歴史の零れ話...清水の舞台 | 春夏秋冬✦浪漫百景

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季節の移ろいの中で...
歌と画像で綴る心ときめく東京千夜一夜物語

清水寺

境内と本堂

所在地 京都府京都市東山区清水1丁目294
 

日本各地に「清水寺」(きよみずでら、せいすいじ)を名乗る寺院が多数あり、

中には坂上田村麻呂の開創ないし中興の伝説を有するものもある。

 岩手県花巻市の音羽山清水寺は田村麻呂の開創を伝える。
長野県山形村の慈眼山清水寺は田村麻呂の中興を伝え、
この寺の千手観音像が京都にもたらされて東山の清水寺になったという。
岐阜県加茂郡富加町の「白華山清水寺」は田村麻呂と延鎮による草創を伝える。
 
 
 宝亀11年(780年)、
鹿を捕えようとして音羽山に入り込んだ坂上田村麻呂(758年 - 811年)は、
修行中の賢心に出会った。田村麻呂は妻の高子の病気平癒のため、
薬になる鹿の生き血を求めてこの山に来たのであるが、
延鎮より殺生の罪を説かれ、
観音に帰依して観音像を祀るために自邸を本堂として寄進したという。
 

 

清水の舞台

 思い切って物事を決断することを「清水の舞台から飛び降りるつもりで」というが、

清水寺塔頭・成就院に残る『成就院日記』の記録によれば、

実際に飛び降りた人が元禄7年(1694年)から元治元年(1864年)の間に、

未遂を含み235件、死亡者は34人に上り、生存率は85.4パーセントであった。

 飛び降りた動機は自分の病気の治癒や母親の眼病、暇がほしいといった、

「観音様に命を預けて飛び降りれば、命は助かり願いがかなう」

という熱い信仰心によるもので、

決して自殺する目的では無かったことに留意する必要がある。

 なお、1872年(明治5年)に京都府は

「舞台飛び落ち」は封建的な悪習であるとして禁止する布令を出し、

舞台欄干周囲に柵を張るなどの対策を施したことで、

「飛び落ち」は影をひそめた。