私の習慣が戻って来た | 高田龍の《夢の途中》

高田龍の《夢の途中》

気がついたら、72歳に成ってました。
今までずいぶんたくさんのことを書いて来ました。
あと何年生きられるのか判りませんが、書き続ける事が生存確認でも有りますし生存証明でもあります。
宜しくお願い致します。


今朝は、住まいの近くではじつに良い天気です。

さて、

『コスナーさんの思い出』

を書き終えた私が、どうしたいのかを話しますと、前回申し上げたことについて実行しなくてはならないのですが、この二、三日の間に私にとって重大なことが起きたので、その話を先にさせていただきます。

実は私、多分十代の頃から年末が近づくと『忠臣蔵』

『赤穂浪士』、タイトルは色々有りますが、それを取り上げた時代劇を観るのが私だけのルーティンのような物になりました。

もちろん、VIDEOもDVDもまだない頃のこと。


場末の映画館で『忠臣蔵』

の特集などをやると足を運びました。

何がそんなに、自分でもそう思うくらいでした。


VIDEOの時代がやって来ました。

いわば、垂れ流しの映画は

VIDEOの中で息を吹き返しました。

観たい作品を何度も観る事が出来る時代が来たんです。


しかも、家庭で。


今の若い人には理解出来ないのかもしれないが、私達の世代の前後、10年くらいの年代には驚きだった。


レトロな言い方になるが、銀幕のスターを我が家で観ることが出来るのだから。


そしてVIDEOからDVDの時代がやって来て映像が個人の処へ、という形は、いっそう強まりました。

レンタルVIDEO屋はDVDになって益々栄え、私の年末のルーティンも家庭で観られるようになるといっそう定着しました。


三十代〜四十代、いろいろな俳優が演じる大石蔵之介や浅野内匠頭を楽しみました。


また『松の廊下』から始ま幾つものエピソード、その

どれもに関わる登場人物の

人間的な魅力が一番だ。

大石蔵之介を中心に、赤穂浪士の面々を取り巻く人々には何故、漢気の塊のような人が多いのだろう。

もちろん、すべてが事実では無いのはわかっている。

実際に起きた赤穂藩の大変の頃の事は後年、歌舞伎の

題材として創られたものが多いと思う。


しかし、だからと言って数あるエピソードが総て創作とは思えない。


忠臣蔵について、ぐだぐだと書いてしまったが、結局は私が、忠臣蔵のファンだと言うだけのことである。


先日、BS朝日をなんとなく観ていた時、三日連続で忠臣蔵を放映すると言うことを知った。

2004年頃に制作されたもので全九話の連続ものだったそうだ。


そうだと書いたのは2004年の頃、私は会社経営の側WJの事でも動いていて

この『忠臣蔵』を観ていない。

それどころか、この番組が放映されたことも知らなかった。


久しぶりに『忠臣蔵』にしたった年末を楽しめた。

まぁ、それだけのことなのだが・・・。