読む時期というのがあると思う
1964年生まれの江原さんに1963年生まれの
丸山あかねさんが質問する対談形式
2005年出版
ずっと以前から本屋さんで見ていたが
今、時間があるので図書館で借りて読めます
でも、なかなか読み続けることができなかったのは
読んでも理解できなかったか、必要がまだ無かったとも思える
今年は、何か月も何回も借りて
以前は後半部分
今回は前半部分 を、読みました
今回通読して、読みました
以下、前半部分の備忘録です (後半部分は以前の日記)
人生の目的は喜怒哀楽といった感動を味わうことなの
人生を旅にたとえれば、転んで傷ついて、たとえ鼻血を出してでも
観光名所をたくさん見た人の勝ちなんです
人生を旅にたとえれば、転んで傷ついて、たとえ鼻血を出してでも
観光名所をたくさん見た人の勝ちなんです
スピリチュアルな観点からいえば、幸せというのは
この世でいうところの「試練」にあるわけです
つまり、さまざまな試練を経験して、たましいを磨いて
あの世に帰った人のほうが豊かなんです
この世でいうところの「試練」にあるわけです
つまり、さまざまな試練を経験して、たましいを磨いて
あの世に帰った人のほうが豊かなんです
悟るというのは、そうそうできることではありません
まず、この世のあらゆる「光と闇」を経験し、その感動を
たましいに刻まないと
まず、この世のあらゆる「光と闇」を経験し、その感動を
たましいに刻まないと
私たちのたましいは、「光と闇」の両方を知ってはじめて成長できるんです
また反対に、光を知るから闇がわかるということも言えます
光と闇は対極にあるのではなく、実は表裏一体で存在する
これは人生のあらゆる出来事、森羅万象に当てはまる真理なんです
光と闇は対極にあるのではなく、実は表裏一体で存在する
これは人生のあらゆる出来事、森羅万象に当てはまる真理なんです
厳しい言い方になるけど、糟糠の妻を可哀想だとは思わない
ただ陰で支えて応援するだけでなく、自分も一緒に向上しないと
いけないんですよ
それでないと、ただの依存症になっちゃうんです
ただ陰で支えて応援するだけでなく、自分も一緒に向上しないと
いけないんですよ
それでないと、ただの依存症になっちゃうんです
「ヒモ体質な男性=たましいの低い男性」ではないですね
女性の操縦法いかんで、最高の相手になる場合もあります
たとえば、女性が主夫を望んでいれば全く問題ないわけでしょう
でも、その場合、女性側が相当に高いたましいを持っていないと
関係を持続するのは難しいかもしれませんね
女性の操縦法いかんで、最高の相手になる場合もあります
たとえば、女性が主夫を望んでいれば全く問題ないわけでしょう
でも、その場合、女性側が相当に高いたましいを持っていないと
関係を持続するのは難しいかもしれませんね
好きな人が一緒にいてくれる
それ以上に「本気で愛してくれてるのかしら?」なんて考えるのは贅沢なんです
なんで感謝しないの?
それ以上に「本気で愛してくれてるのかしら?」なんて考えるのは贅沢なんです
なんで感謝しないの?
相手の気持ちが離れたなと察したら、潔く諦めないと
だって、相手にとってはもはや愛を押しつけるおせっかいな人になってるんだから
自分と別れることが相手の望むことなら、喜んで別れましょうって思えることが愛なんです
だって、相手にとってはもはや愛を押しつけるおせっかいな人になってるんだから
自分と別れることが相手の望むことなら、喜んで別れましょうって思えることが愛なんです
スピリチュアルな見方をすると、不倫と定義するのは、
その場限りの快楽を追ってアテもなくつきあうこと
でも、将来一緒になることを考えるなど、未来を見据えてつきあっているなら、たとえ現状では家庭があっても不倫ではないんです
結婚後に別の人を好きになって、この人こそが選ぶべき相手だったと目覚めることは起こり得るんです
でも、将来一緒になることを考えるなど、未来を見据えてつきあっているなら、たとえ現状では家庭があっても不倫ではないんです
結婚後に別の人を好きになって、この人こそが選ぶべき相手だったと目覚めることは起こり得るんです
結婚相手は自分の所有物じゃないんです
破局を迎える前に、そうならないような愛の育みをしてこなかった自分を恥じ入るべき
妻だからって、その立場にあぐらをかいていたらいけないんです
破局を迎える前に、そうならないような愛の育みをしてこなかった自分を恥じ入るべき
妻だからって、その立場にあぐらをかいていたらいけないんです
家庭があって、奥さん以外の女性と恋をするほとんどの男性は
寂しさから逃れたいともがいている人でしょう?
つまり、「不倫」をしているわけ
毎日必死に働いているのに、奥さんは給料持ってくるのが当たり前みたいな態度で、褒めてもくれなきゃ、尊敬してもくれない
そこに可愛い女性が現れたら一緒に食事したいなって気持ちになるんでしょうね
寂しさから逃れたいともがいている人でしょう?
つまり、「不倫」をしているわけ
毎日必死に働いているのに、奥さんは給料持ってくるのが当たり前みたいな態度で、褒めてもくれなきゃ、尊敬してもくれない
そこに可愛い女性が現れたら一緒に食事したいなって気持ちになるんでしょうね
「今がよければいいや」って気持ちだけで不倫する人は、だらしがないんです
自己コントロールができない人なの
自己コントロールができない人なの
そもそも、セックスは体を合わせて快楽を求める行為ではないんです
それよりもまず、心を重ね合わせることをしないと
もし、セックスがあわなくても、そこに心の譲り合いがないとダメ
「疲れているんじゃないか」と相手を労わるとか、思いやりを持たなくてどうするの?
「満足しなかった!」と、一方的に不満をぶつけたりしたら、相手は傷つきますよ
セックスに限ったことではありませんが、何事も慎みがないといけません
それよりもまず、心を重ね合わせることをしないと
もし、セックスがあわなくても、そこに心の譲り合いがないとダメ
「疲れているんじゃないか」と相手を労わるとか、思いやりを持たなくてどうするの?
「満足しなかった!」と、一方的に不満をぶつけたりしたら、相手は傷つきますよ
セックスに限ったことではありませんが、何事も慎みがないといけません
スピリチュアル的には、一度きりのセックスを繰り返していたらオーラは汚れますよ
心が擦り切れてきちゃうから
心のセックスとは何かというと、「無償の愛」なんですね
快楽のあるなしなんていう損得勘定は一切ない
愛を注がれることより、むしろ愛を注ぐことに徹するというのが
心が擦り切れてきちゃうから
心のセックスとは何かというと、「無償の愛」なんですね
快楽のあるなしなんていう損得勘定は一切ない
愛を注がれることより、むしろ愛を注ぐことに徹するというのが
「いいセックス」なんです
ただ快楽を追うとかテクニックだけにこだわってるなら意味のないことですよ
セックスだけでなく、日常生活の中でも相手に尽くそうと努力しているのか?ってところが問題なんですから
セックスだけでなく、日常生活の中でも相手に尽くそうと努力しているのか?ってところが問題なんですから
恋愛と結婚は別物ですよ
恋愛が感性を磨くための学びだとすると
結婚は忍耐や苦労を知ることにこそ学びがあるんですから
恋愛はある意味、幼いたましいでもできることですが
結婚はそうはいきません
大人のたましいを持っていないと乗り越えられないことばかりです
だからこそ、たましいが磨かれるんですけどね
恋愛が感性を磨くための学びだとすると
結婚は忍耐や苦労を知ることにこそ学びがあるんですから
恋愛はある意味、幼いたましいでもできることですが
結婚はそうはいきません
大人のたましいを持っていないと乗り越えられないことばかりです
だからこそ、たましいが磨かれるんですけどね
試練のない結婚は存在しません
試練を放棄した場合は別ですよ
でもそれは離婚することを意味するわけで、スピリチュアルな観点からすると
「苦労を共にしないなら、何のために結婚したの?」ってことになっちゃう
試練を放棄した場合は別ですよ
でもそれは離婚することを意味するわけで、スピリチュアルな観点からすると
「苦労を共にしないなら、何のために結婚したの?」ってことになっちゃう
一般に結婚は相思相愛というのが前提ではありますよね
でもそういう前向きなパワーがないと結婚なんか誰もしないからそうなっているだけで
実は二人のガーディアン・スピリット(守護霊)同士が
「この二人が結婚すれば学びになる」と判断した結果、結婚するんです
一人ではできなかった学びを経験するために、人は結婚するんですよ
でもそういう前向きなパワーがないと結婚なんか誰もしないからそうなっているだけで
実は二人のガーディアン・スピリット(守護霊)同士が
「この二人が結婚すれば学びになる」と判断した結果、結婚するんです
一人ではできなかった学びを経験するために、人は結婚するんですよ
結婚できたから立派とか、していないから未熟ということじゃないんですよ
結婚する学びと結婚しない学びがあるわけだから
結婚する学びと結婚しない学びがあるわけだから
結婚しない人というのは、実は「孤独」と結婚したということなんです
孤独というのも、ある意味「人間関係」の勉強
孤独を知っているがために、愛を学ぶこともできるんです
孤独というのも、ある意味「人間関係」の勉強
孤独を知っているがために、愛を学ぶこともできるんです
結婚に恋愛を持ち込んじゃいけないんです
結婚した段階で、それなりに腹をくくることは必要でしょうね
ただ、スピリチュアルな観点から言えば、刺激を求めるのも安定を求めるのも「小我」なんですよ
一人の人間としてきちんと自立したうえで相手と向き合うことができなければ、結婚生活は成り立ちません
結婚した段階で、それなりに腹をくくることは必要でしょうね
ただ、スピリチュアルな観点から言えば、刺激を求めるのも安定を求めるのも「小我」なんですよ
一人の人間としてきちんと自立したうえで相手と向き合うことができなければ、結婚生活は成り立ちません
夫婦で立ち向かわなければならない問題があったほうが、それを乗り越えた時の感動も大きいし、経験も深まるということです
とにかく女性は、男は愛だけでは生きられないってことを知らないと
男性にとって結婚って人生のすべてじゃないんですよ
男性にとって結婚って人生のすべてじゃないんですよ
今は、お互いに自分のことばっかり考えてるようなたましいの幼い者同士がくっついてるケースが多いんですよ
だから、離婚が増えるわけです
だから、離婚が増えるわけです
出会った人とどういう関係性を築いていくかは「運命」
「運命」は変えられるんです
誰かと出会っても、飛び込む勇気がなければ、せっかくの縁を逃してしまうことになるんです
「運命」は変えられるんです
誰かと出会っても、飛び込む勇気がなければ、せっかくの縁を逃してしまうことになるんです
ただ、どういう形であれ、無理はしないほうがいいです
自分の筋力以上の重さのダンベルを使って体を鍛えたら故障するのと同じで、やっぱり分相応であることは大事なんです
自分の筋力以上の重さのダンベルを使って体を鍛えたら故障するのと同じで、やっぱり分相応であることは大事なんです
自分の答えは、自分のたましいから出るんだから、内観をして自分に問うのが一番
結婚で後悔したくないというのなら、とにかく恋愛経験を積むことですね
ままならない思いを味わって、打たれ強くなるしかないんです
ままならない思いを味わって、打たれ強くなるしかないんです
そもそも、この世が試練だらけだと知っていたら、誰だって生まれてこなかったかもしれない
苦労はあっても、それを苦労と思わない結婚生活を送るのが幸せなわけで
それは、きちんとした人間関係の経験を積んだうえでの「ご褒美の結婚」ですよね
それは、きちんとした人間関係の経験を積んだうえでの「ご褒美の結婚」ですよね
極論だけれども、離婚、結婚を繰り返す人はある意味、人間関係を学ぶ機会の多い人とも言えるんですよ
いずれにしても、お互いを必要としていれば別れないんですから
でも、別れたほうがいい場合もある
それに逆らって生きることは得策ではない、ということを言ってるんです
でも、別れたほうがいい場合もある
それに逆らって生きることは得策ではない、ということを言ってるんです
セックスレスではオーラの交換ができないということにはならない
奥さんが作ったご飯を食べて、奥さんが洗濯したものを着ていれば
それだけでオーラを交換してるんですよ
オーラの交換はセックス以外にもできる
奥さんが作ったご飯を食べて、奥さんが洗濯したものを着ていれば
それだけでオーラを交換してるんですよ
オーラの交換はセックス以外にもできる
お金は心を訓練するためのバーベルなんですよ
お金持ちの人は、お金があるゆえに、「お金で買うことのできない問題」で苦労することが多いんですよ
財産を巡る骨肉の争いで孤独に陥る話なんてよく聞きますよ
お金持ちの人は、お金があるゆえに、「お金で買うことのできない問題」で苦労することが多いんですよ
財産を巡る骨肉の争いで孤独に陥る話なんてよく聞きますよ
買い物依存症、アルコール依存症、ギャンブル依存症、セックス依存症……
依存症といわれるものの原因は、みんな愛情不足
依存症といわれるものの原因は、みんな愛情不足
中途半端な貧乏はよくないですよ
貧乏なら貧乏で、貧乏を骨の髄まで熟知しないとダメってことなんです
そうでないと、お金を持った時に心から感謝することができないですから・・・
感謝することができれば、謙虚さを損なうことはまずないでしょう
確かに、お金があれば高級レストランへも行けるし、ホテルでの扱いも違うかもしれない
でも、本当の貧乏を知っている人は「そんなの虚しいことだよね」って、
悟ることができるんです
貧乏なら貧乏で、貧乏を骨の髄まで熟知しないとダメってことなんです
そうでないと、お金を持った時に心から感謝することができないですから・・・
感謝することができれば、謙虚さを損なうことはまずないでしょう
確かに、お金があれば高級レストランへも行けるし、ホテルでの扱いも違うかもしれない
でも、本当の貧乏を知っている人は「そんなの虚しいことだよね」って、
悟ることができるんです
お金に縁のない人っていうのは、お金に対して明確な目的を持っていない人なんですよ
「人は仕事をするために生まれてくるわけではなく、生きるために仕事をする」
これが、スピリチュアリズムにおける真理なんです
仕事は人生を彩る一部であって、たましいを磨くトレーニングジムの一つのメニューだと思える人は、多少のことがあっても乗り終えられるんです
大切なのは、いかにたましいを込めて働くことができるかであって
人からの評価は関係ないんですから
人からの評価は関係ないんですから
よく「天職」と「適職」を「車の両輪」にたとえるんだけれど、
どちらかが小さいと、うまく前に進めないんですよ
「天職」かどうかを知るには、それをすることで人に喜んでもらえるか
たましいが満たされる喜びがあるか? を見極める必要があります
「天職」は、お金にはならないけれど、誰かから必要とされるから
たましいが磨かれ、輝けるものなんです
どちらかが小さいと、うまく前に進めないんですよ
「天職」かどうかを知るには、それをすることで人に喜んでもらえるか
たましいが満たされる喜びがあるか? を見極める必要があります
「天職」は、お金にはならないけれど、誰かから必要とされるから
たましいが磨かれ、輝けるものなんです