あーん♥
あぅーんっ♥

突如として、隣のベッドに運ばれてきた若い男性。

手術室からの直行らしく、運ばれてきてから激痛を超えた喘ぎ声を出しまくりです。

同室で絶不調の、まがまが(ワガママ:我が娘用語)ジジイさえ、ビビるほどの最弱路線。へなちょこサイサイ。

で、シッコをしたいらしく、尿瓶にトライするも出ず。さらに看護師さんがシッコ管を入れようとするも、「イテテテ!」って大騒ぎで対処できず。

看護師さんがいなくなったら「イタい!イタい!」と大声を出し、ナースコールをコントローラーの捌きで連発。

たまに「助けて」とか。

で、またまた喘ぎ声です。
たまらんのでソニーのイヤホンでノイズキャンセリングを緊急発動させました。

「あぁーん♥ あっ♥あっ♥ 先生っ!先生っ!」とか、「ヤバっ♥」などの大声が、最強レベルのノイズキャンセリングの彼方から聴こえてきます。
もっかい手術室にゴーバックしたほうがいいんじゃないか?

廊下では人生の行き先を失ったジサマが目と口を開けながら彷徨い歩き、すでに手一杯の看護師さんの視界にすら入ってません。

みなさん、今日も頑張りましょう。
膀胱炎?を疑い、町医者に行ったところ、「あ、これは前立腺だから」と、クスリを処方され、低周波治療器でビリビリしたんだけど、ぜんぜん良くならんのよ。

で、同僚に相談したところ、「あそこはダメ!ヤブたから。オレも誤診でひどい目にあった」とのこと。
その日のうちに同僚が紹介してくれた若い開業医のどこに行ったの。予約制なんだけど、急遽診てくれるって。

で、今度はキチンと触診やらエコーをかけてくれたんだよ。したらね、エコーが背中にさしかかったとき!
「あれ?なんかあるな」と。

左の腎臓になにかあるらしい。
つぎはCTになりました。個人病院なのにCT完備!

やっぱりなんかある。でも、これ以上は造影剤を入れないとならんとかで、市内の総合病院での予約検査になりました。
1週間後、検査。検査結果を教えてもらうのは2週間後です。が!
3日後の朝、病院から電話があり、先生が伝えたいことがあるといいました。良い報告な訳がない!

翌朝、向かいました。
「腫瘍です。1割が良性、でも9割が悪性です」と。

でも、この大きさならロボット腹腔鏡手術で簡単に取ることが可能とのこと。本来なら先生が執刀のところ、病院には所属していないため、手術室を借りることが出来ないらしい。

「でも、元の同僚でロボット腹腔鏡手術のベテランが隣の網走にいるから、いまから頼んで見る」となり、その後はトントン拍子に手術日が決まりました。

6月16日入院、19日手術。
こどもを知り合いに預け、手術に臨みました。

手術室には歩いて入室。その前に小学校のころからの友人が立ち会い人として来てくれたので、挨拶。

手術室では、ベッドに寝かされたあと、口にマスクをあてがわれ「3回くらい深呼吸を」と言われたあと、目の前がボヤけてブラックアウト。気づいたらすべてが終わってました。5時間が数秒でした。

いま、まだ病室です。
あちこちが痛いものの、回復に向けて食って動いて寝ています。

セカンドオピニオン。大事。
命拾いしました。

前立腺は元気です。


腎臓に腫瘍発見!

3センチ!

ダヴィンチなるロボットを使って摘出するんだとか。

 

術自体は怖くないけど全身麻酔が怖い。

 

最終的には体に5つの穴をあけてやっちゃうんだとか。

5つの傷を持つ漢。

ケンシロウみたい。

 

 

バーボン大好きオジサンですが、じつは「どぶろく」も大好き。

過去にさかのぼると、日本にはどぶろく文化が普通にあったけど、いまでは酒造免許がないと「密造」になっちゃう。簡単に取得できる免許でもないらしい。

 

地方の街の繁華街が廃れていくなか、どぶろく特区を増やすことはできないものだろうか。

どぶろくはどこでも誰でも簡単に作れるレシピだし、アレンジもできる。繁華街の店ごとにオリジナルのどぶろくがあれば、足を運ぶ楽しみも増えると思うし、旅の楽しみにもなると思う。こういう場面に柔軟対応できる法律ができれば、地方の活性化は少しずつ進むのではないかと思う。

まったくもって、家事育児が忙しすぎて、目玉がグルングルン。

なにか良いこと寄ってこい。

さて、今夜の献立は何にしようか。

死は存在するか。

存在すると思う。個人的に。

以下、個人的な考え。

 

 

意識は脳があってこそ存在するものと考える。

生まれたばかりの脳は知識がなく、年老いた脳はさまざまな情報が蓄えてあるため、意識もいろいろと働くものと考える。

 

意識は一種の寄生であって、生体に寄生したときのみ存在が活発化するのではないかとも考える。

 

霊的現象についての考察。

 

霊と呼ばれるものは、意識が発したエネルギーが「その場所」に留まり、そこを通過した意識に反応するものと考える。

 

「憎しみ」や「妬み」を強く感じて死した場合、その意識がエネルギーとしてそこにとどまり、そのエネルギーに接した別の意識が、それを映像化、音声化して感じ、反応するというもの。たとえば、除霊だとかは、エネルギーの塊を波動として飛ばし、エネルギーを分散させたものと考える。

 

生体と意識の結合を考えたとき、たとえば虫なども脳の大きさや機能によって意識が発生すると思われる。そしてその脳の大きさによって情報量が変わり、感情とかも付加されるものと考える。

 

肉体の死とともに、脳の機能が無くなり、意識が生成されなくなり、また、新たな生体に寄生するのではないかと考える。

 

結論。意識は一種の物質であって、脳に寄生した場合のみ発言するものと考える。