変わってしまったこと | 高田龍の《夢の途中》

高田龍の《夢の途中》

気がついたら、72歳に成ってました。
今までずいぶんたくさんのことを書いて来ました。
あと何年生きられるのか判りませんが、書き続ける事が生存確認でも有りますし生存証明でもあります。
宜しくお願い致します。



いつも通り桜は花開き

万朶と先香り


気がついてみると


散っている


私が一年で一番


心弾ませる季節は

今なのだろう。


載せた写真の花の名前を私は知らない。


可憐な花だなぁとは思う。


《コロナ禍》という言葉が当たり前になってどれだけ時間が経ったのだろう。 


その状況に疲れ


その状況に慣れ


さまざま不自由を体験しながら

そのすべてを受け入れてきた。

今日迄の私達が被ったストレスたるや相当なものだったろう。


世界が疲弊しているこの時


ロシアはウクライナに軍事侵攻した。


どちらにもこうなる原因があるのだろう。


ウクライナに何か攻められる原因があるのだろう。


細かく細かく


そして緻密に微細に調べれば出てくるのかもしれない


ただ、それがいくつ出て来ようとも、天秤ばかり片側にウクライナの一般市民の、そして子供達の未来と生命を乗せることは出来ない


私達は、何故こうなったのかを論するよりも


罪なき人々が毎日、毎日絶望と恐怖と悲しみに晒されながら死を待たなければならない今を取り除くために何をすればいいかを考えるべきだろう。


そのために、何をするべきかを論じることだと思う。


変わってしまった景色を


変わってしまった習慣を


そして


変わってしまいそうな常識


変わってしまう価値観を


取り戻すだけでなく


新たな価値観と常識を建設しなくてはならない