私の
四十代後半からの人生には
ある人物の存在を抜きにしては語れない。
そのことに気がついた
それが誰なのかは相手の方に了解を得ていないので書くのは控えよう。
この頃、私はいろいろな人と関わっていた。
実業家の人達や
誰もが知っているプロレスラー
レコード大賞の最優秀新人賞を取った歌手
日劇ミュージックから登場しTVや映画にも出ていたダンサー
まだまだ浮かんでくる。
でもこの人達が私のいう
その人ではない。
家族
ではない
ということは妻や子供ではない。
特に私が経営していた会社を畳んでからはその人との関係は濃いものになる。
私にしてみると
自分の子供のような
存在に思えた。
ものを観るのも
何かを食べるのも
何処かへ行くのも
私のいる風景には
その人は
いつもいた。
よく笑った
尽きることなく笑いあえた
励まされた
多弁な人ではなかったが、時折り言葉を熟成させてから吐き出した。
それが
私の心に
心地良く
突き刺さった。
たくさんの言葉をくれた
すべてが
糧となり
力となった。
《観たこともない景色を観せてあげる。》
そう言われたことが何年も前にあった。
《後ろには私が居るのだから安心して頑張れ》
とも言われた。
心強い後ろ盾を得た昂揚感を今も憶えている。
今考えてみると、このへんから私の何かが壊れたのかも知れない。
この人は
私にとって家族同然
否、家族以上
過去世からの不思議な繋がりの存在。
血縁はないけれど肉親のような
私は真剣にそう思っていた
それは
自負勝手な思い
自分本意の考え
自分が楽な時
周囲の人はどうだったのだろう。
勢いもあった
私の行動のために
自分勝手な私のために
その人
だけではなく、たくさんの人が嫌な思いをしたのだろう。
遠くを言えば
あの《夢ファクトリー》の頃
私は、道場に集まってくれたファン、マスコミの前で
大半の予想を覆し
団体の存続を叫んだ。
《髙田龍、四十六歳!もう少し我儘させて下さい‼️》
会場は歓声に包まれた。
私は
苦悩のドン底で
希望を見た。
その場の格好はまとめた。
しかし、電気を停められ、
学費も払えなかった子供達は?、その子供を必死になって守った妻はどうだったのだろうか?
私の家族は、私と同じ思いでいたのだろうか?
結局
私はプロレス界で再起することはなかった。
畑違いの事業でなんとか負債を片付け、二人の子供に飯を食わせ、我儘をさせることが出来た。
私は人のために生きることの大切さを知り
人のために生きることの尊さもわかっている〜つもりだった。
私は自分勝手な自分本意の
醜い人間だ!
そのことに気がついた。
遅い!
それでも気がついた。
生きる価値もないような自分だが
つい最近
《死んでればよかった》
とまで言われた
自分
生きるしかない
私に関わって不愉快な思い
それ以上の思いをして
私を憎み
怨み
軽蔑している人達に
心から
何も出来ないけど
心から
謝罪をしよう。
申し訳ありませんでした!
許してください!
私の何処かにまだ生存する価値のカケラがあると信じて、謝罪の心を忘れずに生きて行こう。
