アメリカン・ルーツ・ミュージックとしてのティン・パン・アレー | Apple Music音楽生活

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レンタルCDとiPodを中心とした音楽生活を綴ってきたブログですが、Apple MusicとiPhoneの音楽生活に変わったのを機に、「レンタルCD音楽生活」からブログタイトルも変更しました。


ブルースやカントリーをなどを基調としたアメリカン・ルーツ・ロック(アメリカーナ)が好きです。
南部の農園作業や鉄道敷設の仕事を求めて渡り歩く黒人労働者の呟きから生まれたブルース。
アパラチア山脈の麓に農民として入植してきたアイリッシュ系移民のマウンテン・ミュージックをルーツとするカントリー。
これらのアメリカの田舎の貧しい境遇の人々の間から生まれ、ロックの源流となったルーツ・ミュージックとは別にポップスの源流ともいうべき音楽があったということはヴァン・ダイク・パークス、ランディ・ニューマンらのアルバムを聴き、「ティン・パン・アレー」「ジョージ・ガーシュウィン」というキーワードとともにおぼろげながら認識はしていました。

年末年始に図書館で借りた《「アメリカ音楽」の誕生》という本を読んで、この辺りの事情が多少は自分の中で明確になってきたので、私なりにブログにまとめてみようと思います。


アメリカ大陸への初期の移住者により持ち込まれたヨーロッパのクラッシック音楽はエリート層の白人の間でのみ「芸術」として鑑賞されていた音楽でしたが、徐々に一般庶民の間にも広まっていくことになります。
19世紀末から20世紀初頭に掛けてラグタイムと呼ばれる音楽が流行します。
シンコペーションを強調したアフリカ風の軽快なリズムを基調としながら、ヨーロッパ風の形式感を持つラグタイムは都会で暮らす庶民の間にも日常生活の憂さを晴らす娯楽音楽として親しまれ、アメリカ初のポピュラー・ミュージックとなります。


まずは「ラグタイム王」と呼ばれた黒人作曲家、ピアニストのスコット・ジョプリンの曲を聴いてみましょうか。
1973年にポール・ニューマン、ロバート・レッドフォード主演の映画『スティング』のテーマ曲にも使われた"The Entertainer"



アメリカの音楽の歴史は様々なジャンルの音楽の融合(フュージョン)の歴史と言えますが、ラグタイムはまさにに黒人がアフリカから持ち込んだリズム感覚と白人の西洋音楽のフュージョンですね。

Ragtime Collection/Scott Joplin
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さて、1890年代後半にブロードウェイで上演されるミュージカルの音楽に関係する会社が集まっていたのがニューヨーク市マンハッタンのティン・パン・アレーと呼ばれた一角。
この時代、まだレコードは一般には普及しておらず、当時の音楽に関する主たる商品は楽譜でした。
楽譜屋の店先では楽譜を売るために楽曲の試演を行っており、この楽譜宣伝ピアニストの1人だったのがジョージ・ガーシュウィン
ユダヤ系ロシアの移民の子として、ニューヨークのブルックリンに生まれたガーシュウィンは正式なクラッシックの音楽教育を受けていませんが、貧しい生活の中、父親が買ってきたピアノに親しみ、才能を発揮します。
ティン・パン・アレーで楽譜宣伝ピアニストとしてラグタイム・ピアノの腕を磨きながら作曲活動を行い"Swanee"という曲を1919年に人気歌手アル・ジョルソンが歌いヒットします。
以降、レビューやミュージカル向けにおびただしい数の曲を送り出します。

Gershwin Plays Gershwin:Piano Roll/George Gershwin
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1924年、ジャズ楽団の指揮者、ポール・ホワイトマンから委嘱されて作曲したのが交響曲"Rhapsody in Blue"
17分間に及ぶ作品ですが、最も有名な旋律のパートを抜粋したものをYouTubeで
見つけたので、こちらをお聴きください。おそらく誰しも聴いたことはあると思います。



このパートだけ聴くとクラッシックの色彩が強いですが、全体を通して聴くとジャズ的なホーンやピアノも聴くことができ、なるほどと思わせます。
アメリカのポピュラー音楽語法とヨーロッパ風の高度に洗練された技法とを見事に融合させた作品ですね。

Rhapsody in Blue/George Gershwin
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ポール・ホワイトマンはクラッシックの交響楽団でヴィオリンを弾いていた人ですが、自ら編成した楽団のバンドマスターとなり、ニューオリンズで誕生して1920年代初頭に活動の拠点をシカゴなどの都市に移したジャズという新しい音楽に目をつけます。

ニューオリンズ・ジャズは南軍の軍楽隊から放出された管楽器を安く手に入れた楽譜も読めない黒人やクリオール(黒人と白人の混血)たちがラグタイムやイタリア・オペラの楽曲を勝手に演奏し始めたことが起源とされています。
ジャズは楽譜が読めなかったことを逆手にとって記譜の範囲をはるかに超えた即興演奏を主体として発展を遂げた演奏家主体の音楽なので、今回のブログのテーマになっている楽譜を主体とした音楽とは性質の異なるものですが、ラグタイムやブルースの影響を受けて形成されていった、この新しい音楽はティン・パン・アレーの作曲家による楽譜を演奏する際のアレンジに大きな影響を与えていくことになります。


この当時、ニューオリンズからやって来たジャズ演奏家の中にいたのが若き日のルイ・アームストロングであり、ポール・ホワイトマン楽団の専属歌手だったのがビング・クロスビーです。
こちらは1956年に公開された『上流階級』というビング・クロスビーが出演した映画のワンシーンですが、1940年公開の映画『フィラデルフィア物語』のミュージカル版で、その前はブロードウェイの舞台で上演されていたといいますから時代設定は1930年代頃でしょうか。
ビング・クロスビーがルイ・アームストロングらのジャズ・バンドをバックに歌う"Now you has Jazz"
当時のジャズというものが、どのようなものだったか観てみましょう。




クラリネットとトロンボーンの活躍ぶりが特徴的ですね。1940年代のビバップ〜モダン・ジャズ以降、中心的なリード楽器となるサクソフォーンは当時は新式の楽器だったせいか、ここでは使われていません。
全体のアンサンブル重視というよりも各楽器奏者のソロ演奏を重視しているところは、後のモダン・ジャズと同じですが、ルイ・アームストロングを始めとしたジャズ・ミュージシャン達は「アーティスト」と言うより「エンターテイナー」の匂いがします。
私の世代でジャズと言えばモダン・ジャズの「小難しい」イメージが強いですが、この頃のジャズって楽しいですね。

ポール・ホワイトマンはジャズを白人向けにわかりやすく整理し、オーケストラによるダンス音楽として広めることに成功。彼のオーケストラによる音楽が後のビッグ・バンド・ジャズの原型となり、1930年代のスウィング・ジャズへと発展していくことになります。



ガーシュウィンと同様にティン・パン・アレーの楽譜宣伝ピアニストとして活動していた作曲家ジェローム・カーンは1927年に音楽劇『ショー・ボート』を書きます。
この作品を起点として、ブロードウェー・ミュージカル (アメリカ産の音楽劇)というジャンルが確立し、数々生まれたヒット作のほとんどは、ハリウッドで映画化されて世界中に輸出されていくことになります。
1931年にソロ歌手として独立したビング・クロスビーはこの波に乗って映画俳優としても数々のハリウッド・ミュージカルに進出し、生涯で84本の映画に出演することになります。
こちらの動画は彼の出演した映画の数々で彼の人生を振り返るような"That's What Life Is All About"
この曲自体は1975年の録音ですが、曲調、ストリング・アレンジとも往年の雰囲気をそのままに伝えています。



ティン・パン・アレー出身の作曲家。
クラシカルなストリングスにジャージーなホーンを加えた楽団のバンドマスターと編曲家。
フロントマンとしての魅力的な歌い手。
ポピュラー音楽に必要な役者がすべて揃ったという感じですね。
ビング・クロスビーの登場に至ってアメリカン・ポピュラー・ミュージックのフォーマットは完成したとみてよいと思いますね。

At His Best/Bing Crosby
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外的条件としても1930年までには黒人層も含めてレコード再生装置(蓄音機)がアメリカの殆んどの世帯に行き渡ります。
また、商業用ラジオ放送も1920年にペンシルベニア州ピッツバーグのKDKA局で開始され、ビング・クロスビー自身もラジオ普及が進んだ時代を背景に、CBSラジオで自らのラジオショー「ビング・クロスビー・ショー」を持つことで国民的スターの座を獲得します。
クロスビーに憧れて歌手になったフランク・シナトラも同様の道をたどって大スターとなりました。



50年代後半にはカントリー・ミュージックの世界ではナッシュビル・サウンドと呼ばれるジャンルが一時代を築きます。
レコード会社の音楽プロデューサーによりポピュラーなサウンドとして構成されたこのジャンルの曲の中には明らかにティン・パン・アレー〜ミュージカルの香りを持つ曲が見受けられます。
つまり、アイリッシュ系移民を起源とする音楽とも融合したということですね。



さて、私の音楽リスナーとしての主戦場、1960年代末から1970年代前半にかけてのロック・ミュージックのフィールドでこの種のルーツ・ミュージックがどのような形で取り上げられ、再評価されてきたか聴いてみましょう。


映画『真夜中のカーボーイ』の主題歌"うわさの男"や"Without You"のヒットで知られるシンガーソングライターのニルソン
1973年にこんなアルバムを出していました。
正にティン・パン・アレーから現れた作曲家の系譜に連なる1920年代から40年代の極上のスタンダード・ナンバー集。

Little Touch of Schmilsson in the Night/Harry Nilsson

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ヒット・アルバムの『Nilsson Schmilsson (1971)』 『Son of Schmilsson (1972)』に続いて発表されたシュミルソン3部作の最後の作品です。
私もこのジャケ写真は記憶にありますが、当時は聴いていませんでした。
前2作を聴いてこのアルバムを聴いた人は随分と面喰らったでしょうねえ。

ガーシュウィンと同じくティン・パン・アレーの楽譜宣伝ピアニストからキャリアをスタートした作曲家アーヴィング・バーリン"Always"をお聴きください。



古きよき時代の雰囲気をかなり忠実に再現していると思いますね。
ザ・バンドやグラム・パーソンズらが
ロックにカントリー、フォーク、R&Bといったルーツ・ミュージックの要素を色濃く反映させた音楽性を打ち出していたこの時期に「ブルース、R&Bやカントリーだけがアメリカのルーツ・ミュージックではないよ」というニルソンのメッセージだったのでしょうか。


こちらはワーナー・ブラザース・レコードでプロデューサーをしていたヴァン・ダイク・パークスが1968年に発表したデビュー・アルバム。

Song Cycle/Van Dyke Parks

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このアルバムを聴くとビーチ・ボーイズの ブライアン・ウィルソンが『Smile』のレコーディングにパークスを起用しようとした理由が判りますね。
"Palm Desert"をどうぞ



音楽をセラピーとして捉えてみたとき、ブルースを「辛い現実を吐きだす」タイプのセラピーとすると、ラグタイム〜ティン・パン・アレー〜ミュージカルの系譜上にある音楽は「つまらない日常からの離脱」によるストレスの解消だと考えられます。
日常生活からの離脱ということをラジカルに突き詰めるとこういう音になるのかという気がしますね。
ハリウッド・ミュージカルのフォーマットにこの時代のサイケデリック・ロックの手法を持ち込んでカレードスコープのような音の世界を構成したというところでしょうか。
ただし、その時代の大衆の求める娯楽音楽を提供するという、この種の音楽の大事な要件は欠いていたようでアルバムの売れ行きは芳しくありませんでした。
その高い音楽性からプロのアーティスト達には大いに影響を与えましたが…


70年代のアーティストで言うと、リチャードとカレンいう優秀なアレンジャーと類稀なるヴォーカリストを擁して、良質な音楽を提供し、世界的なアルバム・セールスを記録していたカーペンターズこそがこの系譜の音楽を継承していたように思います。



さて、最後は
このアメリカン・ポピュラー・ミュージックの流れの正統を現代に継承しているのは、この人ランディ・ニューマンでしょうか。

彼の叔父のアルフレッド・ニューマンは、「慕情」「王様と私」などの名作映画で音楽を担当し、合計9個のアカデミー賞を受賞している映画音楽界の巨匠という音楽環境という中で育ちましたが、子供時代、一時期ニューオーリンズに住んでいたことがあり、南部の音楽文化の影響を感じさせる曲もあります。
ティン・パン・アレーから系譜を継ぐ曲が最も多く収録されているのは、彼が作曲家としての活動後に初めて発表した1968年のこのデビュー・アルバムですね。

Randy Newman/Randy Newman

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このアルバムの中の1曲"Vine Street"は先ほどのヴァン・ダイク・パークスの『Song Cycle 』にも提供されていますし、ニルソンに至っては、次にかける"Love Story (You And Me)"を含む
全曲ニューマンの曲を歌った『Nilsson Sings Newman 』というアルバムを1970年に発表しています。
2人ともランディ・ニューマンの作る曲には一目も二目も置いていたことが分かりますね。



ランディ・ニューマンはこのアルバム以降も70年代に数多くのソロ作品を発表しますが、80年代以降、現在に至るまで映画音楽の世界に活動の舞台を移します。
この点、ティン・パン・アレー出身の作曲家たちと同じ道を辿ったということになりますね。
彼の作ったサウンドトラックからの一番のヒットナンバーはこの"You've Got A Friend In Me"でしょうか。



ディズニー・ピクサー映画『トイ・ストーリー(1995)』『モンスターズ・インク(2002)』などのサウンドトラックで彼のノスタルジックなメロディーは欠かせないものとなっています。


ロックをずっと聴き続けてきた私にとってルーツ・ミュージックといえばブルースやカントリーなのですが、私くらいの世代の人間が聴いてもこのような音楽に何となくノスタルジーを感じるのは、子どもの頃にテレビで観ていたディズニー・アニメで流れていた音楽の記憶のせいでしょうか。
そう考えるとこの種の音楽が私の最初の洋楽体験ということになるのかもしれません。


ラグタイムやティン・パン・アレーはアメリカン・ルーツ・ミュージックのもうひとつの源泉というよりも、ここから派生していった流れがアメリカの大衆音楽のメインストリームなんでしょうね。
いや、現代の世界中のポピュラー・ミュージックの源泉ですか。。。




【参考文献】
「アメリカ音楽」の誕生―社会・文化の変容の中で/奥田 恵二

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