以下、無用のことながら | 猿の残日録

猿の残日録

いろんなことがあるが、人生短いから前だけを見たほうがいいですよ。江原啓之 今宵の格言

今朝1時頃には寝た

暑さで羽毛布団をはだけると寒いと思い

長袖の上にフリースを着て、前はしめずに寝た

 

朝8時すぎに目覚めたが、そのまま二度寝、三度寝

羽毛布団はとうにはだけてる

外は20℃超え室内は23℃超えてたようだ

 

長袖が腹の上でめくれるとすぐ、腹が冷えて痛くなった

眠いが腹が痛いのはかなわないので長袖の裾を被せた

それだけで、腹痛はすぐおさまった(私の生来の体質である)

 

5才頃、母親がよく腹を出して寝ていないか夜何度か見てくれていたのを思い出したら

 

目が覚めてしまったので、三連休の真ん中だが、コメダ珈琲のモーニングに行った

 

少し待って席につけた

緑色の和服の美人さんが後から入ってきた

相棒は成人式の人というが、着慣れた感じが私にはした

 

 

食べ終わってすることもないので、マックスバリューのハッピーゲート

 

イオン那覇店で、知らないおばさんが何してるのかなと見て知った

 

WAONカード 土日にかざすと、1ポイント=1円もらえる

その方は3枚かざしていた

 

うちは5枚ワオンカードがあるから総動員したら、1日5円だが

普段持ち歩くだけの私の2枚と相棒の1枚 3円もらう

 

スマホなら、アプリで数十円までお得があるようだが

スマホ持ってないので、そういう煩わしさからは解放されている

 

働いていた頃は、時給数千円なのに、その実感はなく

プー太郎の今は、1円2円にありがたみを感じ、100円値引きなら

必要なくてもクーポン券使えないかと考えたりもする

 

生きていくのに必要なのは少しのお金と というが

必要ないのにお金の欲がある自分がみっともないとは思う

 

出かけないのが1番お金がかからないというが、ずっといて楽しい家でもない

 

出かけない時間は、読書

 

2004年の文春文庫 「以下、無用のことながら」 読んでます

 

司馬遼太郎さんの文章を集めた本です

 

私の先生は還暦前に就寝中突然死されたが、司馬遼太郎の坂の上の雲など

好きだったと話されたのを思い出します

 

「以下、無用のことながら」 という本は、71の文章を集めた本 の1つ

 

5ページほどの文章 後ろ4ページほどは、こんな内容です

 

以下、無用のことながら

1987.5.15 上方文化芸能協会刊 「第四回上方花舞台」パンフレット


(前略)


一事が万事、江戸時代の華は、はげしく環流する貨幣でなりたっていた

当然ながら諸式の市が立った大坂が中心だった


田辺聖子氏の「花の西鶴 浪花風流(ぶり)」を拝見していて、なるほど江戸文明の華としては遊里がその尤(ゆう)たるものだったということをあらためておもった


江戸時代には、公許の廓があった


江戸では吉原、大坂では新町しんまち(九軒町くけんちょう ともいう)だった
(ついでながら、京は島原、長崎は丸山)


建物や座敷のよさとなると、新町が日本一だったらしい
それに、遊ばせることのうまさや客の遊び上手ぶりもーーーそれこそ都市というものだがーーー大坂の新町が随一だったそうである


この四都の色町の比較を、江戸時代のひとびとは好んだ

京の女郎に江戸の張(はり)を持たせ、大坂の揚屋(あげや)で会はば、此上何かあるべし

また、


長崎の寝道具にて、京の上﨟(じょうろう)に、江戸の張りを持たせ、大坂の九軒町にて遊びたし

あるいは、

京島原の女郎に、江戸吉原の張りをもたせ、長崎丸山の衣裳(装)を着せて、大坂新町の揚屋にてあそびたし

などと、みな似たようなことをいっている

どうもそれでみると、美人は京らしい

ただいかに美人でも薄ボンヤリしたのはこまる


江戸風の張りというスパイスがきくと、性的魅力が出てくる

唐突だが、スカーレット・オハラがおっとりした京美人では「風と共に去りぬ」という小説も映画も成立しないだろう

衣装が長崎というのは、江戸期、ここが唯一の貿易港だったという背景による

上質の呉服(呉とはいまの蘇州のこと)がここに入ってくるのである

蘇州は絹織物や錦の産地で、その荷揚げ場である長崎の丸山では、遊女たちが、当然そういう唐物を惜しげもなく日本服に仕立てて着る
寝具まで唐物である



それが、丸山の自慢であった

「大坂の新町(九軒町)にて遊びたし」
ということこそ、わが大坂の華やぎだったのである

いい棟梁は江戸にもいたが、好みのいい建物や室内構造をつくるとなると、大坂が冴えていた

客もまた見巧者な人が多い

長崎の唐好みの部屋(いまも丸山花月にある)はすこし胃にもたれるし、また江戸風の、どこか権現づくりじみた装飾過剰なのもかえって田舎くさいのである

そういった感覚の総和が大坂ふうの品のいい(いまとなればウソのようだが)建物をつくっていた

それと、芸者・末社さらには仲居といった補助者が大坂はいい(ついでながら、江戸時代の廓では、芸者は芸だけをする者だった)

右の言いまわしの限りでは、大坂の花魁(太夫)は、残念ながら美貌において京にゆずるらしい
また性的魅力において江戸に劣るという
さらには衣装においてさえ長崎の綺羅にかなわないというのだが、彼女一個をとりまくおおぜいの脇役においては圧倒的に大坂がまさっていたということなのである


ついでながら、この脇役たちが、のちにそれぞれ独立の職能をうちたてて、その後の芸者になる
あるいは上方落語のにない手になってゆく
さらには機転のきく仲居たちについては、当時もいまも、さまざまな大坂の商売往来における象徴的な存在なのである

しかし、京の下ぶくれ美人とお俠(きゃん)な江戸美人が、いかに長崎の錦にくるまっていようとも、雑な造作の中ですわっていては、かえってうすら寒い

そうなると、大坂はちがう

つまり、大坂の遊びは、客と花魁というだけの二人芝居ではなく、客と花魁を主役にして、たくさんのバイ・プレイヤーがとりまく演劇のようなものであったらしい

そのことは、田辺聖子さんの芝居で察せられたい

 

 

創作エイサーを見ました  劇団結成して20年という

 

 

 

 

 

 

 

つけ麺  初めて食べた 意外とおいしい 太麺は好みでないがおいしい

 

 

やっぱりステーキ   安い うまい 他に特に何も感想はない !?