死にたい人 | 演劇人 望月龍平/生観院流二代目 生観院成龍

演劇人 望月龍平/生観院流二代目 生観院成龍

【元劇団四季俳優が感動の人生・生き方を演出】

■演出家・脚本家・俳優・プロデューサー

■ソルライツチューニング 生観院流二代目

■会社社長

世の中には、死にたい人が沢山いる。

で、実際に自分でいのちを絶ってしまう人は少なくない。

でも、やっぱり死んじゃいかんなと思います。

うん。

死んじゃいけないでしょ。

どうして?って聞かれると答えに困るんですけども。

昔、姉貴が風邪だかおたふくだか水疱瘡だかなんだかで、ろくに食べれない日が一週間ぐらい続いた事があった。

で、一週間のちに一番最初に食べたカボチャを蒸してバターを和えてすりつぶしたパンプキンサラダ?とでも言うんですかね・・・?
出来立てのソイツを食べて、こんなに食べ物をおいしく感じた事はいままでになかったというくらい感動したと言っていたのをよく覚えている。

実に姉貴は良い経験をしたなー。

ウチの姉貴は、ある意味俺より親不孝だ。

オーストラリアに留学中、崖から落ちて死に損なったり、インドで赤痢を貰って日本に帰ってきてから大変な思いをしたり・・・
幸い今のところ死んでません。
悪運が強いんでしょうね・・・僕の姉だけに・・・



いのちって、自分から終わらせるようには本来出来てない。

だから、自殺っていのちの本来に逆らう行為だと思う。

それでも、死にたくなってしまう衝動に人間は駆られる。

僕は人が死にたいと思う事を何も特別ではないと思ってる。

誰もが一度や二度は死んでしまいたいと考えたことがあるのではないだろうか?



かくいう僕も、そんなことを考えた時期がないわけではない。



でも、僕には舞台があった。

舞台が僕を救ってくれたのだろうし、また強烈に「生きる」という道筋へ導いてくれた。

だから、演劇には足を向けて寝れないのである。

だから、逆にこの為に自分は活かされているんではないかとも思う。

天職なのだと思います。

天性の職と言うんじゃなく、お天道様に「あんたこれやんなさいよ」と与えてもらったもんなんだと。
だから、ちゃんとやりたいなと思うわけです。
やりたいし、やるべきことなのです。

人間は一人で生まれてきて、一人で死んでいく。

生きる事自体も孤独な事だと思う。
でも、ひとは一人であって、一人でない。

生きているということは、何らかのいのちに支えられてきたからであり、今この瞬間も何かに支えられているからこそ生きていられるのだから。


空気だって、太陽だって、水だって、普段は意識しないものでも、それ無しには生命は存在しえないのだから。

水断ち、断食をしてみるときっとよくわかるんじゃなかろうか。

した事ないけど・・・

腹減ってれば飯は旨いし、のどが乾いてればただの水でもメチャクチャ旨いじゃないですか。

旨いなー!っつうのは、すでに生きてる事を実感してて、また生きてる事に感動してるってことでもあるんじゃないでしょうか。



またね、死にたいって思う事は逆に生きたいって思ってる事でもあるんじゃないかと。

だから、死にたいという思いが強ければ強いほど生を渇望している自分もいるわけで、その自分に眼を向けてあげてほしいなと思う。

孤独を知る事が、人生を豊かにする事でもあるのだから、もし孤独ならばそれは既に自分自身が豊かなのだとも言えるかもしれない。

生きてるってすごいことなんだと、やっぱり思いますよ。