

レンタルCDとiPodを中心とした音楽生活を綴ってきたブログですが、Apple MusicとiPhoneの音楽生活に変わったのを機に、「レンタルCD音楽生活」からブログタイトルも変更しました。

ニューオリンズの音楽と言えば、マーチング・バンドの伝統に連なる賑やかな管楽器演奏のイメージが強いですが、人によってはミーターズのセカンドライン・ファンクやニューオーリンズのR&Bシーンを長年支えてきたアラン・トゥーサンのプロデュース作品を思い浮かべる人もいるかもしれません。
私の場合は、シンコペーションの効いたファンキーなピアノですね。ドクター・ジョンのピアノの印象が強いんです。
旋律を奏でるというよりも、リズム楽器あるいは打楽器のようにパーカッシヴで跳ねるような演奏が魅力的です。



まずはイギリス人ながら、17歳で渡米しニューオリンズを拠点に活動を続けるジョン・クリアリーがニューオリンズ・ピアノの歴史を実演を交えてレクチャーしている動画をご覧ください。



英語のヒアリングはできませんが「ブルース」「ハバネラ」「ニューオリンズ・ジャズ」「ブギ・ウギ」「ニューオリンズ・ファンク」「ゴスペル」などの音楽ジャンル名と「ジェリー・ロール・モートン」「プロフェッサー・ロングヘア」「ジェイムズ・ブッカー」「ヒューイ・スミス」などの人名は聞き取れました。
それぞれについて特徴的な弾き方を実演しているようですね。
ルイジアナ州には古くからガンボ・シチューというフランス料理のブイヤベースを基礎に様々な食文化が混ざり合った伝統料理がありますが、ニューオリンズ・ピアノも同じなんですね。

ニューオリンズのあるルイジアナ州は元々、フランス領(一時はスペイン領)だった土地柄でラテン的(享楽的)な文化が黒人の文化とも混ざり合って独特のクリオールと呼ばれる文化が醸成されてきました。
しかも、ニューオリンズはミシシッピー川の河口にほど近い街なので、カリブ海と繋がっておりキューバ、トリニダード・トバゴなどの国からラテン音楽が入ってきていました。
ということもありますが、そもそも、ニューオリンズ音楽というものの成り立ちは、ラテン・ヨーロッパの音楽文化にアフロ・アフリカの音楽文化が融合したという点で、スペイン・ポルトガルの植民地だった中米・南米のラテン音楽と同じ成り立ちなわけです。


ニューオリンズ・ピアノの歴史を遡れば、19世紀にクラッシック音楽のピアニスト、ルイス・モロー・ゴットシャルクがカリブ海経由のアフリカ系音楽やスペイン系の民族音楽を取り込んだピアノ曲を作っています。
Apple Music でゴットシャルクの曲も聴くことができます。もちろん、本人の演奏ではないので何とも言えませんが、この時点ではまだ、ニューオリンズらしさが強く感じられるピアノではないです
ね。

後のニューオリンズのピアニストたちの奏法に影響を与えたのはバディ・ボールデンやキング・オリバーと同じく、ニューオリンズから現れた最初期のジャズメンの一人として知られているジェリー・ロール・モートンあたりからでしょうか。


モートンは1890年の生まれで、14歳の頃からニューオリンズの歓楽街ストーリーヴィルの娼館で順番待ちの客相手にティン・パン・アレーの流行曲などを演奏してチップを稼いでいたと言われています。
この曲はいつ作られた曲かは判りませんが、当時のストーリーヴィルの雰囲気はこんな感じだったのかなと想像させるものがあります。
引き続き、ジョン・クリアリーの演奏でモートンの"The Crave"をお聴きください。



ジョンの演奏前のフリに「キューバ、スパニッシュ」という言葉が出てきますが、確かに導入部の演奏はラテンのピアノです。実際に娼館の客の中にはキューバからの航海を終えて陸に戻ってきた水夫も多かったようです。
アコースティック・ピアノじゃないのが惜しい気はしますが、電子キーボードでピアノの音色を出して弾いているのは、ファンクを演るときにクラビネットの音色に切り替えて使用するからでしょう。
ジョン・クリアリーは1964年の生まれですが、ニューオリンズ・ピアノについてよく勉強してますねえ。


ニューオリンズ・ピアノの偉大な先人のひとりで、最も大きな影響を後進に与えたのはフェスの愛称で知られる プロフェッサー・ロングヘアでしょうか。
1918年の生まれで1930年代からピアニストとして活動を始め、1949年にレコード・デビュー。
ラグタイム、ブルース、ジャズにルンバ、マンボ、カリプソのラテンのリズムを織り交ぜた独特のピアノ・スタイルを築いてきた人です。


彼の代表曲のひとつ"Tipitina" をニューオリンズ・ファンク(セカンドライン ・ファンク)のミーターズをバックにピアノを弾いて歌っているYouTube の映像をご覧ください。



これは70年代前半頃のの演奏風景でしょうか。
フェスはこの当時は50歳代だと思いますが、かなり下の世代のミーターズの面々に負けないエネルギーを発散しています。
というよりも、ミーターズは本来のファンキーさを抑えてニューオリンズの大先輩のフェスを引き立てたバッキングに徹しているというところでしょうか。
キーボードのアート・ネヴィルなどは、ほとんど音を出していませんね(笑)
アート・ネヴィルは1977年にミーターズを解散した後、弟のアーロン・ネヴィルらと供にネヴィル・ブラザーズとして活躍することになります。

プロフェッサー・ロングヘアの全盛期は主として1950年代で、この時代の音源もApple Musicにありますが、やはり音質がイマイチですね。
最初に聴くなら、半ば引退状態だった60年代の後、復活したフェスの70年代の作品が高音質でいいですね。
こちらは"Tipitina" やいまではニューオーリンズのマルディグラ (カーニバル)のテーマ曲となった1949年の"Mardi Gras In New Orleans"も再録されています。


1974年の録音
Rock N Roll Gumbo/Professor Longhair

¥価格不明
Amazon.co.jp
Apple Music はこちら


全盛期の方が声の張りやピアノのタッチの強さはあるのかも知れませんが、あまり衰えは感じられません。
このアルバムに参加しているゲイトマウス・ブラウンという人のギターも何だか凄いですね。


フェスをもう1曲
1964年のヒット曲"Big Chief"
マルティグラで盛り上がるニューオリンズの映像が流れます。



この60年代に唯一のヒットした"Big Chief"やR&Bチャートにも入ったヒット曲"Bald Head "も再録されている、フェス最後のアルバムとなった1980年の作品。

Crawfish Fiesta/Professor Longhair

¥価格不明
Amazon.co.jp
Apple Music はこちら


このアルバムが発売された1980年1月30日に本人が心臓発作で亡くなったという、いわく付きのアルバムですが、遺作とは思えないくらい活力に溢れた充実した作品ですね。


お次は、そのピアノの演奏スタイルが、当時、大変な影響力を持ち、ロックの形成にも大きな役割を果たしたと言われるヒューイ・スミス
ヒューイ"ピアノ"スミス&ザ・クラウンズ、1957年のR&Bチャート5位のヒット曲"Rockin' Pneumonia and the Boogie Woogie Flu"をお聴きください。
間奏でたっぷりと彼のピアノ演奏を聴くことができます。



一聴したところ底抜けに明るいニューオリンズR&Bです。
Apple Music で彼等のヒット曲を集めたベスト盤を聴いてみましたが、この曲のようにピアノの音が目立つ曲ばかりという訳ではなく、ピアノを核にホーンなどの楽器と一体となってセカンドライン・ビートを作っているという感じですね。
ヒューイ・スミスという人はリード・ヴォーカルとして歌っているわけでもありません。このバンドのコンポーザーでありサウンド・プロデューサーだったんでしょうね。

ところで、ニューオリンズ出身のR&Bシンガー、ピアニストで50年代に数々のヒット曲を放ち、国民的スターになったファッツ・ドミノという人がいます。
ロックンロールの始祖の一人とも言われていますね。
不思議なことに、最初のジョン・クリアリーの動画の中でも彼の名前は出てこなかったですし、ドクター・ジョンのインタビューにもファッツの名前は出てきません。
シンガーやコンポーザーとしてはともかく、ミュージシャンからみてピアニストとしての技量はリスペクトの域にはないのか、はたまた、あまりに商業的に成功しすぎたせいか…
まあ、ミュージシャンから支持されるミュージシャンと大衆受けするスターというのは違う訳なんですが。



前篇の最後はニューオリンズきっての超絶技巧の天才ピアニストと言われた、アイ・パッチがトレードマークのジェイムズ・ブッカー。一度聴いたら、すぐに同じものが弾け、右手と左手で同時に違う曲が弾けたという逸話も残っています。
1983年には亡くなっているので、既に伝説の人となっている感がありますが、1939年生まれでドクター・ジョンやアラン・トゥーサンと同世代なんですね。
ブッカーの最後のアルバムのタイトル・チューンとなった"Classified"をお聴きください。



ブッカーはアルコール中毒と麻薬中毒に加え、精神病を患い、最後はコカインの過剰摂取で亡くなってしまいます。
彼の佇まいからは、自分の世界に没入している様子が感じられますね。
幼い頃から教育を受けたというクラシック音楽の技術でブルースを弾いた人です。
プロフェッサー・ロングヘアの開放的なエンターテナー性とは逆に自分の音楽を追求するアーティスト性の強いニューオリンズらしからぬピアニストですが、ジョン・クリアリーもブッカーの名前を挙げていたように今でも多くのミュージシャンからニューオーリンズで最高のピアニストの一人として尊敬を集めています。


彼のライブについてですが、死後、様々なライブ音源が発表されています。
ニューオリンズ・ブルース通の方は1977~82年のニューオリンズのメイプル・リーフ・バーで収録された音源からセレクトした『Resurrection Of The Bayou Maharajah 』と『Spider on the Keys』を推しているようですが、1977年にハンブルグでライヴ録音された『King of the New Orleans Keyboard』というアルバムがジェイムズ・ブッカー初心者の私としては聴きやすい感じがしましたね。

King of the New Orleans Keyboard/James Booker

¥価格不明
Amazon.co.jp
Apple Music はこちら


スタジオ・アルバムでは1982年に録音された、ラストアルバム『Classified』も悪くはないのですが、レコーディング直前に倒れて入院したと言われているだけあって心なしか演奏が不安定な感じがします。
同じスタジオ・アルバムでは、1976年の『Junco Partner』がブッカーの技量の凄さがよく伝わってくる作品だと思いますね。

Junco Partner/James Booker

¥価格不明
Amazon.co.jp
Apple Music はこちら

アルバム・タイトルになっている”Junco Partner”はジャンキーの歌。
正にジェイムズ・ブッカーには相応しい1曲。



さて、今回はここまで。
後篇はドクター・ジョンのインタビューから始めます。




参考文献
NHKブックス(1071) ロックを生んだアメリカ南部 ルーツミュージックの文化的背景/村田 薫

¥価格不明
Amazon.co.jp

参考文献
ブルースCDガイド・ブック2.0 (SPACE SHOWER BOOKs)/小出斉

¥価格不明
Amazon.co.jp