燃えるゴミ 24袋 燃えないゴミ と プラスチックゴミ が それぞれ 6袋ずつ
これほど一気に、といっても10時間くらいかけて 用意しました
空き缶にきちんと入ってる中身が、割り箸だったり、もらったレジ袋だったり、ティッシュ袋だったり
大昔、マッチ箱を集めていたのは知っていて、それは地名があるから行った記念になるのですが
割り箸やレジ袋は、なんで集めたのか、まったく理解できない
うちは、割り箸を使う家だったが、何度も洗って使う変わった家で、新品に変えるということを
知らないのではないかと思うほど、いつまでも使う家でした
10才の頃、見かねて、買ってきたらどうか と言ったら、新品は沢山あるよと言う
新品を使えばいいのに使わないのが、明治の人 実際は親の親が明治生まれで、本人たちは
昭和のひとけた生まれだが、どうしてこうも世間ずれしてるのかと思うほど物を大切にしました
親子でも理解できない という設定は、エヴァンゲリオンや 七つの大罪でもある
世の中、親子が何でも話して親の事をたいてい知っている子供なんてほとんどいないと
今は思っている
親が亡くなってから、親の事をあまり知らない、あまり話をしてくれなかった しなかった というのを
よく読んだので、世間的に親はあまり子供に自分の話をしないのだと思うようになった
例外があれば、それは幸せな親子だと思う
親は、捨てることを知らない人だった
30年前に引越した時、ほとんどすべて持ってきて、普通ならそれはないだろうというくらい
今もまわりには昔から見た人形や家具がそのままある
今回、燃えるゴミ 24袋は、ほとんどが車庫の上に保存されていたもので
もともと天井に近い空間に保存されていたから
ゴミ出ししても、さほどすっきりした感じにはならなかった
なぜだかわからないのだが、空き缶やプラスチック容器など、ペットボトルと缶詰の缶以外は
捨て方がわからなかったのかと思うほどそっくり保存されて、発泡スチロールも10個くらいあり
30年間に捨てたことがどれだけあったのかと思うほどです
スプレー缶は、蚊やアリ対策が数十本単位であり、昔からまとめ買いする習慣はあったが
きっと、買ったのを忘れてまた買ったのだろう
置き場所もあちこちに置いてある
名古屋だと缶は中身が残っていてもそのまま捨てられるが、ここでは空にして穴をあけてと
昔ながらの危険なことをさせるので、マスクでもして作業しないと、数が新品ばかり大量
いつかゆっくりしなくてはならない
今回、処分できなかったものは、釣り道具類や、商売道具の前掛けなど
もう使わないが、なんとなくまだ捨てられなくて残してある
12月には親の洋服なども処分しようと思う
私が二十歳のお祝いに親が作ってくれた着物というかちょっとしたものは
沖縄では1月2月の寒い時期に1か月も着れたらいいほうという暖かい物だが
実家に置いておいても仕方ないので沖縄に送る
名古屋にいた時に着れば良かったが、ずっと実家に置きっ放しだったから
もったいないことをした
寒いのがキライだから沖縄にいるのだが、親がくれた記念の着物はやはり大切にしないと
他にこれといってもう残っているものもない
延床60坪 階段が5つある 変わった家ですが、古い家具に囲まれて狭い感じがする
その古い家具は親の思い出の家具なのだと思うと、これも仕方ないことです
親の家であって、自分の家ではないのだから、今さら何をどうしようとは思いません