『下手の横好き』 -7ページ目

2020年プチ城攻め・大和国3

2020年2月23日

 

宇陀松山城(別名:秋山城) 宇陀市大宇陀春日

伊勢神宮末社宇陀水分神の神主家である秋山氏が南朝に属して勢力を拡大。

伊勢北畠氏に属して興福寺とも関係を深めた。

 

秋山氏は戦国時代は松永久秀に属し、松永氏が滅亡すると北畠信雄に従った。

豊臣秀長の大和入部で秋山氏は追放され、大和大納言家断絶後に福島正頼が

慶長19年(1614年)まで在城した。

元和元年(1615年)織田常真(元織田信雄)が宇陀郡2万8千石で支配したが

城には入らず松山陣屋を築いて居住した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

つづく

2020年プチ城攻め・大和国2

2020年2月22日の宿泊は

保養センター美榛苑 宇陀市榛原区福地255

 

 

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つづく

2020年プチ城攻め・大和国1

遅くなりました。

2020年2月22日大和国へ攻め込みました。

 

大和郡山城 大和郡山市城内町

大和郡山城の前身は、大和国衆の軍事同盟の拠点である。

徐々に筒井氏の勢力が大きくなり信長の時代に筒井順慶が筒井城から移った。

天正12年(1584年)に順慶が死去すると養子の定次は伊賀に国替えとなり

豊臣秀長が入って大規模な築城を行った。

大和大納言家が継子なく断絶すると増田長盛が入って関ケ原合戦を迎え

増田氏は改易となる。

 

 

 

 

大坂の陣を経て、水野勝成、松平忠明、本多氏、等が入った。

享保9年(1724年)柳沢吉保の子、吉里が入って幕末まで支配した。

 

 

 

 

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つづく