寫眞繪畫#金魚づくし国芳 | 春夏秋冬✦浪漫百景

春夏秋冬✦浪漫百景

季節の移ろいの中で...
歌と画像で綴る心ときめく東京千夜一夜物語

金魚づくし国芳

「金魚づくし」は、江戸時代後期に活躍した浮世絵師・歌川国芳

(1798-1861)による浮世絵シリーズです。

金魚にカエルやカメなども加え、水中の生き物たちを擬人化し、

ユーモアたっぷりに描いています。

笑い、走り、唄い踊る金魚の姿に、誰もが「カワイイ」と微笑んでしまうことでしょう。

 

 

百ものがたり

百物語は、江戸で流行った怪談会のことで、百本の蝋燭を火に灯し、

怪談話が一つ終わる毎に一本火を消していきます。

最後の明かりが消えると闇の中から化け物が現れるとされていました。

本図は、まさに最後の話が終わって、化け猫が出てきた瞬間を描いています。

 

 

玉や玉や

玉屋は春の季語になっていますから、

この絵は春の街角風景と見てよいでしょう。

子どもたちが喜んで寄ってきています。

江戸時代の玉屋が持ってくるシャボン玉用の液は石鹸水ではなく、

ムクロジという大きな木の実の皮を煎じた液で、

それを大人も子供も麦わらに付けて吹いて遊びました。

ムクロジの実の皮は煎じると泡が立つところから、

洗濯石鹸と同様に使われ、乾物屋で売られていました。

ついでに、ムクロジの実の中の黒い種は、

羽子突きの羽子の球に使われています。

 

 

酒のざしき

金魚たちの大宴会!

旦那が芸者、太鼓持ちを上げての宴会です。水草の盃を持ち、

赤いぼうふらのつまみで呑んでいる旦那は、酔眼朦朧になってきています。

姐さん株が三味線を弾き、若い芸者と修行中の太鼓持ちが踊っています。

芸者の三味線は金魚を掬う網、踊り子が持つのは扇や花笠ではなく、

睡蓮の葉と水草の花です。

旦那の後ろに立つ蛙の太鼓持ちは、

「よっ、旦那、いい案じ(お考え)、参りました」

と首筋を叩いて旦那を持ち上げているようです。

こういった茶屋遊びの理想を、

「楽しみは後ろに柱前に酒 左右に女懐に金」という狂歌があります。

 

 

さらいとんび

街角で、金魚柄のとんび(鳶)が油揚げをさらっています。

大切なものを横合いから奪われる喩えの「とんびに油揚げをさらわれる」を絵にしました。

とんび金魚が持っているのは、油揚げの容れ物で、

同じ物が歌川広景の「江戸名所道外尽 芝飯倉通り」にも

同じような情景が描かれています。

 

 

にわかあめんぼう

にわか雨です。水草の傘を持っている用意の良い親子連れもいます。

子供の手にはかわいい傘。

傘を持たない者は、豆絞りの手拭いで頬被りして走ります。

何も持っていない者は、着物の裾を被って、と言いたいところですが、

金魚ですから尾鰭を被ります。蛙の手にするのは笠でしょうか。

傘を片手に、強い雨脚にふと空を見上げたら、

降ってきたのは雨ではなく、あめんぼうの群れが見えました。

びっくりして開いた口がふさがりません。

なお、あめんぼうは、正しくはあめんぼ、漢字では、水黽・水馬と書きます。

 

そさのおのもこと

ヤマタノオロチならぬ、ウナギ退治!

乱暴を働いたために姉の天照大神のいる高天原を逐われたスサノヲノミコトは出雲に来て、

クシナダヒメが八岐大蛇の生け贄にされるという話を聞き、八岐大蛇退治に立ち上がります。

スサノヲは八岐大蛇に酒を飲ませて、酔ったところを退治し、

クシナダヒメを妻とするという場面を描いています。

太刀を手にするのがスサノヲ、

そばで怖そうに袖で顔を隠しているのがクシナダヒメ、鰻が八岐大蛇です。

八岐大蛇では八つ用意された酒壺は四つ用意されています。

神話の時代ですから、スサノヲの持つ太刀は直刀です。

なお、この八岐大蛇の尾から出た剣が、

三種の神器の一つ天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)、一名草薙の剣です。

 

いかだのり

ひれをまくって男らしく!

板を薄く削った経木を組んだ筏を、竿を使って流してゆく金魚の船頭です。

尻を端折る形を鰭を端折った形にしています。

奥は、蛙の船頭が櫓を漕いで進んで行きます。

「竿は三年、櫓は三月」と言って、竿で操る方がむずかしいのです。

蛙が直立すると、目が後ろに行ってしまうので、

漕ぎにくいのではと余計な心配をしてしまいます。

この絵は、全体が、箱庭の雰囲気を持っている絵です。

箱庭とは、箱の中に土を入れて、小さい木や草を植え、

陶器の家や橋を置いて庭を模した物です。

そう思って見ると、鷺は足が針金で出来ているように見えてきます。

 

 

ぼんぼん

お盆の頃になると、江戸の街角では、少女たちが手をつなぎ、

横並びになって歌い歩く姿が見られました。

ぼんぼん(盆々)あるいは「盆唄」と呼ばれた童謡は、夏の風物詩でした。

国芳の描いた子供の金魚たちも、

おおきな口を開けて仲良く手をつないで合唱しています。

 

 

まとい

江戸の名物は「武士、鰹、大名小路、生鰯、茶店、紫、火消し、錦絵」

と謳われています。

火事の多い江戸の町の人々は、

火事に勇敢に立ち向かう町火消しに好意を持ち、

あこがれを抱いた人もいました。その一人がこの絵を描いた国芳です。

江戸には、いろは四十八組、深川には十組の町火消しがいました。

火事となれば組の印の纏を先頭に出動です。

纏を屋根に立て、それを目標に水を掛けますが、水勢が弱いため。

多くは、鳶口で延焼を防ぐために家を壊す破壊消防をしました。

頭の蛙の後に続くのは水草で出来た纏、

金魚たちが持っているのは水草の鳶口です。

なお、町火消しのいろは四十八組ですが、

組の名に「ひ・へ・ら・ん」の文字は使われず、

代わりに「十・百・千・万」が使われました。

 

 

 

歌川 国芳

(うたがわ くによし)

寛政9年11月15日(1798年1月1日 ) - 文久元年3月5日(1861年4月14日))は、

江戸時代末期の浮世絵師。

 

歌川 国芳

『枕辺深閏梅』下巻口絵における国芳の自画像。

本名 井草芳三郎

歌川国芳の人気の理由には、

武者絵に見られる力強さや色彩の鮮やかさ、

見立て絵や寄せ絵に見られる軽やかな遊び心がありました。 

また、歌川国芳は人気絵師となってからも、

写実的な西洋画の手法を取り入れたり、

幕府の規制をかいくぐる表現を模索したりするなど、

常に新たな挑戦をしています。

落合芳幾による国芳の死絵。