名古屋の人が名古屋を書いているが
私の感想も書いてみました
名古屋出身ではないほうが、よくわかることもある
なぜ名古屋人はすべて"損得"で考えるのか
清水 義範(しみず・よしのり)
1947年、愛知県名古屋市生まれ
【プレジデントオンライン の記事を読んでの感想】
すべてにおいて、これは得だわ、というものには飛びつき、
これは損だわ、というものには手を出さないという意味において、
名古屋の人というのは非常に功利的なのである
(そうでなかったら、ただの〇◯)
そのせいで、街の景観に魅力がない、ということもおこる。
名古屋駅前とか、栄のような繁華街を見てみても、
ただ四角いビルが並んでいるばかりで、
デザインの面白いビルがほとんどないのだ。
だから街の印象がフラットで、目を引かれることがない
名古屋駅前とか、栄のような繁華街を見てみても、
ただ四角いビルが並んでいるばかりで、
デザインの面白いビルがほとんどないのだ。
だから街の印象がフラットで、目を引かれることがない
(凸凹していたら、耐震性が悪くなり、ムダな建築費がかかる)
石原裕次郎が名古屋のことを歌った「白い街」という歌
(ヒットしなかったので知る人は少ない)があるのだが、
白い街とは、名古屋のパッとしない景観をよく表している。
なんだか街が白々しいのである。
(ヒットしなかったので知る人は少ない)があるのだが、
白い街とは、名古屋のパッとしない景観をよく表している。
なんだか街が白々しいのである。
(白い街はどこにもある それはコンクリの街なのである)
つまり、ビルを建てる時、凝ったデザインにすれば建築費が
かさむわけだ。
ビルは頑丈に機能的にできていればそれでよく、
デザイン代に高い金を払うのは損だというのが名古屋人の
考え方なのだ。
だから街に、あっと目を引くような魅力がない。
かさむわけだ。
ビルは頑丈に機能的にできていればそれでよく、
デザイン代に高い金を払うのは損だというのが名古屋人の
考え方なのだ。
だから街に、あっと目を引くような魅力がない。
(耐震性 さらに目立つ為に無駄な費用をかけない質実さ)
(横並び意識 目立たないための知恵)
ビルのデザインといえば、中部国際空港(セントレア)
のビルの話が面白い。
あの建物はもともとのプランでは、滑走路側の壁面が
うねうねと波打っているデザインだったのだそうだ。
ところが工事の前になって、この側面の壁を真っすぐに
したら工費はどれだけ安くなるか、という話が持ちあがり、
計算してみた結果、真っすぐの壁に変更になったのだそうだ。
ビルのデザインに金をかけるのはもったいない、
という功利点な考え方が通ったというわけだ。
のビルの話が面白い。
あの建物はもともとのプランでは、滑走路側の壁面が
うねうねと波打っているデザインだったのだそうだ。
ところが工事の前になって、この側面の壁を真っすぐに
したら工費はどれだけ安くなるか、という話が持ちあがり、
計算してみた結果、真っすぐの壁に変更になったのだそうだ。
ビルのデザインに金をかけるのはもったいない、
という功利点な考え方が通ったというわけだ。
(数人が認めるだけのデザインに金をかける必要はない)
(原価意識がないとムダな費用がかかる)
名古屋に京都などの有名料亭が進出しても、
うまくいかず撤退してしまうことが多いのだそうだ。
名古屋人は食事をとるのに、その店の名、という
付加価値をあまり感じないからだそうだ
うまくいかず撤退してしまうことが多いのだそうだ。
名古屋人は食事をとるのに、その店の名、という
付加価値をあまり感じないからだそうだ
(自分でいいと思うものに金をかけるだけのこと)
私も、この店で食事をとれるようになったか、
という満足代が5万円の内に入っているのだ。
ところが名古屋人には付加価値がわからないから、
1回の食事で5万円は高すぎやしないか、と考える。
その料亭の名前の代金だという発想がないのである。
そして、そもそもこれ原価はいくらぐりゃあのものだ、
と考えてしまう。
そして、5万円は法外だわ、と結論が出るのだ。
名古屋人には実質価値しかわからないからである。
名古屋人は、この安さでこれが食べられるのはすごく得だ、
という「お値打ち」価値観しかないのである。
という満足代が5万円の内に入っているのだ。
ところが名古屋人には付加価値がわからないから、
1回の食事で5万円は高すぎやしないか、と考える。
その料亭の名前の代金だという発想がないのである。
そして、そもそもこれ原価はいくらぐりゃあのものだ、
と考えてしまう。
そして、5万円は法外だわ、と結論が出るのだ。
名古屋人には実質価値しかわからないからである。
名古屋人は、この安さでこれが食べられるのはすごく得だ、
という「お値打ち」価値観しかないのである。
(ムダはムダ 法外は法外 価値は自分で判断する)
(他人がつくった価値にすんなりのることはない)
ところが、その実質価値しかわからない名古屋の人が、
ファッション関係のブランド品には敏感で大いに愛好する
のである。
シャネル、プラダ、グッチ、ティファニーなどといった
ブランドの、服やバッグやスカーフなどはかなり高くても
買うのだ。むしろ大いに愛好している。
なぜならば、ファッション関係のブランド品は身につけていれば、
他人に見えるからなのだ。
他人が見て、あっ、シャネルだわ、と驚いてくれるところが
いいのだ。
見えないおしゃれは意味がないが、見て、あっあれだわ、
と思われるのは実質価値であり、大いに見せびらかしたいのだ。
そういうことだから、マイナーなブランド品では意味がない。
誰が見ても、あっあれを持ってる、とわかる超有名ブランドで
なければならないが、それはとてもほしいものなのである
ファッション関係のブランド品には敏感で大いに愛好する
のである。
シャネル、プラダ、グッチ、ティファニーなどといった
ブランドの、服やバッグやスカーフなどはかなり高くても
買うのだ。むしろ大いに愛好している。
なぜならば、ファッション関係のブランド品は身につけていれば、
他人に見えるからなのだ。
他人が見て、あっ、シャネルだわ、と驚いてくれるところが
いいのだ。
見えないおしゃれは意味がないが、見て、あっあれだわ、
と思われるのは実質価値であり、大いに見せびらかしたいのだ。
そういうことだから、マイナーなブランド品では意味がない。
誰が見ても、あっあれを持ってる、とわかる超有名ブランドで
なければならないが、それはとてもほしいものなのである
(お金を何にかけるかだけのことで、ブランド品にかけるだけ)
(口に合わない法外な料金の料理にはかけない)
(口に合わない法外な料金の料理にはかけない)
(一般には高級車にかける人が多い)
損か得かでしか価値を考えない名古屋人だが、
超一流ブランドのファッションは、誰にでも見えるものだから
得なものなのである。
このあたり、とても微妙である。
一流料亭で食べても、自分に満足感はあるかもしれないが
他人には見えない。
他人に見えないところで高い料金を払うのは損なことである。
しかし、一流のファッション・ブランドのものは他人に見えて、
一目置いてくれる。だから得なのである。
名古屋人は他人に見えるところでは大いに見栄を張る。
うらやましいでしょう、と見せびらかす感じさえある。
超一流ブランドのファッションは、誰にでも見えるものだから
得なものなのである。
このあたり、とても微妙である。
一流料亭で食べても、自分に満足感はあるかもしれないが
他人には見えない。
他人に見えないところで高い料金を払うのは損なことである。
しかし、一流のファッション・ブランドのものは他人に見えて、
一目置いてくれる。だから得なのである。
名古屋人は他人に見えるところでは大いに見栄を張る。
うらやましいでしょう、と見せびらかす感じさえある。
(うらやましいでしょう ではなく、人並み横並びにすぎない)
(名古屋の着倒れ と昔から言う)
だが、他人に見えないことには見栄を張らない。
誰にもわからないところで見栄を張っても無意味なのだ。
そういう時は、「お値打ち」なものに飛びつくのだ。
その辺は、実に功利的にきっちりとしているのである。
誰にもわからないところで見栄を張っても無意味なのだ。
そういう時は、「お値打ち」なものに飛びつくのだ。
その辺は、実に功利的にきっちりとしているのである。
(価値観がはっきりしているだけで、いいと思えば金かける)
(お金を何にかけるかだけだろう)
あらまあ、用ずみの花があるわ、もらっていきましょう、
というふうに。
信じられないような図々しさだが、得なことが大好きな名古屋人
にはそれはごく自然なことなのかもしれない。
そこにある、もらっていいものは、ためらいなくもらうのだ。
というふうに。
信じられないような図々しさだが、得なことが大好きな名古屋人
にはそれはごく自然なことなのかもしれない。
そこにある、もらっていいものは、ためらいなくもらうのだ。
(もらえるものはもらう それが自然 悪いことではない)
せっかくもらった土俵の俵を捨てる人も
でも、さすがに土俵の俵は大きすぎるし重い。
そこで、会場の近くの道端にいくつか捨ててあるのだそうだ。
もらっていいものだときいてついもらってきたが、重くて大変だ。
よく考えたらこんなものもらっても何の役にも立たないぞ。
と考えて、捨てていく人もいるわけだ。
でも、さすがに土俵の俵は大きすぎるし重い。
そこで、会場の近くの道端にいくつか捨ててあるのだそうだ。
もらっていいものだときいてついもらってきたが、重くて大変だ。
よく考えたらこんなものもらっても何の役にも立たないぞ。
と考えて、捨てていく人もいるわけだ。
(単純に、少しカットして残りを勝手に不法投棄したと考えるべき)
とても面白い話だと思う。もらっていい、となると
ついもらってしまう名古屋人。
しかし冷静に考えてみれば、こんなものはいらないぞ、
と気がついて捨ててしまうのであり、どうもやることがおかしい。
というわけで、どんなガラクタでも、台の上にきちんと並べて、
「ご自由にお取り下さい」と書いた札を立てておけば、
名古屋では誰かがもらっていくのであろう。
ついもらってしまう名古屋人。
しかし冷静に考えてみれば、こんなものはいらないぞ、
と気がついて捨ててしまうのであり、どうもやることがおかしい。
というわけで、どんなガラクタでも、台の上にきちんと並べて、
「ご自由にお取り下さい」と書いた札を立てておけば、
名古屋では誰かがもらっていくのであろう。
(どこでも同じ 名古屋もある遠方の地方出身が多い)
(しかし、本当に持って帰るのだから、名古屋は変ではある)
(だが、日本経済を背負っているのだから、何がおかしいか)