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高田龍の《夢の途中》

気がついたら、72歳に成ってました。
今までずいぶんたくさんのことを書いて来ました。
あと何年生きられるのか判りませんが、書き続ける事が生存確認でも有りますし生存証明でもあります。
宜しくお願い致します。






あくまでも個人の感想です


 

 痛みから解放された私は
自分の大切な人へ、この素晴らしいものを伝えたいと思いました、大切な人って誰でしょう、考えました。

すでに、父母共に鬼籍に入って久しい、そうだ義理の母は未だ健在だ。

私は、直ぐに連絡しました

私があとで知ったことですが、義母は心筋梗塞を患い身体にチップを入れていました。
それが原因なのか、足先に酷い痛みがあり、靴も履けない状況が続いていて、外にも行けず、家にこもっていたという。

私の久方ぶりの電話に、義母は喜んで、私が薦めようとした話しを途中で遮り、
『龍ちゃん私、それ欲しい!』

話は速かった。

ところが、ここから話は面倒になるのだ。

しばらく連絡していなかった恭子から電話。

『龍ちゃん、お母さんは声も若いし、元気そうに感じるかもしれないけど、もうすぐ九十だよ。
脚も悪いし
渋谷に行くのは無理よ。
どうしても連れて行くならクルマで、それに車椅子も用意しなければ無理だよ』

私は義母に電話をした時に
、あんまり簡単に欲しいと言われたため、これがどういう物なのか、ちゃんと知るために渋谷の学習会に出て欲しいと伝えていたのだ
義母は、これにも即答したので私は簡単に考えていたのだが、やはり病気がちの九十歳、無理をさせてはいけない。
私は、車椅子を準備して義母の住む松戸へ向かいました。

二時間を超える松戸への道中でした。

到着。

義母は、いつもの笑顔で私を出迎えてくれました。

『龍ちゃん、部屋の中見ていって』
団地の一階で私を出迎えてくれた義母はそう言うと、エレベーターに乗り込み、私は後に続きました。

義母の部屋に入ると、私は
渋谷の学習会に参加した後は、毎日こんな感じに塗って下さいと伝えて、私が持参していた物を義母の、痛いという足先に塗りました
そして渋谷へ向かって出発

二時間以上かかったかもしれないけど、渋谷に到着!

私に、この商品を教えてくれた内田氏が渋谷で待っていてくれて、車椅子をクルマから出してくれました。

そして義母に向かって、乗るように促しました。

義母曰く『龍ちゃん、車椅子はいらない、足痛くないから』

え!痛くない!って、義母が言うには『部屋で龍ちゃんが塗ってくれた後気がついたら足が痛くないのよ』

そんなことが有るのかと、私はキツネに摘まれた感じでした。

義母は中華屋で昼食を摂り
定刻に学習会に参加して、私の運転するクルマで家へと向かったのです。

団地の一室に隠れるように暮らしていた義母は今、どうしているのかと言えば。

スッカリ痛みから解放されたおかげで、毎朝楽しく散歩をし、買い物もしているそうです。

義母のあまりの変化に周囲の人は驚いているようです
現実に私と私の周りに起きた小さな出来事ですが、これはあくまでも、個人的な感想です。
ただ、数回にわたって書かせて頂いた内容には、いささかの誇張も創作もない事をお伝えして、この回を終わりたいと思います。