無言の帰宅(改訂) | マットのブログ

マットのブログ

ブログの説明を入力します。

1時間ほど、母のそばで、父と姉と兄と話していると、

看護士さんたちが母をきれいにしてくれるというので、

部屋を出ました。


待ち合い室で、姉の義母、義父、叔母、そして義兄さんと話していたら、

母の弟である、岡崎のなおおじちゃんと、けいおじちゃんが来ました。



二人の表情は、なんとも言えなかったです。


みんな、まさか、こんな急に、、、

絶対助かるって信じてたから、、、

まさかこんな事になるとは思ってなかったから。。。



しばらくして、愛昇殿の人たちが来て、

父と兄となにか今後の事を話していました。

その間も、ずっと、、、それは正直、

今もそうなんですが、

ずっと、ずっと、実感が湧いて来ないんです。

本当に母が亡くなってしまったっていう実感が。。。



ほんとに目の前の母はおだやかな顔をしてたし、

今にも目を開けて起きそうなぐらいだったし。。。




人の死、、、しかも自分の親の死っていうのは

初めての経験なんだけども、

こんなにも、実感できないものなのだろうか。。。と

今でも思っています。




その後、愛昇殿の方との相談で、

一度、母が一番帰りたがっていた自宅へ、

母を連れて帰るという事にしました。


3時に迎えに来るというので、

姉と父が一度実家に戻り、母の布団などの準備をしました。


その間、私と義兄さんは母のそばで話をして過ごしました。



16日(金)夜中の3時。


ベッドの上に、白い布で包まれた母と一緒に

エレベーターで地下1階へ降り、

お迎えの車(エスティマだった)に乗せました。

姉は助手席へ、私は母のすぐ横に座りました。


兄と父は、兄の運転する車で実家へ。。。


医療ドラマで観たようなシーンがそこにはありました。

当直で、母の心臓マッサージをしていた先生1人と、

看護士2人が、

母と私たちを乗せた車が見えなくなるまで

ずっと頭を下げていました。。。




この時、本当に、母は死んでしまったんだって、

ちょっとだけ実感できたような気がしました。


病院から家はほんの車で2、3分。

これが、、、よくニュースなどで耳にする 無言の帰宅 とでも言うのでしょうか。



実家には、父が自宅へ戻った後に母の死を知らされた叔母が待っていました。




その後、いつも母が使っていた布団に母を寝かし、

線香などの準備がされました。



母のそばで、家族と愛昇殿の方との

お通夜、葬儀の事について、いろいろ話し合いをしました。

空が明るくなってくるまで、、、初七日の食事のメニューや、

香典返しの品決め、だいたいの人数は何人か?などなど、

悲しみに浸ってる間もないくらい、

いろいろな事が事務的に決められていきました。




名古屋での火葬をほとんど担っている火葬場がほとんど空いてない事や、

お寺さんの都合、そして、愛昇殿の空き状況で

16日(金)の夜19時からお通夜、

17日(土)の朝9時からの葬儀 が決まりました。


亡くなってすぐのお通夜、葬儀になってしまいますが、

1日待つと、いろいろ空き状況など問題があるようなので、

早い方がいいね、、、と

ほんとに、亡くなってすぐのお通夜、葬儀になってしまいますが、

決まったんです。



そうと決まったら、まずはあらゆる方面に連絡しなくてはなりませんでした。

早朝6時前より、旦那と、義母に連絡をし、

そして、親戚関係はおじさんに任せ、

母の友人、知り合い関係は、姉と私の二人で、

母のアドレス帳、ケータイに登録してある人たちを中心に

かけて連絡をとりました。

早朝という事で、大半がなかなか1度や2度では連絡が取れなかったけど、

連絡取れた人たちは、まず第一声、

「えぇ?? ほんとにぃい~???」

そして、言葉をなくしていました。


簡単に、10日前に階段から落ちて頭を打って、救急車で運ばれ、

入院してる間も血糖値、血圧が高く、意識もはっきりしない状態で

痛みと戦いながら、最後は心臓がもたなかった、、、というような説明をしました。



バタバタと各所へ連絡をしているところへ、

早朝にもかかわらず、すぐにお寺さんが来てくれて、なんていうんでしょう、

母の弔いをし、仏さんのお名前に入れる字の希望などを聞かれたり、

いろいろ相談をして帰られました。

母の名前の一文字と、母が花が好きだったと話すと

それを参考にして考えてみます、、、と言われました。


その後、1時間もしないうちに、

私が娘さんと連絡を取れた、母のたぶん、一番親しかったであろうお友達(T田さん)が

母に会いに来てくださいました。

ずっとずっと泣きっぱなしで、、、母に

「うそでしょ?? なんで?? ほんとに死んじゃったの???」と

語りかけていました。。。



10時半、愛昇殿から母の迎えが来ました。

私たちも一緒に向かい、親族待合室へ案内されました。

そして、、、そこでまたいろいろな打ち合わせ。


昨夜、病院に着いてから、寝ていないので、

だんだん肩も凝ってきて、後頭部が痛くなってくるし、

打ち合わせの最中もあまり集中できませんでした。

母の葬儀は、7階で行われることになりました。

葬儀会場があり、端っこに親族控え室があり、

そこに母と、私たち家族が通されました。




11時半ごろから、

湯灌(ゆかん)という儀式が行われ、

一人ずつ、母の遺体にお水を足から胸にかけてかけ、

母の体をきれいに洗っていただきました。


その後、また綺麗に化粧しなおされて、

いよいよ納棺となりました。

母の体を洗ってもらってる間も横でいろいろな打ち合わせが行われ、

決めなくてはいけない事がたくさんあり、

前日から寝ていないせいもあり、

頭痛はするし、眠いし、、、


来てくださった人に配る母の人となりみたいなしおりを配れるというので

それに書く内容を決めたり、

葬儀の後、初七日のもやるので、その時のお料理を決めたり、

とにかく、、、やる事、決める事が多くて、、、

ほんとに、ほんとに、

これから自分の母のお葬式なの??

どこか他人事のような気さえしていました。。。





私も兄も、何も準備しないでこちらに来ていたから、

一度家に帰ってから、着替えて、準備してこなくてはならなかったし、

時間は気になるし、まだ母の友人に連絡取れてないところはあるし、、、

何から手をつけていいのか。。。





とりあえず、12時半ごろにだいたいの打ち合わせが終わったので、

兄と私は自宅へ戻ることになりました。

たまたま、午前中会社へ行っていた旦那が

私が乗ろうとしている電車に乗れるとメールを返してきたので、

途中から一緒に帰りました。



旦那も、あれから帰って、眠れず、3時に洗い物をしていたそうです。。。


2時すぎにようやく帰宅。

黒の礼服っていうの? に着替え、持ち物を準備して

子供達も黒い服をなるべく着せて、

義父、義母、旦那、りゅうとなおと

車で3時すぎ出発しました。


4時からなにか説明があるって言ってたような気がしたけど、

あまり急がせても仕方ないので、

何も言いませんでした。



4時半ごろ、愛昇殿に到着しました。