12日目:田中さん,相談室やってていつも想うこと,国富論,
おはよです。仕事12日目。昨日は仕事半日で終わって、あれこれやってあと結構な時間 相談室も出来たです。ただちょっとやりすぎたせいで寝たのが20時過ぎてしまったけど・・。(俺からすればレッドゾーンな時間)相談室ってほんと、一期一会!ってのを常に思い知らされるわけで、話をしてくる人に自分なりの最善を尽くせたかな、ってのをまた思えたのは嬉しかったです。拾ってあげなきゃいけない人を、世では誰も拾わず放置して、挙げ句にその人を土壇場に追い詰めてしまっている、これは絶対に俺 良いこととは思えないので、自分なり出来ることはいつも最善を尽くしたいと思ってます。所詮の無学・シロウトに過ぎない人間では あるけども。***あとは昨日の午後、ファンになってる田中さんの5000mを観ました。これも録画しといてよかった、やっぱ世界の壁は厚くて、でも辛うじて決勝に残れたようです、ほんとギリギリだった様子。でも次も頑張って欲しいなぁ、と想いました。このお方、走る姿がメッチャ「可憐」なんですよね、だから好きになっちゃったんだろう、ホントの人としての成りってのは全然わからないとしても、でも競技で観てる中での彼女ってとても「ひたむき」に思えて、こういう人は俺は大好き、ファンになった所以でもあります。***さて、ちょっと虚しい論旨を展開するところなのですけど、あとは、、さっぱりイミフな論旨展開でもあるけど、俺はネットで「相談室」ってのを15年以上、いや多分20年になるだろう、そんな長期があるのですけど、そういう年月にあって、いつも常に必ず想うことが1つあります。それは、「どうして「人」ってこうやって、「同じこと」で迷い苦しむんだろうか」っていう点。相談聞く上では もちろん誠実に返事をしていくながらも、でも同時に常に「またこの話か・・」を必ず想う。軽易なレベルの相談は別として、ちょっと重い話になると必ず「共通してる点」ってのがある、個々がそれぞれ身勝手で 想いを譲ろうとしないせいで、それらの問題が派生している、これ、必ず共通しています。***俺は無学ではあるながらも、そうやって問題の中に必ず「共通」が1つある理由、それは「国富論」のせいだ、と、ちょっとしたヘンテコを思ってます。人は個々、勝手で良いのだ。そうやって個々が勝手に利己に走ることこそが、国を全体を富ませて行くのだ、これがアダム・スミスの「国富論」だと思ってるのですが、(もしかして違うかもだけど・・)そしてこれが大ウケして世界中に取り入れられて「自由経済」な社会が出来た。さらに「民主主義」とも相まって、この姿勢が「世界標準」となって行った。その後は「勝者」と「敗者」に世が分かれてしまい、それに反発したあとで社会主義や共産主義が興ったけど、それらは全部「失敗」に終わっている、国富論が土台になってる世界で社会・共産主義を出張っても、経済で勝てる筈がない、これ当たり前ですからね。兎に角この「個々は利己で良い」「自分だけ富む」を最も推奨する「国富論」、完全に「人として」を度外視した展開なのに、それだからこうやって、社会ではどこに行こうが常に人間関係で「相談ごと」が絶え間なく生まれ続けてるんだ、と俺はそう考えます。経済を「一番大事なもの」と据えてる連中が、如何に「人として、どうよ」を唱えようが、すべて半端や失敗に終わる、物質的な「富む」が最優先なんだから「人として」が二の次以降になるってのは当然でもあるし・・・。兎に角ダメ!ですよ、経済が「一番最初」とされてる この世ではね。その考え方を 優先順位を、元から見直さない限りは争いが絶えることは「絶対に」無いです。ただ「人」ってもう太古からず~~っとこんな感じでもあったですし、国富論云々よりも前に、そもそもそういう事なのかもしれない、、やれやれ、、虚しいですが、、その「そもそもが」があったから、こんな論が世界にすっかり浸透し基盤化てしまったのでしょうね、ただちょっと以前にNHKで、「国富論の終焉」?みたいなタイトルの番組をやってたんだけど、自由生産や競争などの 個々が勝手に自分の利益を、が土台な社会制度は行き詰まりを迎えている。これ以上続けることが出来なくなるだろう。みたいな話。これは俺も「そうだろうよなぁ、」と うなずけたんだけど、ただ、国富論が終わってあと、「次、どーすんの?」って話が無かった。要は 国富論は限界に来てるけど、それ以降に心情とすべくの次の土台ってのが、まだ世で生まれていないのか、、みたいな感想も持ったです。さて。。さっぱりイミフな話を長々書いてしまった、、これはこれとして支度を始まらねば、であります。m(_ _)m