百人一首*春の歌六撰 | 春夏秋冬✦浪漫百景

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季節の移ろいの中で...
歌と画像で綴る心ときめく東京千夜一夜物語

 

百人一首*春の歌六撰

 

 

小野小町
花の色はうつりにけりないたつらに わか身よにふるなかめせしまに

 

現代語訳

桜の花の色は、むなしく衰え色あせてしまった、

春の長雨が降っている間に。ちょうど私の美貌が衰えたように、

恋や世間のもろもろのことに思い悩んでいるうちに。

 

鑑賞

非常によく知られている歌で、色あせた桜に老いた自分の姿を重ねた歌です。

かつて日本の美女を「小町」と言ったように、伝説の美女ですが、

それは年をとるにつれて衰えゆく

「無常な時間に敗れゆく美」を歌い上げたからかもしれません。
ただ単に美しいだけなら、誰のにも残りませんものね。



光孝天皇
 君かためはるの野に出てわかなつむ わか衣手に雪はふりつゝ

 

現代語訳

あなたにさしあげるため、

春の野原に出かけて若菜を摘んでいる私の着物の袖に、

雪がしきりに降りかかってくる。

 

鑑賞

さて、光孝天皇が若菜を摘んだ場所というのは、

京都市の右京区嵯峨にあった、

「芹川」の周辺に広がっていた芹川野だったそうです。

そこに御幸を行い、鷹狩りをして和歌を詠んだそうです。
ただし、実際に春の若菜やツツジの名所というと、

大和国添上郡(現在の奈良市)の春日野です。

奈良公園がそれですね。

 


紀友則
 久方の光のとけき春の日に しつ心なくはなの散らん

 

現代語訳

こんなに日の光がのどかに射している春の日に、

なぜ桜の花は落ち着かなげに散っているのだろうか。

 

鑑賞

柔らかな春の日差しの中を、桜の花びらが散っていく。

こんなにのどかな春の一日なのに、

花びらはどうしてこんなにあわただしく散っていくのか、

静める心はないのか、という歌です。

とても日本的で美しい光景。

そんな桜の美しさが匂うような歌といえるでしょう。
情景が目に浮かぶ、非常に視覚的で華やかな歌でありながら、

同時に散り行く桜の哀愁もどことなく感じられます。
紀友則は古今集の撰者でしたが、

この歌は、古今集の中でも特に名歌とされていました。

 


紀貫之
035 人はいさ心もしらす古郷は 花そむかしの香ににほひける

 

現代語訳

あなたは、さてどうでしょうね。

他人の心は分からないけれど、昔なじみのこの里では、

梅の花だけがかつてと同じいい香りをただよわせていますよ。

 

鑑賞

紀貫之は、「土佐日記」で歴史上はじめて日記文学を書いたり、

古今集を先頭に立って編集し、

歌論として有名な「仮名序」を書くなど、

平安時代を代表する「大文豪」です。その彼が久々に訪れた宿。

まあ言うなれば、

昔なじみだったホテルを久々に訪れた老いた大俳優が支配人から
「ホテルは昔のままでございますよ。

あなたはお変わりになられたようですが」
などと言われたので、花びんのバラの花を一本抜いて、
「君も私のことなんて忘れてたんじゃないかね。

世間ってものは忘れっぽいものさ。

花びんのバラはずっと昔のままだけどね」


なんて小粋に切り返した、といったところでしょうか。

この歌に紀貫之の機転と粋でダンディな雰囲気を感じてしまうのは、

私だけでしょうか。
もちろん宿の主人が女性で、

遠い昔の恋愛を暗示している、と考えることもできます。

どちらにせよ、紀貫之が世間と人生を語る一首といってよいでしょうか。

 


伊勢大輔
 いにしへの奈良のみやこの八重桜 けふこゝのへに匂ひぬるかな

 

現代語訳

いにしえの昔の、奈良の都の八重桜が、

今日は九重の宮中で、ひときわ美しく咲き誇っております。

 

鑑賞

作者の伊勢は、奈良から宮中に届けられた八重桜の献上品を、

宮中で受け取る役に抜擢されました。

その時、藤原道長から急に即興で詠めと言われ、

即座に返したのがこの歌です。
「いにしえの古都、奈良の都の八重桜が、九重の宮中で見事に咲き誇っていますよ」
すなわち、

「かつての奈良の栄華をしのばせる豪勢な八重桜だけど、

今の帝の御世はさらにいっそう美しく咲き誇っているようだよ」と花に託して、

今の宮中の栄華ぶりをほめたたえる、まことに見事な歌だといえるでしょう。

 

伊勢はこの時、紫式部からこの役を譲られたばかりで、宮中では新参者でした。

とっさに歌を振られてさぞ緊張したことだと思いますし、

周囲も才女中の才女・紫式部の後釜が、

どの程度の力量の持ち主か図るつもりもあったのでしょう。
そこで、

伊勢はこのスケールたっぷりのこの歌を披露し、面目を立てたのでした。



権中納言匡房
高砂のおのへのさくら咲にけり とやまの霞みたゝすもあらなん

 

現代語訳

遠くにある高い山の、頂にある桜も美しく咲いたことだ。

人里近くにある山の霞よ、どうか立たずにいてほしい。

美しい桜がかすんでしまわないように。

 

鑑賞

遠い高山の山頂に桜が咲いている。

あんなに美しいんだから、里山から春の霞がたたないでほしいものだ。
高砂(たかさご)とは、砂が高く積もることで、高山を意味します。

遠くの高山と近くにある低い里山(外山)を比べているのはテクニックですが、

内容はいたっておおらか。
宴たけなわで、春の陽気にお酒でも入っていたんじゃないか、

なんて想像したくなるほど、のびやかで格調の高い歌です。
水墨画をイメージさせるような風景の広がりがある歌でもあります。

作者は漢詩も非常に得意にしていたそうですので、

素養がこうした一首に結びついたのかもしれません。

 

百人一首 春の歌六撰、いかがでしたか、

それでは皆さん、

次は夏の歌でお逢いしましょう。