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高田龍の《夢の途中》

気がついたら、72歳に成ってました。
今までずいぶんたくさんのことを書いて来ました。
あと何年生きられるのか判りませんが、書き続ける事が生存確認でも有りますし生存証明でもあります。
宜しくお願い致します。

  その日の昼過ぎの事だった。

草色のベンツが、私の職場の敷地の中に、ゆっくりと入って来た。


それが、谷津嘉章との初めての出会いだった。


彼の第一印象は、人懐こい人だなぁという印象だった

有名人であるのに、少しも偉ぶった処のない、気さくさが好印象だった。


生まれて初めてプロレスラーという人に会った。


その頃から私はプロレス雑誌を毎週買い込む様になった。

週刊プロレス、週刊ゴング

週刊ファイト、すべて購入して私はプロレスの世界に没入していった。

特に影響されたのが、週刊プロレスだった。

当時、山本何某という人が編集長を務めていて、この人の強烈なキャラクターが週刊プロレスを押し上げていた。

私の記憶が間違いでなければ、たしか一週間に10万部を売っていたと聞く。


世の中でプロレスは、G馬場率いる全日本プロレスとA猪木の新日本プロレスが存在していて、永くその状態が続いていた。


私はといえば、相変わらず

会場へも行かず、テレビはたまにタイミングが合えば観るという程度の、とてもファンと呼べる様なものではなかった。


今になって思えば、私は週プロにかなり影響されていて言って見れば、ターザン山本という二つ名を持っていた編集長のファンだったのかも知れない。