種類によっては西の方から開花の発表が始まったそうですね。
いよいよ春ですね。
さて前回申し上げた通り、今回は本牧中学時代も戦争中も戦後も通り越して夢ファクトリーの時代までいっきに時計を進めてみました。
1996年5月
私達は弱小中の弱小として
前年に旗揚げをしてました。
そして一年数ヶ月
この年の前半から《WAR》との対抗戦を繰り返していたのです
《WAR》と言えば
あの《天龍源一郎》の団体
社長はその天龍さんの義理の弟、まぁキャラなんでしょうが憎たらしい事をよく言ってました。
まず対抗戦が気に入らなかったみたいで、『対抗戦?何処と?夢ファク?嘘でしょ!顔じゃないっての』
なんて言われました。
一寸の虫にも五分の魂
私達はまさにその意気込みでぶつかっていました。
プロレスだから、アングルだから、そんなもん何処かに飛んでました。
天龍源一郎相手にその存在感に飲まれることもなく前に立ち塞がった《仲野信市》その気迫たるやもの凄いものがありました。
私が、メジャー団体に限らず気持ちが乗らないのはきっと仲野信市のような殺気だった雰囲気を醸し出すプロレスラーが居なくなってしまったからでしょうか。
あの頃はそういう選手があちこちにいましたからねェ
《長州力》もそうでした
《天龍源一郎》もそうでした。
懐かしいなぁ
あの人達の怖さって作り物には見えなかったです。
憶えていることがあります
後楽園ホールの試合だったと思います
《仲野信市》vs《天龍源一郎》の試合後のことでした。
あの頃の天龍さんは対戦相手の顔にグーパンチするのが定番でした。
それと同じくらい有名だったのが顔面蹴りでした。
仲野も何回蹴られたことでしょう。
その日もしこたま蹴られた彼が医務室に居ると知らされた私は、急いで向かいました。
その部屋にいた彼の鼻は傍目にもわかるほど右に曲がっていました。
そのままにしておくと固まってしまいます。
天龍さんも酷いことするなぁなんて思いながら彼の鼻を掴んで左に戻しました。
プロレスを軽く見る人いますけど、プロレスってそんなに甘くはないですし、奥の深いものです。
私達は本気もいいところでWARと渡り合っていたんです。
そして
1996年5月25日を迎えます。
仲野以下夢ファクの選手達の頑張りが天龍さんの胸に響いたんでしょうね。
私達の主催興行に天龍源一郎が参戦するということになりました。
遂に全面対抗戦に漕ぎ着けた訳です。
《東村社会体育館》
なんともな感じの会場名です。
この田舎の体育館に夢ファクトリーを応援してくれるファンの人達は本当に頑張ってくれて1987名の観客を集めることが出来ました。
後日、WARの社長さんが言いました。
『凄いですね〜天龍効果ですかね。』
私はお腹の中で答えました『違います!夢ファクトリー人気です。』
あの日、天龍さんが来なくても、お客さんは来てくれたと今も思っています。
会場に並べた椅子が足りなくて増やしてもまだ足りなくて苦労したことなんか初めてでした。
そのお客さんで溢れかえった会場で私の父親は観戦したのです。
旗揚げして以来初めて父に
夢ファクを観てもらったのが東村大会でした。
あの大会でよかったと思っています。
父の喜ぶ顔が見れました。
試合が終わったあと控え室に行った私はマスコミの取材を受けている天龍さんの
『あ〜気持ちのいい汗をかいたよ。なんか忘れていたものを思い出したよ今日は』
こんなに聞き取り易くはなかったですが・・・
東村大会が終わって夏が来ました
台風に熊谷がやられた日の数日後
父が来ました。
いつもそうですがなんの連絡も無く父は来ました。
妻に気を遣って私は言いました
『俺ひとりじゃないんだから一言連絡してから来いよ』
『自分のセガレに会いに来るのに何を気兼ねしなくちゃいけないんだ』
父はそう言って笑います
妻はポツリといいました
『気遣いの人遠慮の人心配りの出来る人、いろいろな人に気配りをしていろいろな人に遠慮をして龍ちゃんの処くらい我が儘させてあげなさいよ』
この言葉に涙が出るほど感謝しました。
父は台風の風のために折れてしまった桜の枝を庭のすみで見つけてきました
それを接木にして
『つくかなぁつけばいいけどなあ』
と言いました
次の年の春
桜は咲きませんでした
その次の年
東村で超満員の観客の中《レッスル夢ファクトリー》の興行を観てから2年
昭和から平成に代わって
10年
折れた桜を接木にしてから入退院を繰り返していた父はこの年の3月4日
その82年の生涯を終えました
思えば生きていたのが不思議と言えるような太平洋戦争の真っ只中を生還し
あと少しで21世紀という処での逝去でした。
中学生の頃
横浜の叔父に父の戦争での活躍を初めて聞いたあと
私は父に尋ねました
『ねぇ、なんで敵にやられなかったの?』
父は笑って言いました
『それはな、飛んだあと皆んなとは逆方向に行って皆んなが戻って戻って来るまで待ってたんだ、だからぜんぜんやられない訳だよ』
一度も父から戦争中の武勇伝を聞かされたことはありませんでした。
そんな父が私には眩しかったんです。
葬儀を終えて家に戻った時でした。
小さな不思議が待っていました
庭の隅にある父が接木をした桜の枝に
一輪だけ花が
一輪だけ咲いていたのです
《龍、しっかりしろよ》
《孫を頼むぞ龍》
弱々しく花開いた桜は
最期の日
病院のベッドの上で
父が私に言った聞き取れなかった言葉を
父が言いに来てくれたような気がしました。
親父の桜 《了》

