すべての「別れ」は幸せのためにある | 猿の残日録

猿の残日録

いろんなことがあるが、人生短いから前だけを見たほうがいいですよ。江原啓之 今宵の格言

梅雨明け、エアコン ドライ27℃ 私は寒いが仕方ない

 

 私は、バルミューダで過ごせるのだが・・・

 

晴天がしばらく続きます

 明日が慰霊の日

 

 まだ明るいが、夜 6時過ぎると、帰り支度なのか

 

 

 海を見ている人はあちこちいます  18:40

 

 

夜 7時4分 水平線に雲がある から、Best ではないが

  これから夏の間は、いつでも見られる (わざわざ見に行くか)

 

  でも、私は気分は観光客なので、天気が良い日は

  朝でも昼でも夕方でも、見に行きたいのだが

  ついつい、エアコンの中で忘れて、1日が終わるのです

 

 

人はなぜ死を恐れるのか という本は

 丸山圭三郎さんと、黒鉄ヒロシさんの共著

 

 

 そういうふうにプログラムされている

 そうでないと皆あちらに行ってしまう と、 私は、憶えている

 

 

 

すべての「別れ」は幸せのためにある という本は

 

2015年 木村藤子 さん

 

 金スマで飯島愛さん引退を見ていた時の人

 70 図書館でたまたま見て読んだ本

 

 ビーチで、間断なく吹く カーチーベーを受けながら読んだ

 

 強烈な日射しの中、木屋根の下で、スケボーの小学生が

 走り回る中で読むのは、なかなかいい

 

 

 「運命の糸」の本数は人によって違う

 

 ふしぎなことに、異性につながるカルマの糸の本数は、人によって

 異なっています

 1本の人もいれば、2本、3本の人もいます

 それ以上持っている人もいれば、1本も持っていない人もいる

 ようです

 

 糸の太さはいろいろあり、それが物事を複雑にしているようです

 

 相手が複数の糸を持っていたとしても、あなたにつながる糸が

 細くて、心もとない糸であれば、つながっていることさえ

 相手に気付いてもらえない場合があるのです

 

 異性につながるカルマの糸が心もとない1本だけだったり

 1本も持ってなかったり

 そういった場合、結婚の機会にめぐまれないことがあるのです

 

 今世は結婚ではなく、友人や同僚として関わった人との縁を

 深めるためにあるのかもしれません

 子供を育てなかったとしても、知識を得て人生を謳歌している人を

 見るにつけ、私は深い感動を得ることがあります

 

 

ここから、あとは、ちょっと かも知れない内容になります

 

 

 第5章で、人は太陽と死を直視できない

 17世紀のフランス貴族 ラ・ロシュフコーの言葉

 このあたりから、かなり参考になる内容でした

 

 

死は再生するための「スタート地点」でもある

死は怖いことではなく、安らぎである

 

著者が、手術の後に臨死体験をしてる その内容と、さらに

亡くなった方のその先を霊視した内容がなかなか凄い

 

寿命は神様が決めた修業期間

 

 この世の1年間は、神様の世界の1日にあたるようです

 神様に「70日間、心の修行を」と、この世に送り出されれば

 70歳まで生きられるし、「30日間、心の修行をせよ」と

 いうことなら、30歳がその人の寿命ということになります

 

 寿命は人間の意思を超えて、神様があらかじめお決めになった

 命の長さですから、残された人はどうすることもできなかったのです

 

 神様にとって、100歳で亡くなった人と10歳で亡くなった人の差は

 100日にも満たないわけで、大差はないようなのです

 

 それ以上に、神様の世界では、幸せな人生だったかどうかを

 生きた長さでは測らず、長さ以上に、その質を問題にしているのです

 

 肉体を離脱した霊魂があの世へ直行することはまれで

 たいていは100日ほどの間、この世で浮遊しているということ

 

 また、霊はこの世にとどまりっぱなしというわけではなく

 どうやらあの世とこの世を行ったり来たりしているようです

 

 この世へ生まれてくるのは、前世でやり残した「心の宿題」を

 するためであり、前世で解消できなかったカルマの汚れを

 一生懸命に磨くためです

 

 そして、そのための場が、現世であり、この世は人生の修行の場

 としてあるのです

 

 現世というひとつの道のりを終えた魂はみな、さびしさも恐怖も

 不安も感じることなく、あの世へ戻っていきます