糸満の喫茶店からの風景
3か月に1回、病院に行くので送っていった
変わったこと、面白い事 色々ありました
リンガーハット 冷やしチャンポン 745円
ランチ 食べ終わって、店内 100mも歩いていたら
店員さんが走ってきて、お金を渡そうとする
話を聞いたら、人まちがい、チャンポンに何か苦情があったらしい
私は、冷やしチャンポン だし、不満も無い
今回、麺は妙に少なかったが、文句は言ってない
その前に、喫茶店でサンドイッチと珈琲 (相棒の好み)
さらに、隣の sinka で買ったパンまで食べていたから
満腹なのである
ここ、店員さんが、言う言葉が今一つ意味がわからない
カードはお持ちですか と、冷やしチャンポン受け取る時に
聞かれたが、何のカードかもわからず、いいえ いいです
と答えておいた
普通、注文して会計する最初に聞くことだろうが不思議
あまり近くでないから行かないが、便利のいい店なので
月1回くらいは行きたい
麺2倍でも、40+税なので、おばさんでも大盛り食べていた
車の店、住民票持って行った
私は、毎日でも来たいんだけど
珈琲とか新聞とか雑誌とか、車見るとか、私は好きなので
と言ったら、「えっ」 と、驚かれた
(なんで、毎日来たいの みたいな)
でも、相棒が沖縄の人だから、常識があるので、来たがらないし
私はアメリカ人だから常識がないので
と言ったら、30すぎの店員さん 前は中古車屋さんにいたそう
昔の(沖縄の)人は、「悪い遊びはするな」 と言いましたね と
中城のその人は、面白い言葉を言いました
地方によっては、そんな言葉があるのかと、相棒も驚いた
病院で、精算を待つ間の話
60過ぎのおしゃれな帽子をかぶった男性に、パソコンを見ながら
職員が、10万円未入金はいつ払ってもらえますか と聞いていた
男性は、えっ と身に覚えがない様子で
日付を聞くと、あ、おれが入院して手術した日か と、4年前らしい
次、5万を2回に分けて払うという話をしていたそうだが
そもそも、お金払わずに、その後の治療が受けられるのか
沖縄らしいなと相棒は言うが、平等を方針に掲げる病院だが
「何か自覚症状はありますか」 と、聞かれると、それは無いから
そこで終わってしまうのが、気になる点です
内地の開業医では、こうすると、4月に行った時、具体的に聞いた
それが親切というか、一般的な診療だろうと思う
(私は、その方法を聞いただけで、その先は、とめている)
そんな丁寧な診療をしていたら、「平等」 で溢れかえる病院は
患者が殺到しているので、ムリなのだろう
やっぱり 「平等」 をうたい文句にすると、できないこともあるのだな
と、何もかもいいわけではなく
内地の病院なら、紹介状ないと受診できないシステムもあるのに
誰でも平等を続けるのは、限界がいつかは来るはず
というか、もう来ているはず
でも、それは沖縄という土地を選んだ自分の運命みたいなものだから
もっと小さな離島であれば、さらに不便な事も不可能なこともあるし
甘受しなくてはいけない
それがイヤなら、自分でセカンドオピニオンというか、ファーストオピニオンすら出てないのだけど、他の普通に料金とる病院に行って
診察をお願いするのであろう
暑いともう考えるのも面倒になるので、気にしないようになる
午後2時すぎ、待合室で一人で診察を希望する重病そうな老人
急病だったのか、時間外に来て先生の名前を呼び診療を希望する人だったらしい
救急車で来たなら処置されるだろうが、自分で来たのだろうかと
相棒から、後で話を聞いて、驚いた
自分が急病なら、先輩のように、自分で救急車を呼んでとなるのだろうが、沖縄の人はどうしているのだろう
遠慮してタクシーで来るのだろうか
沖縄タイムス 読んでいて 初めて知った話
戦争と日本兵 気の重い話になります
久米島を救った英雄 沖縄本島で捕虜となり捕虜収容所にいた時に
久米島を艦砲射撃する計画を知り、通信設備しかない久米島
だから計画を中止してもらおうと、米軍と一緒に上陸して
住民に投降を呼びかけた
新聞の見出しは
戦わぬ軍、住民スパイ視 1945年・久米島「鹿山隊」20人虐殺(上)
リュウキュウマツが生い茂る久米島町上江洲の林。1945年8月20日、青年団だった与那永昌さん(88)は乳飲み子を埋葬した。「胴に大きな刀傷。罪もない赤子まで処刑するかね。哀れで仕方なかった」 米軍は6月26日、久米島上陸。海軍通信隊の鹿山正隊長は宇江城岳にこもり、住民をスパイ視、惨劇が起きた。
だが遺体は無残な姿だった。
「家族3人とも頭蓋骨がなかった」。
喜久永米正さん(86)=久米島町=は戦後、遺族が収骨に来た時、立ち会った。
