6月末 | 猿の残日録

猿の残日録

いろんなことがあるが、人生短いから前だけを見たほうがいいですよ。江原啓之 今宵の格言

糸満の喫茶店からの風景

 

 

3か月に1回、病院に行くので送っていった

 

変わったこと、面白い事 色々ありました

 

 

1 リンガーハット 冷やしチャンポン 745円

 

ランチ 食べ終わって、店内 100mも歩いていたら

店員さんが走ってきて、お金を渡そうとする

話を聞いたら、人まちがい、チャンポンに何か苦情があったらしい

 

私は、冷やしチャンポン だし、不満も無い

今回、麺は妙に少なかったが、文句は言ってない

 

その前に、喫茶店でサンドイッチと珈琲 (相棒の好み)

さらに、隣の sinka で買ったパンまで食べていたから

満腹なのである

 

ここ、店員さんが、言う言葉が今一つ意味がわからない

カードはお持ちですか と、冷やしチャンポン受け取る時に

聞かれたが、何のカードかもわからず、いいえ いいです

と答えておいた

 

普通、注文して会計する最初に聞くことだろうが不思議

 

あまり近くでないから行かないが、便利のいい店なので

月1回くらいは行きたい

麺2倍でも、40+税なので、おばさんでも大盛り食べていた

 

 

2 車の店、住民票持って行った

 

私は、毎日でも来たいんだけど

珈琲とか新聞とか雑誌とか、車見るとか、私は好きなので

 

と言ったら、「えっ!?」 と、驚かれた

  (なんで、毎日来たいの みたいな)

 

でも、相棒が沖縄の人だから、常識があるので、来たがらないし

私はアメリカ人だから常識がないので

 

と言ったら、30すぎの店員さん  前は中古車屋さんにいたそう

 

昔の(沖縄の)人は、「悪い遊びはするな」 と言いましたね と

中城のその人は、面白い言葉を言いました

 

地方によっては、そんな言葉があるのかと、相棒も驚いた

 

 

3 病院で、精算を待つ間の話

 

60過ぎのおしゃれな帽子をかぶった男性に、パソコンを見ながら

職員が、10万円未入金はいつ払ってもらえますか と聞いていた

男性は、えっ と身に覚えがない様子で

日付を聞くと、あ、おれが入院して手術した日か と、4年前らしい

 

次、5万を2回に分けて払うという話をしていたそうだが

そもそも、お金払わずに、その後の治療が受けられるのか

 

沖縄らしいなと相棒は言うが、平等を方針に掲げる病院だが

何か自覚症状はありますか」 と、聞かれると、それは無いから

そこで終わってしまうのが、気になる点です

 

内地の開業医では、こうすると、4月に行った時、具体的に聞いた

それが親切というか、一般的な診療だろうと思う

 (私は、その方法を聞いただけで、その先は、とめている)

 

そんな丁寧な診療をしていたら、「平等」 で溢れかえる病院は

患者が殺到しているので、ムリなのだろう

 

やっぱり 「平等」 をうたい文句にすると、できないこともあるのだな

と、何もかもいいわけではなく

 

内地の病院なら、紹介状ないと受診できないシステムもあるのに

誰でも平等を続けるのは、限界がいつかは来るはず

というか、もう来ているはず

 

でも、それは沖縄という土地を選んだ自分の運命みたいなものだから

 

もっと小さな離島であれば、さらに不便な事も不可能なこともあるし

甘受しなくてはいけない

 

それがイヤなら、自分でセカンドオピニオンというか、ファーストオピニオンすら出てないのだけど、他の普通に料金とる病院に行って

診察をお願いするのであろう

 

暑いともう考えるのも面倒になるので、気にしないようになる

 

午後2時すぎ、待合室で一人で診察を希望する重病そうな老人

急病だったのか、時間外に来て先生の名前を呼び診療を希望する人だったらしい

 

救急車で来たなら処置されるだろうが、自分で来たのだろうかと

相棒から、後で話を聞いて、驚いた

 

自分が急病なら、先輩のように、自分で救急車を呼んでとなるのだろうが、沖縄の人はどうしているのだろう

遠慮してタクシーで来るのだろうか

 

 

 

4 沖縄タイムス 読んでいて 初めて知った話

 

戦争と日本兵 気の重い話になります

 

 

久米島を救った英雄  沖縄本島で捕虜となり捕虜収容所にいた時に

久米島を艦砲射撃する計画を知り、通信設備しかない久米島

だから計画を中止してもらおうと、米軍と一緒に上陸して

住民に投降を呼びかけた

 

新聞の見出しは

 

 

戦わぬ軍、住民スパイ視 1945年・久米島「鹿山隊」20人虐殺(上)

 

リュウキュウマツが生い茂る久米島町上江洲の林。1945年8月20日、青年団だった与那永昌さん(88)は乳飲み子を埋葬した。「胴に大きな刀傷。罪もない赤子まで処刑するかね。哀れで仕方なかった」 米軍は6月26日、久米島上陸。海軍通信隊の鹿山正隊長は宇江城岳にこもり、住民をスパイ視、惨劇が起きた。

 

 

軍が監視、住民同士が密告 1945年久米島「鹿山隊」20人虐殺(下)
 
沖縄戦で「久米島を救った英雄」と呼ばれる仲村渠明勇。
だが遺体は無残な姿だった。
「家族3人とも頭蓋骨がなかった」。
喜久永米正さん(86)=久米島町=は戦後、遺族が収骨に来た時、立ち会った。
 
 
 
住民同士が密告 と書いてあるが、鹿山隊が住民に変装して
島に残っていた家族3人を惨殺した
住民同士も密告があれば同じ運命なので疑心暗鬼となった
他にも大勢惨殺 あり得ないが、戦争とはこうなってしまうのか
戦後何十年も経ってからの、生存している鹿山正隊長の意見も
ネットで見たが、同じ日本人として、恥ずかしい
 
 
 
艦砲射撃を辞めさせようと思ってしたことが、こういう結果になる
8月18日と言えば、日本でさえも、もう終戦だったが
戦争している兵隊はいつまでも戦争を続けていたのだろうか
日本兵に食料を運んだ住民さえも惨殺したという記事を読むと
気が重くなるが、そんな記事を毎日の様にどこかで目にする
沖縄で、同じように日本語を話し、がまんしているのか
忘れるのか 私は、沖縄の人の気持ちがわからなくなる
 
 
 
5 江原啓之への質問状
  スピリチュアルな法則で人は救われるのか
  聞き手 丸山あかね(当時42)  2005年12月 出版の本
 
出版された頃としたら、10年ほど前に本屋で読んだか、
全て読む時間(余裕)はなかった当時
 
図書館で借りてきた本を、病院で相棒を待つ間、読んでいた
 
後日の日記にまとめるつもり
 
運命とは  長生きするとは  10年前に気付かなかったことが
今は、わかりやすくなっている それだけ人生の意味が理解できる
ようになってきたのだろうか
 
人生の終焉に近づいて、人生の意味を知ってもどうかとも思うが
知らずに逝くよりいいかと思って読んでます
 
今から20年以上も前
長生きはしなくていいのよ」 と言った自分より若い人の事を思い出し
江原さんの言う事を知っているはずもないのだが
同じ事を結果としては言ってるな
と、思い出していました
 
父親も太く短く生きたいと言っていたが、
似たような直感的な理由だろうかと、そう思う人達の気持ちを想像し
江原さんの話と比較しながら読んでました
 
今、この歳で読むから、私は何となくわかるのであって
30代の人が似たようなことを言っても、理由はおそらくちがう