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あなたの知らない沖繩と琉球舞踊

観光や日常生活では気づかない知っているようで知らない沖繩や琉球の歴史や文化、華やかな琉球舞踊の事を徒然と書いていきます。

 

本当に強い人は自分の弱さを知っている。

本当に強い人は人の痛みも知っている。

だから強い。だから優しい。

 

 

 

 

空手といっても様々ですが・・・

 

現在、「空手」といっても様々なスタイルがあります。

 


ボクシングのように実際に打ち合いをするスタイル
寸止めをするスタイル
型を追求するスタイル
空手以外の要素が混じったスタイル・・・

 


今回はそのような空手のスタイルについて
考えるものではありません。

 


また、空手の話の時に必ず出てくる
「どのスタイルが本当に強いのか?」
を考えるものでもありません(苦笑)

 


私は空手や格闘技をしないので
興味も無いのですがとにかく異なる条件で
最強を決めるのは無意味に感じます。

 

 


よく説明で採り上げるのですが
沖繩のエイサーの状況がよく似ていると思います。

 


沖繩のエイサーにはオリジナル的な
古い型が存在します。
それも各地で少しづつ異なり
その土地で受け継がれてきました。

 


一方で近年は創作エイサーも増えました。
沖縄民謡以外の曲を振り付けしたり
曲は民謡でもオリジナルの古い踊りに
アレンジを加えたり・・・

 


年配者はそれを見て
「あんなものはエイサーじゃない」
と眉をひそめますが

 


若い世代から見ればそれは紛れもない
エイサーそのものです。

 


古いから偉い、素晴らしい
ではなく新しいものにも文化の継承
として素晴らしいものがあると思います。

 


どれが最良と美しいというものは無いのです。
すべてがエイサーなのです。

 

 

 

 

「空手に先手なし」という言葉が表す世界観

 


話を空手に戻します。
沖繩の空手には古くからの格言があるそうです。

「空手に先手なし」



これは伝説的な空手家の船越義珍先生
の空手二十ヶ条の中にある言葉です。

 


あまりにも有名な言葉ですが
沖繩らしい含蓄のある言葉だと思います。

 


この言葉は「空手の心得のある者は紳士の行動をし
好戦的にはならずに立ち振る舞え」的に解釈されます。

 


でも、その考え方は過程であり
真の目的は「相手を傷つけずに戦わずして勝つ」
事なのだそうです。

 


つまり「戦う事」自体を戒めているのです。

 


世界各地には様々な武術があります。
しかし、ここまで崇高な理念の武術は無いです。

 


そのような特徴があるからこそ
世界中に拡がり受け入れられたのかもしれません。

 

 

沖繩空手における「型」の重要さとは?

 


いきなり結論めいた話をしましたが
沖繩の空手の特徴は徹底して「型」
を繰り返します。
実戦練習ではなく「型」です。
 



「型」とは
一人で演武する空手の練習形式。
各種の技を決まった順序で演武し、
演武時間は型によって数十秒から数分間続く。

修業者は型の練習を通じて、
空手の基本的な技や姿勢を身につけるだけでなく、
組手などへの実践応用に必要な
空手独特の身体動作を身につけることができるとされる。

引用:wikipedoa
 

 



型の中には先人からの英知が反映されていますが
この型を繰り返すという事は心の鍛錬にもなると
言われています。

 


型は地味がゆえに継続する事は極めて難しいです。
この地味な型を継続するには強い自制心が必要です。

 


空手に対する考え方やひいては自分自身
への洞察すら求められているのです。

 


競技空手の中の伝統空手の型と
沖繩空手の型は同じ名前の型でも
全く違います。

 


やはり競技空手は採点競技なので
見栄えや美しさも追求されています。

 


しかし沖繩空手の型は地味であり
動きも必要最低限です。
しかしマグマのように内燃するものを
素人でも感じる事ができます。

 


語弊を恐れずに言うなら
「殺されそう」
という生き物としての危機センサーが
働きます。

 


どれが良いとか悪いではなく
型に対する捉え方の違いなのでしょう。

 


同じ型でもかなり違うのが判る動画がありました
  ↓   ↓   ↓

 

 

 

琉球舞踊にも同じ事が起きている

 

このような型の変化は沖繩空手だけではないようです。
琉球舞踊も各流派や解釈により同じ演目でも
少しづつ変わっているようです。

 


外間守善先生の書いた「琉球舞踊の歴史」
という本の中にこう記されています。

 

 


昭和11年の東京公演を見た小寺融吉は、沖縄舞踊界について次のように警告している。
「師匠の資格と云う者が一定してゐないので、ほんの少しばかり数を覚えると、忽ち師匠として立つ、なにしろ師匠の需要が盛んなので、インチキ師匠でもやってゆける。然し此のために古い型がドンドン崩れますと某氏が云はれた。古い型が崩れると云ふことは、沖縄ばかりの話ではない。そして此の問題に関しては東京の舞踊家や舞踊評論家ですら、関心の度が足りない。古い型が崩れるのは、その事自身が惜しむべきである以上に、新しい型を生むために致命的損失になる。
 この指摘は50年余も前になされたものであるが、その危惧は現実性を加えつつ今日の沖縄舞踊の前に大きく立ちはだかっている。

外間守善著「琉球舞踊の歴史」まえがきより引用
 

 

 

この本は1988年に発行された本で今から30年前の本です。
そして引用した小林融吉先生の警告は今から82年前です。
空手、エイサーに限らず琉球舞踊にも時代の変化が
ずいぶん前から押し寄せていたという事は
文化の保持の困難さを表していると思います。

 

 

 

 

空手と琉球舞踊の意外な関係


空手から少し話はそれましたが
空手と琉球舞踊にも関係性があります。

琉球舞踊の演目で「前の浜(メーヌハマ)」があります。

 

 

 

 

「前の浜(メーヌハマ)」とは、
那覇港北岸にあった風光明媚な所で、
対岸までの渡し船の風情や、飛び交う浜千鳥を称えた二才踊りです。
黒紋服に白のうけはちまき、白黒脚絆、白足袋で踊られ、空手の技法が取り入れられています。
若者のりりしい姿が力強く表現されていて、手踊りの二才踊りとして代表的な舞踊です。
引用:weblio辞書

 

 

 

 



 

 

沖繩空手の型にも通じる「凛」とした空気は
沖繩の伝統の力強さを感じますね!


沖繩の空手と芸能には昔から関係があるようです。
昔は空手の達人は同時に三線の達人でもあった人が
多かったようです。


その生き証人のような人がいます。
沖縄空手道小林流妙武館総本部館長の松田芳正さんです。

 


松田さんは館長の肩書と同時に那覇市辻で製作している横顔があります。
武術家としての逸話はすごいものです。

 

 

●数々の武闘家に決闘を申し込まれるものの、
受け身一手でかわしまくり、根気勝ち。

●オリンピック出場の柔道の選手、格闘家などが訪問し教えを請うたり、
首に道着の帯を巻き、両側から横綱級のお相撲さんに思いきり引っ張らせ、そこから、首の動きだけで脱出することができたり、

 

●数々の武闘家に決闘を申し込まれるものの、
受け身一手でかわしまくり、根気勝ちしたり

 

 


沖繩空手の生きる伝説みたいな人です。
しかし三線を創る腕前も超一級。松田さんの三線を求めて国内外からお客が来るそうです。

 

写真引用元:ほぼ日ニュース
 


松田さんは言います。

 

 

 

「ぼくは空手をやってますからね、
基本は『心技体』です。
このバランスがたいせつです。
心はわかるね? 精神力のこと。気持ちのこと。
ところが、『技』『体』にすこし誤解がある。
『技』は、芸術のことなんです。そして、
『体』は健康、人間尊重のことです。
闘うことではありません。」

 

記事引用元:ほぼ日ニュース
 

 

 



これで謎がとけました!
昔の空手の達人は空手の「技」と同時に「芸術」も同等にとらえて研鑽していたんですね!



空手の中にある「戦い自体を戒める」という

考え方そのものだと思います。

 


人間の歴史は戦いの繰り返しです。

いにしえの琉球でも権力闘争は骨肉の争いでした。
でもその中からは弱肉強食の思想は発展せず代わりに

「和を尊ぶ」という思想が武術、琉球舞踊などに

反映されていった事は私達の誇りになる歴史だと思います。

 


そのような観点から現在のスポーツ化した空手を観る時、複雑な心境になるのは私だけでしょうか?

 

 

最後に・・・

「なぜ沖繩の空手は世界に受け入れられたのか?」

「どんな困難にも負けないちから強い心」を養えると感じたからではないでしょうか!

 

 

 

 

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永遠は一瞬ではない一瞬が永遠

 

日常品の芸術品バカラ

 

バカラのグラスをご存知でしょうか?
バカラは、1764年フランス東部ロレーヌ地方のバカラ村に、ルイ十五世の認可のもと創設されました。
完璧なまでの質の高さ、そして時代の美を形にする高い創造性が評価され、パリ万国博覧会でグランプリを受賞したことを契機に多くの王侯貴族に愛用されることとなり「王者たちのクリスタル」としてその名を知られるようになりました。

 

 

 

 

フランス国内では、今でも大統領府であるエリゼ宮での晩餐には必ずバカラのグラスが使用されています。
その美しい形と歴史に彩られたバカラには世界中に多くのファンがいます。
でもなぜ、バカラのグラスはそこまで美しいのでしょうか?
ある人が、このように説明していました。

 


“バカラのグラスは芸術作品のように美しい。でもガラスはいつか割れる。その儚さが美しさにさらに磨きをかけている”

 

 


もし、バカラのグラスが同じ形でも、決して割れる事のない素材や金属だったとしたらその美しさは半減していたかもしれませんね。

 

 

 

 

沖繩の儚い名作「伊江島ハンドー小」

 


儚さは古今東西、人の心を掴んで離さない要素です。
権力の儚さ、愛の儚さ、友情の儚さ、夢の儚さ、命の儚さ、時間の儚さ・・・
人は終わりを思い描く事でそこに感情移入し魂を揺さぶられます。

ここ沖繩に愛の儚さを描いた名作があります。それが「伊江島ハンド-小」です。

 


■ 伊江島ハンド-小 あらすじ ■

昔、沖繩本島北部国頭村辺土名にハンドー小というとても綺麗な娘がいた。
ハンドー小は村ではとてもモテて何人からも求婚されていたが断り続けていた。
そんなある日、ハンドー小は台風で遭難した伊江島の島村家の男・加那の世話をする事になった。
加那はハンドー小の容姿に惚れ、ハンドー小も加那を理想の男性と感じ、二人はお互い恋に燃え上がる。
ところが加那には伊江島に妻子がいた。迎えに来た叔父に連れ戻される加那は、ハンドー小には何も言わずに帰ってしまう。
互いに愛を誓いあった加那に心変わりがあるはずがないと信じているハンドー小は、従妹のマチー小と船頭主の取り計らいで伊江島に渡る。
しかし信じていた加那や島の人たちに冷たくされ、加那の父には酷い暴力を受けることになる。とうとうハンドー小は城山で自ら命を絶ってしまうのだった。
その怨念は・・・。


伊江島ハンドー小は沖縄の四大歌劇の中でも、人気の作品で、真境名由康の傑作中の傑作と言われている作品で有名なものです。儚い愛の中に見え隠れする感情は現代人にも共通するものです。

 

 

 

あらためて「儚い(はかない)」とは??


さて、ここであらためて「儚い」という意味を調べてみました。

 

 


「すぐに無くなり虚しいさま」
「不確実で実現の見込みがなく頼りにならない」

という意味です。

「儚」は「ボウ」と音読みし、
「暗くてはっきりしない」という意味になります。
「夢」は「はっきり見えない」という意味になり、
人間がはっきり見えない=暗いという意味になったと言われています。

説明一部引用:意味ブロ

 

 



儚さを感じるのは人だけですが「伊江島ハンド-小」のように人の関与しないものにも人は儚さを感じる事があります。

 

 

儚い花 サガリバナ


あなたは「サガリバナ」ってご存知ですか?

 

写真引用:travel jp

 

 



サガリバナとは
さがりばな / 下り花
[学]Barringtonia racemosa (L.) Bl.
サガリバナ科の中高木。葉は枝先に束生し、ほぼ無柄、倒卵状長楕円(ちょうだえん)形で長さ10~30センチメートル。縁(へり)は波状で、若葉は赤褐色を帯びる。総状花序は下垂して長さ約50センチメートルに達し、花は白ないし淡紅色。雄しべは多数、刷毛(はけ)状で長さ3~4センチメートル。果実は卵形で長さ約5センチメートル。マングローブ林の後背地や湿地に生え、奄美(あまみ)大島以南、および東南アジア、インドに分布する。
資料引用:日本大百科全書
 

 

 



写真のように、日本の花というよりは亜熱帯の花です。
今は、奄美以南でしか見られませんが今年の酷暑の気温を見ているとそのうち本土でも見られそうですね。今のところ、奄美以南でしか咲かない事になっています。

 


サガリバナがなぜ儚い花なのか?
サガリバナはたった一夜だけ咲き、夜明けとともに散ってしまう幻の花なのです
「たった一夜の美しさ」
これがサガリバナが「儚い花」と呼ばれる所以です。

 

 

 

サガリバナはなぜ、一夜で散るのか?

 

でも、なぜたった一夜で花が散ってしまうのでしょう??

実は夜に咲いて、夜行性の蛾やコウモリに受粉させて、
朝には散って川の上に落ちてそのまま水に流れて繁殖するという
極めて合理的な理由があるのだそうです。


散った花は遠くまで流されやすいような構造になっているようです。
陸上に咲くサガリバナも多いですが水辺やマングローブ付近に咲くのが多いのはこのような理由からだそうです。

 


 

香りも儚さに磨きをかけています。
バニラのような甘い香りが特徴で、サガリバナが群生しているところは辺り一帯が幻想的な甘い香りに包まれているそうです。

 

 

サガリバナを初めて見た時に、すごく風情を感じて、古人はどう感じたんだろうと思いを馳せた事を今でも覚えています (^_^)

 

 

イメージとは違う花言葉は?


色んなドラマがあるサガリバナですが花言葉は
「幸運が訪れる」
力強い素敵な花言葉です。


儚さと力強さという事で最後はこの曲で今回は締めたいと想います。
この曲は伊江島ハンドー小をモチーフにしていると言われています。
男女の立場を逆にして聴くと・・・・




 

 

それではまた!

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

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長く続く事はそれだけで価値があり大切なもの・・・

 

56年の歴史のローリング・ストーンズ

ザ・ローリング・ストーンズは今年で結成から56年を迎えるスーパーロック・バンドです。
今年もヨーロッパでのツアーが発表されるやいなやチケットはあっという間に売り切れました。
あらためて言うまでもなく56年という月日はとてつもなく長いものです。

 

 

ザ・ローリング・ストーンズのボーカリストのミック・ジャガーは雑誌のインタビューにこう答えていました。

Q:  なぜザ・ローリング・ストーンズというバンドはこんなにも長く続いているのでしょう?

ミック・ジャガー:  ザ・ローリング・ストーンズはずっとうまくやってきたバンドだってことだろうね。もちろん浮き沈みはそれなりにあったけれども、大きな成功を収めているし、とても人気がある。アンチもいない。もしもザ・ローリング・ストーンズが皆から支持されていないバンドだったら、間違いなくとっくに消滅していたと思うよ。

「アンチがおらずに長く活躍する」
ミック・ジャガーはさらっと言ってのけていますがそれは普通に出来る事ではありません。人は好き嫌いがあり特に音楽においてはその好みが如実に出るからです。

 

 

 

日本には安室奈美恵がいる


ザ・ローリング・ストーンズほど長期ではないですが日本でも「アンチがおらずに長く活躍する」アーティストがいます。2018年9月16日にデビューから26周年をもって引退を発表している安室奈美恵さんです。

 


安室奈美恵さんの曲はどんな世代でも1曲くらいは必ず知っているという類まれな存在感のアーティストです。おそらく彼女のような女性アーティストは今後二度と出ないだろうとすら言われています。

 


是非一度、安室奈美恵さんの曲をyoutubeで検索してみて下さい。
動画の下にはコメント欄があるのですがどの曲も延々とコメントが続きます。

 


そのコメントにはアンチは見当たらず、興味深いのは特にファンでない人からも絶賛のコメントが寄せられているのです。

他のアーティストのコメント欄と比較すると一発で分かります。
どんなアーティストにも必ずアンチがいて手厳しいコメントがたくさんあります。

 


そんな安室奈美恵さんの魅力は色々ありますが何と言ってもライブです。
MC無しで20曲以上を踊り、歌います。クチパクなんて一切なし。さらに歌唱力もダンスも若い頃より良くなっているという進化は驚異的です。

プロ中のプロでありアーティストの中のアーティストである彼女ですが出身地である沖繩への想いは人一倍強いです。

 

引退する安室奈美恵に贈られたもの

 

そんな彼女は2018年9月16日に引退します。そして、四半世紀に渡りトップアーティストとして活躍した彼女に沖縄県は県民名誉賞を贈りました

 


その時、表彰状とともに記念品として贈られたのは沖縄の工芸品の金細工による「房指輪」「ジーファー(かんざし)」でした。
ご存知無い方のために今回は房指輪を採り上げていきます。

 

 

房指輪とは?

写真引用:M.A.P.after5様

 


房指輪とは?
調べてみると大変歴史のあるものでした。
元々は中国から伝わった習慣であるようです。

 

現在の結婚指輪と違い、房指輪を贈るのは、新郎ではなく両親で、
指輪はペアであり、中指に嵌めていたそうです。

 

この房指輪は元々は首里の王族や士族などごく一部の高貴な家の結婚式の際に親から子に贈られていたものだそうです。

 

縁起のいい7つのモチーフに嫁ぐ我が娘が幸の幸せを託して贈られた房指輪。素敵ですよね!

その7つのモチーフの意味ですが

魚:食べ物に困らないように
ざくろ:子孫繁栄
桃:不老長寿
扇:末広がりの福
花:生活の彩り
蝶:天国の使者
葉:着る物に困らないように


という意味があるそうです。


見ていただければ分かる通りこの房指輪はたいへん美しい
ものですが普段使いするのは難しいです。
婚礼の時に贈っている方もいらっしゃるかもしれませんね。

 

 

現在、房指輪は琉球舞踊でよく使用される


実はこの房指輪をよく見る事が出来るのは琉球舞踊です。
琉球舞踊の有名な「諸屯(しゅどぅん)「かせかけ」や「作田(ちくてん)」など他にも色んな曲でこの房指輪は使われています。

 

 


なぜ、琉球舞踊にこの房指輪が使われるか?という疑問があり調べてみました。
婚礼の時に親から贈られたというのは先に書きましたが同時に房指輪は女性の正装の際の装飾品でもあったそうです。

 


琉球舞踊は元々多彩な芸能のある島である沖繩で育まれた素晴らしい文化遺産です。
15世紀頃、冊封(中国がその属領の主を認証する儀式)で琉球を訪れる中国使者を歓迎する大事な外交的な側面も担っていました。

 

 

そのために首里王府は「踊奉行(おどりぶぎょう)」という大変めずらしい役職を準備したほどです。

ですから琉球舞踊の際の衣装は正装しているものが多いため房指輪も必然的に使われたのでしょう。
静かな踊りの中でスッと手を動かした際にサラサラという何とも言えない美しい音を出すこの房指輪は視覚的には目立たなくても存在感は素晴らしいものがあります。

きっと、中国から来た冊封使も房指輪美しさに魅了されていたに違いないでしょうね。

 

 

絶滅危惧種の金細工職人


ちなみに琉球王朝の時代から首里城の周りには房指輪やジーファーなどを作る「金細工(くがにぜーく・かんぜーく)」という工房が多くあったそうです。
琉球王朝時代、王府の命を受け、鉄以外のすべての金物細工を作っていたという歴史ある職業だそうです。しかし沖縄戦などにより道具や作品が失われ、金細工は一時絶滅してしまいました。

 


しかし現在、首里石嶺に工房をもつ「金細工またよし」の7代目・又吉健次郎さん(83)は沖縄で唯一、金細工職人として、ジーファー(かんざし)や房指輪(ふさゆびわ)などを作り続けています。

 

写真引用:那覇まちまーい

 

写真引用:misaki_okinawajazzfrulute

 

 

安室奈美恵さんに沖縄県から贈られた房指輪とジーファーはこの又吉健次郎さんの作品です。

又吉さんの家は代々この金細工職人(くがにぜーく)でしたが健次郎さんの父にあたる6代目の金細工を復元したのは、健次郎さんの父で6代目の誠睦さんでした。

誠睦さんは戦火が激しさを増す中、幾つかの道具を抱えながら山原まで避難し命からがら難を逃れました。先祖代々受け継がれてきた道具を守り抜き、息子の健次郎さんがそれを受け継ぎ現在、父と同じ金細工を作り続けています。

私も又吉さんの作品を所有しているのですが純銀に繊細な模様が施してあり、比較するのは失礼ですがプレスで出来た廉価品とは風格がまるで違うものでした!

 

写真引用:那覇まちまーい

 

又吉さんは今でも先代と同じ道具と方法で頑なに昔ながらの作品を作り続けています。

私が又吉さんに作っていただいた房指輪です。

 




美しい中に、沖繩の栄華と苦しみが入り混じった味わい深い作品だと思います。
沖繩でだからこそ生まれた作品といえると思います。


安室奈美恵さんの「Baby Don't Cry」
という曲にこのような歌詞があります。
 

 



だってそうして人は何度でも
闇に立ち向かう強さあるはず
与えられて選ぶんじゃなくて
その足で 踏み出して


 


(今でも)歴史に翻弄されていますが
私達は自分たちで選択し歩み続ける事が
一番大事なんだなぁと思います。



房指輪を見ているとそんな風にささやかれている気がします。


最後に安室奈美恵さんではなく(笑)
coccoさんと「金細工またよし」の又吉健次郎さんとの対談をご覧下さい。
琉球の金細工がきっと大好きになると思いますよ!




 

 


 

 

 

それではまた!

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

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