私の遺言 佐藤愛子 著 | 猿の残日録

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いろんなことがあるが、人生短いから前だけを見たほうがいいですよ。江原啓之 今宵の格言

7月1日 ビーチ 夕陽 慶良間の島の上で雲があって

思ったより冴えなかった

北部の夕陽は、やはり南部では望めないのだろうか

 

 

女性のエイサー  昔は男が太鼓、女の子が踊りだったそうだが

  女性ばかりでなかなか かっこよく演舞してました

 

 

 

私は、仕事しようか、迷っています

規則正しい生活には、仕事が良いです

 
私は、まだ死に支度を終えていないので
 (始めてもいないともいえる)

 

人生は仕事の為にあるのではない という言葉や

老後は人生の総仕上げをする時期という言葉を見ると

仕事してる場合じゃないよと

さりとて、何か意味あることをするでもなく

今の怠惰な生活をしているのも、かなり疑問はあり

そろそろ、まともに準備しておかないといけないと

考えております

 

 

 

私の遺言 佐藤愛子 著

初出 2001.3月号 ~ 2002.6月号 新潮45

 

 

第5章 死後の世界 を、じっくり読みました

他の章は、かなり難解でした

 

 

 

 

人が死ぬと肉体がなくなり、それに従って欲望も消えてしまえば

魂は浄化される

だが生前の欲望や情念を意識にこびりつかせて死んだ人の魂は

その意識のために浄化されずにいわゆる「成仏しない」といわれる

状態でさまよわなければならない

 

だから我々凡俗が老後にしなければならないことは

欲望や情念を涸らせることであろう  (涸らせる=からせる)

 

老後は「楽しむ」ものではなく、人生の総仕上げをする時期

死を迎える心の支度をするべき時だと私は考えている

 

といっても物質の世界に生きている限り人は生活をしなければならず

欲望というものが必要である

 

(中略)

 

私はこの秋に七十九歳になる

 

(中略)

 

私は十分に生きた

後は死を待つばかりである

どんな形で死がやって来るのか

たとえ苛酷な死であっても素直に受け容れることが出来るように

最後の修行をしておかなければならない

 

以上をもって私の遺言は終ります

 

 

 

 

1923年11月生まれ なので 2017年は、94歳

 

本人 まだお元気なので、今でも・・・・・・・

本屋さんで何冊も本が出版されどれも重版 人気がある

内容は、以前も図書館で借りて読んだように読みやすくなっていて

この「私の遺言」 ほど読みづらくはないのがいい

 

「私の遺言」 は、内容はあるが、

 

あまりにリアルにあの世の話が書いてあり、そういうものかなと

ちょっと驚いております

 

 

 

かっこ内親王のブログ から、部分コピーです

 

相曾誠治(アイソセイジ) さん 

「ことむけのみこと」とは多分「言向命」と書くのであろう。即ち力で従わせるのではなく、言葉をもって導くという意味であろう

 

 

 

次は、中川昌蔵さん について調べていて


なぜ御所は襲われず正倉院の宝は盗まれなかったのか 中川昌蔵さん (14)  というブログ からの 部分コピーです

 

小林正観「守護霊との対話 中川昌蔵の世界」という本があった。
 
中川昌蔵さんは自分の守護霊と話ができるそうで、守護霊さんに教えてもらったことが色々書いてある。
 
 その中で以前から私も不思議に思っていたなぜ御所は襲われず
正倉院の宝は盗まれなかったのかについて中川昌蔵さんは自分の守護霊さんに聞いた答が載っていた。
P189

小林 
 「時の軍事的権力者が20人から30人かの部下に「御所を襲え」と命じれば、いつでもそうできたはずですが、それをした人は誰もいませんでした。」
 
中川
 「正倉院の扉などは斧一つあれば簡単に壊すことができ、しかも中に宝物があることは誰も知っているのに、なぜ正倉院の宝は、今まで盗まれなかったのか」
 
 私も一度京都御所の中に入ったことがあるが、回りをちょっとした堀と多少高い壁で囲われてはいるが、時の権力者が自らを守るために築いた城と比べれば、およそ無防備なものだ。よくもまあこんなところに千年以上もいて命を狙われなかったものだと思ったことがある。
 
中川さんが守護霊に聞いたその答えによると

「天皇家は三十数名の高級霊団にいつも守られており、正倉院も常に十名以上の守護霊団が守護しているので、盗むどころか入ることさえできないということなのです。

 もし、それを無視して入るようなことでもあれば、病気になるとか、手足がおかしくなるとか滅多にないことですが、たちまち神罰が下されるらしいのです。」(P190)

 

以上 備忘録です