謹賀新年 | 高田龍の《夢の途中》

高田龍の《夢の途中》

気がついたら、72歳に成ってました。
今までずいぶんたくさんのことを書いて来ました。
あと何年生きられるのか判りませんが、書き続ける事が生存確認でも有りますし生存証明でもあります。
宜しくお願い致します。



令和五年がスタートした。

元日も私の住む関東では晴天の穏やかな正月だった。

そして、二日になれば恒例の箱根駅伝だ。

翌日には覇者が決まる。

今年、一位を勝ち取るのは誰なのだろう。


日本中が固唾を飲んで見守る二日間だ。


そんな日本の国で誰も注目してないプロレス団体が、東京で興行を行う。


一月三日、新宿FACE。


この団体の中に夢ファクトリーの選手だったある選手が居る。


私がその選手を初めて観たのは、今日駅伝が行われている箱根だった。


箱根の山奥に有る、体育施設のある旅館だった。


私がSPWFという団体のフロントを手伝っていた頃、団体で企画した年末の

合宿だった。

一般の希望者も募り、九州から数人の応募があったが、その中に彼はいた。

自分達で敵味方に分かれタッグマッチを披露してくれた。


中々面白い試合だったと記憶している。

特に、いまだに強烈な印象が消えないのは決着をつける場面で彼が見せたフランケンシュタイナーからのフォールだった。

SPWFの代表だった谷津嘉章氏も両手を叩いて大喜びしていたことも忘れられない。

彼はこの時点でプロレスのクオリティはかなり高かった。

観客に対する意識はメジャーの選手でも首を傾げてしまう人もいるが、彼は合格点を取れる選手だった。


私は、社会人プロレスという考え方には実際のところピンとこなかったが、彼がプロレスの世界に登場することが出来たのは、SPWFがあったればだろう。


彼との付き合いも、三十年になろうとしている。


ということは、彼も還暦が近いはず。


しかし彼のコンディションは頗る良い。



本人も今が一番いいと言っている。


最近、ザ・ウルフが社会人レスリングで優勝したり、格闘技の道場で技を磨いたりしているようだが、やはりプロレスとなると小さい。

彼ならかなりの結果を出せるはず。


彼が九州在住ということもあって、私は彼を大成させることが出来なかった。


九州プロレスの東京凱旋興行が彼の新たな出発となることを願うばかりである。