寫眞繪畫
雛人形模様
ひな祭りの歴史は古く、
その起源は平安時代中期(約1000年前)にまでさかのぼります。
その頃の人々は、
三月の初めの巳の日に、上巳(じょうし、じょうみ)の節句といって、
無病息災を願う祓いの行事をしていました。
江戸初期三代将軍家光時代の寛永(1624~1644)のころのもので、
男雛は12センチ余、髪は冠とともに黒塗りで、
髪をうえる技法以前の作品であることがわかる。
座ったおひな様が登場!
立ち雛の登場からしばらくして、江戸時代初期に寛永雛が誕生します。
大きさは10cm程度と小さなサイズ。 男雛の頭は冠と一体化していて、
女雛は両手(両袖)を広げた状態のものが主流でした。
江戸の雛道具は、
「琵琶・琴・三絃、将棋・碁・双六の三盤、厨子棚、黒棚、書棚、
見台、箪笥(たんす)・長持(ながもち)・挟箱、鏡台などはみな、
黒漆塗りに牡丹唐草の蒔絵を普通としていて、
総じて京阪よりも華美で結構なものである」と。
江戸時代後期になると、宮中の雅な装束を正確に再現したものが現れ、
今の雛人形の形に近い古今雛(こきんびな)が登場しました。
18世紀終わりごろには五人囃子が登場。
幕末までには官女や随身、仕丁などの添え人形が考案され、
嫁入り道具なども登場。
セットが増えて、スケールが大きくなっていきました。
宮廷や武家の間でのみ行われていたひな祭りも、
1700年ごろから庶民の間でも行われるようになりました。
明治・大正
明治時代の雛人形は、比較的大型で豪壮。
家の権勢を誇示するようなに派手な雛人形が増えていきました。
明治期のお雛様は面長で、おめめが少し吊り上がっており、
現代の物よりちょっとだけ冷たい感じがいたします。
明治期にみられる刺繍がとても美しく、後ろ姿も素敵です。
(明治の雛人形)
「寶華斎香山」作 御殿飾り雛(明治時代)
今のように、
人形と道具が一式揃えで出回るようになったのは大正時代中期ごろです。
この頃には、派手で大きな人形ブームは落ち着き、
小型なものや御殿飾りのセットなどが流行し始めます。
御殿飾り(大正)
百歳雛 大正時代 高砂雛 百才雛 (ももとせびな)
明治の偉人たちが並ぶ掛け軸雛
「明治節お飾掛図」(部分)=日本玩具博物館