こんばんは。「教育・人間」のジャンルの話です。

 

仕事から帰ってヤフーニュースをちらほら見てたら、

こんな記事がありました。

 

 

記事の全文を貼り付けますが、

 安倍晋三元首相を銃撃して殺人容疑で逮捕、送検された山上徹也容疑者のものとして、メディアで投稿内容が報じられてきたツイッターのアカウントが19日、凍結された。

 

今回の異常なまでのネット民の関心の高さが浮き彫りになった。山上容疑者のSNSとされる投稿の内容がネット上で報じられ始めたのは17日夕方から。同日夜にフォロワーは1万人となり、多くの人が引用リツイートし、内容を拡散する姿が確認できた。

 

山上容疑者のアカウントと断定されたわけでもないのに、山上容疑者のものとして拡散する動きには、ネット社会が持つ危険性が潜んでいる。

 

ネット民の異常なほどの関心の高さもくっきりで、フォロワーは約1日で4倍となり、凍結直前には4万人超となった。  

 

投稿内容に1つ触れるならば、子ジカが柵にひっかかり死んでいた写真を添え「ほんの少しの手助けがあれば死なずに済んだのだろうか」と問い掛けるものがあった。これを山上容疑者の境遇と重ね、彼に呼び掛けるようにメッセージを送るコメントも多く見られた。  

 

もし本当に逮捕送検された山上容疑者のものならば、これ以上の新規投稿は増えない。だが数万人の人が新規にフォローし、ネット上で情報発信し続けた。

 

19日に凍結されると「凍結される前に読んでて良かった」「どんな人生を歩んできて、どんな思いがあったのか知りたかったのに」と残念がる声すら散見された。 

 

この不可解な動きは、山上容疑者の背景や心理をメディアを通すのではなく、直接知りたいという気持ちの表れだろう。真実を知りたくなる気持ちは理解できるが、度を越した心酔やシンパシーが不気味に思える投稿もあった。くしくも山上容疑者が憎きとしていた“宗教”や“信者”といった関係に近いと思える状況なのかもしれない。

 

山上容疑者の境遇は恵まれたものではなかっただろう。しかしどんな境遇であっても、人をあやめる理由の正当性にはならない。その線引きを間違えず、ネット上の情報に接したいものだ。

 

という内容なんだけど、、

 

 

 

 

この記事を書いた人、要点は何だろ、何が言いたいんだ、って見てみると、要は、

「境遇が理由で事件を起こした犯人に、不要な思いやりを掛けるなよ??」

ってことなんだろうって思ったのですが、

 

俺はこの考え方、「おかしい」と思ったよ?

何がどうおかしいのか?

 

 

 

 

 

 

***

最近相談室でも こんな感じの話したんだけど、

 

「止むを得ず社会の理不尽故に はみ出してしまう人達ってのは、

 必ず共通して「孤独」ってのがあるんだよ。

 

 ほんとはそういう人達こそ、周囲の暖かさを一番必要とするのに、

 世では誰もそういうことを「しない」のさ」

 

と。

 

 

 

 

社会の軋轢等に「轢かれてしまって」あと、止むを得ず弱い立場に

落ちてしまってる人達ってのは、元来、

 

「孤独」だ。

 

 

 

誰も近寄ろうとしてくれない、誰も話を聞いてくれない、

全く「ぼっち」にされたままで、世から嘲笑・軽蔑されながら日々を生きる。

 

水泳が苦手な人に、いきなり「荒海に泳ぎ出せ!」と言ってるようなもの、

誰も世話を、いや「声掛け」さえも、しようとしない。

 

そして世や社会の理不尽さ・冷たさ、に対して反感やストレスを、

その孤独な中でだけで持て余し過ぎてしまって挙げ句、

 

やがて悲しいかな、今回のような事件を起こしてしまう。

 

 

 

 

 

今回このアカウントにフォロワーが急増した理由、

それは単に「真実を知りたいから」では、「無い!」です。

 

この記者は見解を間違えている。

 

理由は、彼等が「孤独」だから。だよ。
そしてそういう孤独な人が世に「物凄い多いから」だ。

 

 

 

 

 

***

自分と同じような軋轢をこの犯人も受けていたのか、

やっぱり俺一人だけじゃなかったんだ、

 

誰からも理解してもらえず、周囲に敬遠されて生きる日々にあって、

寂しさを強く持て余しつつ

 

仲間が欲しい・理解してくれる人が欲しいと

常々切に願ってる中、こういう人が「登場」してくれた、

 

「自分に当てはめて考えてみたい!」

 

「自分の辛さとコイツの辛さ、

 どれほどの差が・違いがあるのか、「確認をしたい」」

 

「出来ることなら今からじゃ遅いけど、俺も同じだよ!などな

 温かい気持ちを伝えてやりたい」

 

これらが理由でフォロワーがいきなり増えたんだ。

 

 

 

 

 

そういう人が近所に居たりすると、周囲の人は普通気味悪がって

近寄らなくなるでしょ、

 

でもそれ、ホントは「ダメ!」なのさ。

 

ところがこの記者は、この記事でそれを「推奨」している。

(いや、推奨してるかのように誤解釈される、と言うか、)

 

俺はこの姿勢は「間違っている」と思う。

 

 

 

 

 

 

***

どんな人だって、最初から悪質になぞ、なるはずが無い。

これは絶対にそうだよ。

 

この犯人だって、そして他の軋轢に轢かれた人達だって、

最初なうちは「止むを得ず、仕方なく・・逃げ場が他に無いから・・」

そういう場所に追いやられ閉じ込められ始まった、

 

そんなスタートがあったはずだ。

 

 

 

 

本来なら世は、そういう人達には「声掛け」をしてやらにゃならんのだ。

 

それをせず放置して、周囲で不気味だ怖いだとかで遠ざかり、

それらの人達を「孤独」にさせ続けてしまう

 

「から」

 

やがてそれらの人達は徐々に「苦しみながら」止むを得ず悪に走りはじまる。

 

決して「好きでやってるわけじゃない」と思うよ、俺はね。

 

 

 

 

 

フォロワー急増の理由は繰り返すけど、彼等が「人を欲しがってるから」だよ。

 

孤独じゃ辛い、誰か助けて・・と、

心で「泣きながら」生きてるからだ。

 

 

 

 

 

こういうことを理解もせず、ただ単に

「過剰な共感はするな、遠ざけて放置しておけ、危ないぞ、」

だなんて言い方、

 

まさに「リア充」がやるような姿勢であって、

俺はこういう姿勢は大嫌い!だ。

 

 

 

自分だけが幸せなら周囲の弱い人はどんどん捨てて置き去っておいて、

やがて勝手に犯罪に走らせて、どんどん社会から隔離していけ、

 

自分だけは安全で居よう。みたいな、、この姿勢。

 

 

 

 

世のこういう姿勢「こそ」が、

 

こういう犯罪を生み出し続けてるんだ、

っていう点、いい加減気がつけよ!、

って俺は思ったです。

 

こういう犯罪を産んでるのはその人たちじゃなく、「世」なんだよ。

世の中のこういう姿勢の方に、問題の原因がある。

 

 

 

 

「種」が悪いのでは無い。

その種を育む「土壌」が問題の根幹だ。

 

いい加減気がつけ・・・。イライラするわい、ほんと・・・。

 

 

 

 

 

 

***

ガッチリ悪を定めてしまった人間であるなら、

離れる必要ってのは確かにあるよ。そしてそれは大事でもあるからね、

 

それに「俺も同じ事をやっちゃおうかな!}みたいな形での共感、ってのも

これももちろん、すべきじゃないよね。

 

 

 

記事がこういう言い方・書き方をしてるのであれば、俺も納得は出来たけど、

 

この記事は、これだけを読むとまるで、

「ヤバそうな人は避けろ!」

とだけ、言ってるように誤解をするし、

 

その「手前」にある人達のこと、声掛けを一番切実に必要としてる人、

これら大事な時期に有る人のことも

 

「見殺しにしろ」

と、言ってるかのように受け取られてしまう。

 

 

 

 

 

「手前」にある人達のことは「思いやってやる必要」ってのが絶対にあるよ。

 

たとえ気持ち悪かろうが不気味だろうが、そういう声かけこそが

「犯罪抑止」になるんだ。

 

変わるべくは「種」ではなくて、

我々「土」のほう、なのです。

 

「世」が果たすべき「責任」の1つだ、と俺は思うです。

 

 

 

 

 

 

 

 

俺が良く言う、「人として」一番優れた姿勢、

「「弱い」が、どう辛く苦しいことか、を良く「知っている人」」

 

世にはこういう人、未だ全然少ない・・・。

 

そういう「土」が弱い人達を犯罪にまで「育て上げて」しまっているのに、

この記者もそれを知らない人の一人。その典型だ、と思ってしまったです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まぁ、読解力もろくに持ってない俺だから、

「解釈を間違えて」るのは、俺のほうかもしれないけどね。

 

さて、、、世の虚しさはそれはそれとして、

飯やって寝る方に向かいます。

 

 

m(_ _)m