題名の無い小説 | 高田龍の《夢の途中》

高田龍の《夢の途中》

気がついたら、72歳に成ってました。
今までずいぶんたくさんのことを書いて来ました。
あと何年生きられるのか判りませんが、書き続ける事が生存確認でも有りますし生存証明でもあります。
宜しくお願い致します。




厚労省の佐山は神奈川県内の古い寺の住職から持ち込まれた文書について話し始めた。



百地幸一郎は注意深く、佐山の話しに耳を傾ける。


『文書には表紙の部分はなく彼方此方が虫喰いや欠損部分も多かったんですが、こちらも注意深く、時間をかけて文書を調べました』


佐山は文書について事細かに百地に説明をした。

佐山の詳細な説明から、様々なことが明快になってくる。

この文書が書かれた年代は

千二百六十年頃と思われる。

西暦のこの年代は、和暦にすれば文応年間であるがこの時期は、武家社会が形成されて行く頃であり数多くの軍事衝突が起きていた。

更に、気候変動もこれに重なり、人間が生きるには厳しい環境であったと思われる。


この時代を生きた偉大な宗教革命家に《日蓮》が居るが彼が残した数多くの文献の中に武家社会の頂点に君臨していた北條時頼に送った《立正安国論》がある、その冒頭にはこのように書かれている。


《旅客来って嘆いて曰わく、近年より近日に至るまで、天変地夭・飢饉疫癘、あまねく天下に満ち、広く地上にはびこる。

牛馬巷に斃れ、骸骨路に充てり。

死を招くの輩既に大半に超え、悲しまざるの族あえて一人も無し》


この文応年間に書かれた文章には何が書いてあったのかと言えば《旅人》と《宿屋の主人》との対話の形式で進んでいる物語の形式を執っている。

今の世の中はどうしたものだろうか、天変地異が続いて雨が降り続けたり雨が全く降らない日が続いたり、地震や台風が発生して人々は生命の危険に晒されている牛や馬は動くことも出来ずに倒れている。

骸骨は道の彼方此方に散らばっていて死ぬことを恐れる人が殆どで悲しまない人は一人もいない。


このように劣悪な環境であった事は確かなようである

この神奈川県の寺にはその時代に書かれた古い文書があったという、それが何処から持ち込まれたものか、


それを誰が書いたのか、それが百地の心に残った。