お通夜直前 | マットのブログ

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4時に着いて、旦那と子供達、義父、義母と控え室に

行くと、

父と姉、兄しかまだ居ませんでした。


そこで、初めて、うちの子供達、

りゅうとなおが、もう動かなくなってしまった母と対面しました。

まるで、今にも動き出しそうな、

微笑みを浮かべた表情の母が棺のガラス越しに寝ているので、

りゅうとなおは、本物だとは思えなかったようです。


「これ、ほんとに名古屋のおばあちゃん??」





その間もいろいろとまだ打ち合わせとかがあり、

義父は先にコーヒーを入れて飲んでおりましたが、

「お義母さん、コーヒー飲むかな?」と私が気にして旦那に聞くと

「お茶でいいよ」

その場に義母が居なかったので、後回しにして姉や兄と話してたら、、、

いつの間にか戻ってきた義母が、、、

「こっちはお客さんなのに。。。」

??? ヤバっ! コーヒー入れてないから怒ってる??

慌ててコーヒー入れて、渡しました。。。


はぁ、、、この状況で疲れる。。。勘弁してよね、、、ったく。




その後ちょっと控え室を出て、となりの葬儀会場をのぞいたら、、、

涙が出てきた。。。

母の遺影が、、、そこにはあった。




しばらくして、ふと気になって、もう一度葬儀会場をのぞいてみたら、、、

や、や、やぱい!! もしかして???


車でこっちに来る途中に、姉に旦那の方の家から「◯◯家一同」で

枕花を頼んだんだけど、

それが見当たらない。。。


もしかして、、、? 姉にこっそり聞くと

「ごめん、、、忘れてた!!!」


正直に義母に訳を話して、姉が慌てて担当に人に話しました。


間に合うかな。。。? 

「早く頼まなかんじゃん!」途端にまた機嫌が悪くなった義母。。。


あぁ。。。めんどくさい。。。




6時すぎるとだんだん、母のお通夜に人が集まってきました。

葬儀屋(愛昇殿)さんが、朝、朝刊に乗せる事もできます

って言ってたので、それを見たのか、

近所のとなり組以外の人たちも何人か。。。


私の幼なじみの1歳上のいくちゃんも、お母様と一緒に来てくれました。

そして、、、私たちが連絡してきてくれたと思われる

母の友人、後輩、生徒さんたちの姿も。。。


母は岡崎で生まれ育ちました。

若い頃、英文タイプの講師をしていました。

だから、学生時代の同級生や、自分の生徒さんたちが大勢いるんです。


入り口で、私の顔を見て、何人かの方が

泣きながら声をかけてくださいました。


「どうしたの??なんで??急だったわね。。。」


どの人もみんなそう思ったはずです。

母が転んで1週間入院していた事なんて、

私たち家族以外では、姉の義父、義母、旦那の義父、義母、

母と父と一緒に姉のランチコンサートに向かおうとしていた友人、

その友人からちらっと聞いたほんの数人しかいなかったからです。


誰もが、母は良くなる。きっと治る。

だから、見舞いに来てもらうなら、

もうちょっと元気になってから、、、って思ってたんです。


それが、、、あのまま、こんな事になってしまうなんて、

私たちの中で、一人も予想していませんでした。



岡崎の叔父、叔母さん、豊田の叔父などが到着し、

担当の人によって、

親族が座る席の説明がありました。


その後、まだ時間があったので入り口の外で来た人たちを迎えていると

旦那のお姉さんが到着。

電話で、初めて、母が亡くなってから知らされたようで、

後で聞いたら、電話では「おばさんが亡くなった」って聞いたらしく、

私の80歳過ぎの叔母の事だと思って、一人で来たんだけど、

外の交差点を渡っている最中に、愛昇殿の横に電光掲示板?に

母の名前が出てたらしく、、、「えっ??違うじゃん!!」って

びっくりして、慌てて義兄さんに連絡したそうです。



まさか、私の母が亡くなったとは、、、、




姉が教えている音楽関係の生徒さんや、一緒に音楽をやってる方も

大勢来てくださっていました。

兄の会社の同じ部署の方も、いらしていたようです。