極楽飯店 第8章~第10章    | 猿の残日録

猿の残日録

いろんなことがあるが、人生短いから前だけを見たほうがいいですよ。江原啓之 今宵の格言

天国は全てが思い通りの世界で、できないことなど
何も無い
ありとあらゆる欲求が、その場で叶う
まさに、人間界で憧れていた夢の世界

そこで長らく生活している姿を想像してごらん

そして考えるんだ

そこで君たちは、最後に何を望む?

全てが思い通りの世界で求める最後の望みは
思い通りにならないこと

望みが叶う世界にいると、望みが叶いづらい世界を

望みが叶いづらい世界にいると、望みが叶う世界を望む

そして、自らの意思で、その二つの世界を何度も
往復し続けている

         

読むとわかりやすい本です

そのまま転載すれば良いのですが、ちょっと長くなるし

(書店で座り読みしても済む量ですが・・・)

7章までが妙に長く、8・9・10章はいきなり本題に入る

内容が濃く、これまで疑問に思ってきたことが解消されました

とても良い本だと思います

ただ、こういうことを知りたくない人はいるわけで
そういう人にどれだけ話しても聞く耳を持たないから
それはそれで、輪廻を繰り返せばいいのではないかと
思います


順不同に転記してみます

命は1つ

「生」という《始まり》があって、「死」という《終わり》があるという
その考えがそもそもの誤り

「生」に対局はない 「死」は存在せず「生」だけがある

つまり、命には《始まり》という起点そのものがない

人間一人一人に、"個別の命"があるのだとしたら
おかしなことになると思わない?

精子の命と、卵子の命が別々にあるのだとしたら
それは誰の命なの?

精子の命は、お父さんの命?
それとも、君の命?

卵子の命は、お母さんの命?
それとも、君の命?

じゃぁ、その精子と卵子が結びついた結果としての
君の肉体には、精子分の命と、卵子分の命
二つの命が宿ってるってことでいい?

だからね、『個別の命がある』っていう概念自体が
間違ってるんだ
『自分の命』だなんて、そんなものは最初からないんだよ

最初から、個別の命などない
元からないのだから、それを消失できるはずもない
だからこそ、人間が思っているような死、
つまり「命を失う」ということはありえないのだ

ないものをあると錯覚し、根本的な誤りを土台とした
パラダイムの中で生きるからこそ、人間は苦悩から
抜け出せない

存在の全てが本来は一つの同じものだという真実を
見失い、「分離」という幻想の中に埋没しているからこそ
そこに苦しみ(地獄)が生まれるのだ

君たち一人一人が、《個別の命》を持ったことなんて
一度もない

『自分が生まれた』という感覚も、ただの思い込みでしかない

常識に縛られることなく、シンプルに考えてごらん
君たちはいつ生まれ、いつ死んだっていうの?

君たちはいま、人間界を去ってこうしてここに存在してるワケだけど・・・。
これって、生きてるの? 死んでるの?

肉体を失ってなお存在し続けているというこの現状を
「死」と呼ぶのなら、一体誰が死んだことになるのだろう

これまで、人はみなそれぞれの命を持っていて
それを失うことを「死」だと思っていた

「誰か」や「何か」、生物が死ぬというのは、目に見えぬ
その命が消えてなくなる、そういうものだと思っていた

が、今現在、消えてなくなると思っていたものがなくなっていない
だとしたら、これは「生きている」ということなのか・・・。

死んだはずなのに死んでいない
「ここが死だ」と言い切れる地点は確かに見つからない




世界は人(分離した自己)の数だけ存在する
例えば、「馬鹿」と言われて平気な人もいれば
深く傷ついちゃう人もいる

人間は一晩のうちに、浅い眠りと深い眠りを
交互に繰り返している

深い眠りは、思考と恐れが完全に消失した眠り

そこにおいて、生命エネルギーの多くを得る

一晩に数分程度、たったそれだけの中で
24時間活動するだけのエネルギー供給を受ける

でも、残念ながら深い睡眠で得られるその感覚は
記憶されることは少ない

眠っているときは、思考や恐れと同時に、自覚も
消失してしまっているから

もしその感覚を朝起きたときに持ち帰ることが
できたなら、予知夢などの特異なインスピレーション
として活用されただろう

本当は睡眠じゃなくてもいい

問題は、いかに思考や恐れから離れられるかって
話だから

思考と恐れがないというのは、リラックスしきっている状態

その一つが、腹から笑っているとき

人は、思い悩みながら笑うこともできないし、
恐れながら笑うこともできない
つかの間ではあるが、笑いというその瞬間においては
まさに思考も恐れも消え去っている

しかも、睡眠時とは違って、意識が途切れるということがなく
無思考というその状態を自覚することができる

だからこそそこで、思考や恐れと引き替えに現れた
解放感や安心感、歓喜や充足感、信頼や一体感などといった
暖かなエネルギーを味わうことができる

それは言うなれば、日々「自分」を守るため必死に
抱えていた盾を下げることのできる安心と信頼

緊張・防御姿勢からの解放


順番を不同に載せてみましたが
素直に本を読めば、わかりやすいと思います


誰も君を地獄に落としなんかしないよ
誰一人として、地獄に落とされた人なんていない
そうではなくて、自分で地獄を望み、選び、創り出しているんだ
「地獄」っていうのはね、自らの意思で幸せを遠ざけようとする
馬鹿げた世界のことなんだよ

人間は自分のいる世界が、自ら作り出した幻影であることに
気づいていないんだ  (何故か ここは 創り出したではない)

そして、その世界を現実と錯覚しているからこそ、
僕たち(守護霊)の声に耳を傾けられる者は少ない


         

最近、良い本に出合えることが多くてうれしいです