SAYURI YOSHINAGA
吉永 小百合(よしなが さゆり、1945年〈昭和20年〉3月13日 - )
日本の俳優・歌手・ナレーター・司会者・タレント。
本名:岡田 小百合(おかだ さゆり)。旧姓:吉永。
1960年代を代表する人気映画女優。
10年間で、70本以上の映画に出演。
吉田正(作曲家)の門下生として、数多くのレコードを世に送り出している。
夫はフジテレビディレクター、共同テレビ社長、会長、
取締役相談役を歴任した岡田太郎。
ファンは「サユリスト」と呼称される。
1957年(昭和32年)、渋谷区立西原小学校6年生の時、
ラジオドラマ『赤胴鈴之助』でデビュー。
同年4月、渋谷区立代々木中学校に入学。
同年10月、ラジオ東京制作のテレビドラマ『赤胴鈴之助』でテレビデビュー。
1959年(昭和34年)に松竹映画『朝を呼ぶ口笛』で映画デビュー。
1962年(昭和37年)4月8日、『キューポラのある街』が公開。
第13回ブルーリボン賞主演女優賞を受賞する。
同年4月20日、主演映画『赤い蕾と白い花』の主題歌「寒い朝」をシングルとして
ビクターからリリースし、レコードデビュー。
50万枚以上のヒットを記録した。
同年9月に発表した橋幸夫とのデュエット
「いつでも夢を」も300万枚の大ヒットとなった。
いつでも夢を 予告編
1962年にレコード大賞を受賞した橋幸夫とのデュエット楽曲の映画化。
東京下町の工場地帯を舞台に、
ピカちゃんの愛称で親しまれる看護婦・ひかる(吉永小百合)、
工員で夜間学校に通う勝利(浜田光夫)、
新入り運転手の留次(橋幸夫)が繰り広げる恋の三角関係を描く。
吉永&浜田の純愛コンビと歌謡界の王者・橋幸夫という豪華キャストで描く
黄金青春巨編。 (C)1962日活株式会社
「日活の看板女優」として、
浜田光夫と1960年代の日本映画界に一大旋風を巻き起こす。
従来の男性アクション映画路線がマンネリ化していた当時の日活にとって、
吉永・浜田コンビの純愛&青春映画路線は、
新たな日活映画ファンの獲得と支持を集めた。
1963年(昭和38年)2月、『泥だらけの純情』が公開。
1964年(昭和39年)9月、『愛と死をみつめて』が公開。
『天国の駅 HEAVEN STATION』では自慰行為をし、
三浦友和に押し倒され着物の胸に手を差し入れられるシーンでは
三浦が「小百合さんは物凄い積極的で、
『もっと大胆にやってよ』と何度もダメ出しをされたんです。
僕はもうタジタジになって、20回以上NGが出ました」
と語るほど、濡れ場でもビックリするほどの積極性を見せていたが、
ヌードになることには抵抗があったようで
「胸が小さいから、出してもしょうがない」と斎藤光正に言っていた。
1985年 - 『おはん』、『天国の駅 HEAVEN STATION』の演技で、
「日本アカデミー賞最優秀主演女優賞」初受賞。
以降、1989年『つる -鶴-』・『華の乱』、
2001年『長崎ぶらぶら節』、2006年『北の零年』と、
最優秀主演女優賞を計4度受賞(歴代1位)している。
2015年 - 第63回菊池寛賞を受賞。
2016年 - 第25回日本映画批評家大賞・実写部門 ダイヤモンド大賞を受賞。
また、原爆詩の朗読に対し、第1回澄和(とわ)フューチャリスト賞
(市民目線の平和関連活動に地道に取り組んでいる個人や団体を表彰する賞)を受賞。
2018年 - キタデミー賞 主演女優賞を受賞。
2022年 - 第45回日本アカデミー賞 優秀主演女優賞を受賞。
吉永小百合
『映画情報』1965年2月号(国際情報社)より
本名岡田 小百合(旧姓:吉永)
『キューポラのある街』
『伊豆の踊子』
『愛と死を見つめて』
『男はつらいよ 柴又慕情』
『男はつらいよ 寅次郎恋やつれ』
『動乱』
『天国の駅 HEAVEN STATION』
『おはん』
『映画女優』
『つる -鶴-』
『華の乱』
『長崎ぶらぶら節』
『北の零年』
『母べえ』
『おとうと』
『北のカナリアたち』
『ふしぎな岬の物語』
『母と暮せば』
『こんにちは、母さん』
テレビドラマ
『樅ノ木は残った』
『風と雲と虹と』
『夢千代日記』
受賞 |
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紫綬褒章(2006年)
文化功労者(2010年)