親父の桜《2》 | 高田龍の《夢の途中》

高田龍の《夢の途中》

気がついたら、72歳に成ってました。
今までずいぶんたくさんのことを書いて来ました。
あと何年生きられるのか判りませんが、書き続ける事が生存確認でも有りますし生存証明でもあります。
宜しくお願い致します。

さぁ話を続けましょう。

前回のややこしい父親の説明についてはお詫びしますが、今回もまた父とか父親とかたくさん出てきそうですからお許しください。


立川の飛行場からもどった政次少年は急いで私の祖父である父親に談判します。

『オヤジ!今日迄、絵を習わせてもらって本当に感謝しています。でもオレは今日を限りに絵はやめます!これからどうしてもやりたいことが見つかったんで・・・』

父親の会話の部分は私の創作です。

実際、絵をやめて違うことがやりたいと言ったことは生前の父から聞いています。

ですが、どう話したかまでは聞いていません、悪しからず。


政次少年の頑なな雰囲気に私の祖父は何事かと思ったことでしょう、そしてそのあとの政次少年から発せられた言葉に多分度肝を抜かれたのではないでしょうか。

政次少年は言いました。


『今日、仲間と立川の飛行場に行ってきたんだ。

飛行機を写生しようと思って、でも見ているうちにすっかり飛行機の虜になりました。ボクは一生懸命頑張って操縦士になります!どうか操縦士にさせて下さい。』まぁこんな感じで話したらしいです。


政次少年は飛行機の操縦士になるためにどれくらい大変な勉強や訓練をしなくてはならないのかを考えていました。


一方、政次少年の父親はまったく違う事を考えていました。


『オイオイ、飛行機だって⁉️操縦士だって!どういう事か解っているのか?いったいいくらかかると思っているんだ!』


昭和も初期のことです、飛行機を見た人も、乗った人もあんまりいない時代です。


桜の話題に中々行きませんが、もう少し我慢してください。


当時

すでに◯◯航空などと呼ばれる飛行機を飛ばす会社はありました。

ですから、それに乗るお客様もいた訳です。


この時代に飛行機に乗って旅をする、どんな人達だったらそんなことが出来るのでしょうか?


日本には伯爵とか公爵とか華族と呼ばれる人達が当時はいました。


そして、財閥の人達などの大金持ち。


時代が違いますからお金を持っているだけではダメだったようです。


氏素性がちゃんとしていないと。


今みたいに、お金さえあれば宇宙ステーションにだって乗れますみたいにはいかなかった訳です。


今はいいですね〜。


そんな訳ですから、セレブしか乗らない飛行機を操縦するなんて大変ことだったはずです。


ところが、私の祖父はとんでもない太っ腹な人だったようです。

もし、私だったら

『オイ❗️飛行機だ❗️何言ってるんだ、操縦士だ〜💢


いくら掛かると思ってんだ絵だって途中で投げ出して飛行機はもっとカネ掛かるんだぞ!』

間違いなくこう言ったと思います。


私の祖父はちがいました。


たった一言


『一晩考えさせろ。』


それだけ言ったそうです。


漢ですね〜。

(オトコ)って読んで下さいね。


祖父はどういう人なのかと思う方も多いのではと思いますが、そうなんですよ、凄い人なんです。


ですが、祖父の話をするとますます《親父の桜》が遠のきますので、なるべく早い時期に《髙田福松伝》を書く事をお約束します。


自分が書きたいだけだろって!

その通りですけど。


次の日


約束通り祖父は答えを出しました。

『やってみろ』

そう言ったかどうかわかりませんが、とにかくOKにはなりました。


飛行機の操縦士になるための方法は二つありました。


ひとつは陸軍が海軍の航空隊に入ること。

入隊は出来ても希望すれば必ず航空隊にというわけにはいきません。


もうひとつは民間の操縦士育成の学校です。


これはもうお金がいくらあっても足りないくらいお金が掛かります。


だから華族さんや財閥の子息くらいしかやりたくてもやれなかったのでしょう。


私の父はというとまったくそんな人達とは人種の違う家に生まれたのですが、気が遠くなるほどお金の掛かる民間の飛行学校を選びました。


さて皆さん、飛行機の操縦士に成るにはいったい幾らくらいお金がかかると思いますか?

私が中学生の頃、ずっと横浜に住んでいた叔父に聞いた話ですが、叔父は私の父親の兄です。

この叔父の人生も映画の原作になるくらいのものですが、これは今回は書きません。


叔父が言うには、『龍、親父はなお前の親父を飛行機乗りにするために家を六軒半売ったんだよ。』


はい注目して下さい!


叔父が私に言った最初の《親父》は叔父の父親のことです。

つまり私の祖父のことです。

次に家を《六軒半売った〜》というのはどういうことでしょうか?


説明いたします。


先ずなんで家がそんなにあったのか?

祖父には《妾》という立場の女性たちが七人いました。

《七人の侍》ではなく

《七人の妾》です。


凄いですね〜七人ですよ。

???七人?

家は六軒半?

数が合いませんね。


その訳は、お妾さんの一人はアパート暮らしだったそうで一軒とは言えなかったようです。


とはいえ七人も彼女がいたなんて羨ましい限りですね。

実際には相手の事情を知って、住まいを提供して経済的に応援してあげただけの人が多かったようですが。


とにかく私の父親はそんな負担を祖父にさせて、飛行学校を卒業したのです。


飛行学校時代に、自分の操縦する飛行機で、あの《勝鬨橋》をくぐったり、その後陸軍航空隊に入り《盧溝橋》から戦争に参加して太平洋戦争では南方方面で大活躍をしたりいろいろありますが、今日はぐっとタイムスリップさせて《夢ファク》を私がやっていた頃にうつして、次回につなぎます。

ありがとうございました。