「これは現実に起きてることなの?」
「この津波はどこに向かってるの?」
10年前のあの日、車の中で見たワンセグの映像が忘れられません。
広い海に突如現れた巨大な津波が、意思を持ってるかのようにもの凄いスピードでどこかに向かっている。
それが沿岸の町に向かっていると知ったとき、言葉を失いました。
飲み込まれていく町をただ見ることしかできなかった。
画面越しで。
正直、内陸に生まれ育った私からすると津波の恐怖は想像でしかないんです。
地震は嫌ってほど何度も体験してるのに、津波は全く体験していない・・・
確かにあの地震で家の中はメチャクチャになりました。
でも少しの時間で片付いて元通りになりました。
壊れたものはあったけど、失ったものはありません。
家も町も仕事も大切な人も、全て残っています。
あの日同じように被災したはずなのに、あまりにも違う被害の大きさを目の当たりにして、年々強く感じてることがあるんです。
私は被災者ではなく、ただの体験者なんだ。
これは内陸に住んでいる者の負い目だと思います。
だからなんでしょうかね、自然と沿岸の町に足を運ぶ回数が多くなったのは。
ここ数年1人でフラッと出掛けるのも、友人と遊びの計画を立てる時も、必ずと言っていいほど沿岸の町を選びます。
石巻、女川、南三陸、松島、塩釜・・・
まだ宮城県内しか行けてないのですが、岩手にも福島にも、青森にも秋田にも山形にも行きたい所がたくさんあるんです。
なのでいつか行ける日が来たら友人を誘って行きたいと思います。
今からそれが楽しみでしょうがないです。
私は東北が大好きです。地元宮城が大好きです。
そんな大好きで大切な場所が悲しみに包まれたあの日を決して忘れません。
今でも涙が止めどなく溢れてきます。
あれから10年経ちましたが、これからもずっと東北の町を見続けていきたいと思います。
今日で東日本大震災から9年が経ちました。
この9年で、何が無くなって、何が新しく生まれて、私たちの街はどう変わったのでしょうか?
友人に名取市閖上出身の方がいます。
閖上と言ったら津波で壊滅的な被害を受けた地域です。
去年からその友人に連れられて閖上に行く機会が何度かありました。
少し離れた内陸に住む私は、同じ宮城県に居ながら今まで閖上には行ったことがありませんでした。
そんな私に友人は、何も無くなった場所を指差して「ココにはこういう店があったんだよ」などと色々教えてくれました。
そんな閖上には去年新たな商業施設『かわまちてらす閖上』が出来ました。
そこには昔から閖上にあったお店もいくつか入っているそうです。
その1つである『漁亭浜や』
閖上に来たらしらすを食べなきゃと思い、食べたらやっぱり美味しかったです。
日和山にある『閖上湊神社/富主姫神社』
『名取市東日本大震災慰霊碑』
亡くなった方の名前が刻まれている石碑を見て何人か知り合いを見つけた友人。
馴染みの知り合いや同級生が同時に何人も亡くなってしまうっていうのはどういう気持ちなんだろう?
生まれ育った町が一瞬にして無くなってしまうってどんな気持ちなんだろう?
簡単に言葉にしちゃいけない気がして、私はただ友人の背中を見つめることしか出来ませんでした。
私が住んでいる所はもうほとんど震災の影響がないけれども、唯一寂しいなと思うのは母校の存在です。
地震で建て直した新しい校舎は形が変わり、通ってた頃の面影は全くなくなってしまったので、その場所を通るたびに何とも言えない気持ちになります。
でも今はこう思うんです。
形は無くなっても心は無くならない。
語り継いでいけば決して思い出は無くなることはない。
そこに大切なものがあった、そこにみんなが居た事実は変わらないのだから。
「海が憎いんじゃない。津波が憎いんだ」
9年後の3月11日は、少し風は強いけど良い天気です。
終わっちゃったね、リュウソウジャー。
先週からの流れが感動的で大号泣ものだったよ(´;ω;`)
強大な力のエラスに苦戦する中、ふとカナロが発した言葉。
「このままでいいんじゃないか?」
エラスによって眠らされてる人たちは、みんな失敗も絶望もない幸せな夢を見ている。
そんな人たちを目覚めさせ現実を見せるより、このまま眠り続けている方がいいんじゃないかと。
分かる、分かるよ。私も幸せならそれでいいと思う・・・
んでもアスナが涙ながらに力強くこう語るんだよね。
「幸せな夢を見てるつもりかもしれないけど、夢の中ではいくら食べてもお腹は膨れない!」って。
幸せな夢という名の過去の記憶や願望より、やっぱり人との出会いや温もりを直接感じられる現実が良いんだと。
それに続きメルトも「昔の自分なら失敗のない世界を望んだかもしれない。でも今はみんなが助けてくれるから前を向いて強くなれる」と話しててさ。
バンバもこう言ってた。
「誰しも失敗したり過ちは犯す。でもそれから逃げることが一番の罪だ。」
そうだよね。現実から目を背けちゃいけない
争いがあった歴史は変えられないけど、これからはみんなで紡ぎ合って繋いでいく未来を創るために戦うというリュウソウジャーたちの表情カッコ良かったぁ
そして最終回。
仲間を信じる心、絆、愛に溢れた話だったよ
コウがエラスにやられた後の5人の怒りと熱い決意に満ちた静かな変身。
珍しく1人欠けた中での変身だったんだけど、ちゃんとコウもいるぞっていう演出が泣けたわ。
ちゃんとそこに居たよ、コウ(*´ω`*)
最後にみんなが助けに来た時のコウの嬉しそうな顔、最高だったよ
「1人じゃダメでもみんなとなら乗り越えられる」
「失敗することもあるだろうけど仲間がいれば何度でも立ち上がれる」
「命は永遠じゃないから笑ったり泣いたりして必死に生きていく」
「そして未来に笑顔や命を繋いでいく」
1人で生きてきたエラスには仲間の大切さは分からなかったかもしれないけれど、最期に少しはみんなの思いが伝わったんじゃないかな。
だってエラスとリュウソウジャーは繋がってるんだもんねっ
もう1人じゃないよ。倒しちゃったけども・・・
やっぱり良いね、戦隊ヒーローって
ほんと大人になった今でも何度でも大切なことに気付かされるよ。
ありがとう、リュウソウジャー
「みんなと会えてよかった。また会おう」
普段あまり映画館へ足を運ばない私が「コレは観たい!」と強く思い、数少ない尾崎好きの友人を誘って先日観に行ってきました
『尾崎豊を探して』
まぁ正直全て見尽くしたよと思うくらい今まで色んな映像を見てきたからちゃんと楽しめるかなと思ったけど、徐々に込み上げてくるものがあって後半はずっと涙が止まらなかった(´;ω;`)
どんなに涙が流れ続けても一切拭かずそのまま最後までずっと見入ってたよ。
それくらいスクリーンの中の尾崎豊は凄かった
生きることに必死で、全力で、不器用で、繊細で・・・
なんでもっと楽に生きられなかったのかなぁと思っていたけど、尾崎豊はあれでよかったのかもしれない。
十分濃過ぎた26年だったんじゃないかと。
でもやっぱり短すぎるよ、26年なんて
ライブ行きたかったなぁ。
生で見たかった。 生で聴きたかった。
世のお正月休みというものは昨日で終わったんでしょうかね?
今日から仕事始めの方々お疲れ様です。
朝ものすごく眠かったですよね。
分かります、私はいつも眠いですから(˘ω˘)
それよりも今年は群馬から兄家族が来たので少しばかり賑やかなお正月でした。
2年ぶりに会った5歳の姪っ子は可愛く成長してました
ただ私のことは憶えていなかったらしくガッツリ人見知りをかまされました。
叔母ちゃんショックーーーーーーー
あまりのショックに一言も会話していません
ずっと家族団らんを遠巻きに見てました。
2年前のあの思い出は何だったんだろう・・・・・
夢じゃないよね?私あの場に一緒にいたよね?
でも考えてみたら5歳の時の3歳の記憶って無いのかもしれないね。
私も多分無かったと思う。
大人になった今では「そういえばあの時あんなことあったな」って思い出せるけどね。
ポラロイドみたいに年月が経てば段々と思い出してくるのかな?
だからもしかすると姪っ子ももう少し大きくなれば私のことを思い出してくれるのかもね。
「そういやあのちっちゃい叔母さんと手つないで歩いたことあったわ」って。
そうなることを祈ります。
それまで頑張って生き続かなければ。