そして何もなくなった。 | 高田龍の《夢の途中》

高田龍の《夢の途中》

気がついたら、72歳に成ってました。
今までずいぶんたくさんのことを書いて来ました。
あと何年生きられるのか判りませんが、書き続ける事が生存確認でも有りますし生存証明でもあります。
宜しくお願い致します。


この写真は私です。


場所は信濃町



なぜか父親の友人の家に預けられて


そこでの一枚です。


小学三年生になった頃かな


多分


《豆炭》をいじってる時です


きっと


若い人は《豆炭》なんて知りませんよね。


得意の横道ですが



豆炭

固形燃料のひとつ


豆炭(まめたん)は、石炭や低温コークス亜炭無煙炭木炭などのを混ぜ、結着剤とともに状に成形した固形燃料

今でも売ってますね

バーベキュー用の燃料とか

私の子供の頃は暖房用の燃料とか

生活に密着してました

懐かしいですね。


横道終了。


今このあたりはその殆どが《創価学会》の建物になってますね。

私は毎日、この家から都電に乗って港区の三光小学校に通学してました。

越境ですね

当時は珍しかったと思います

都電の乗り場へ行くのに毎日通っていた路の途中にトヨペットがいつも停まっていた家が有りました。

☆まだ《クラウン》という 車種はありませんでした

家と言っても個人の家というより大きな建物だったです。


大人になって知ったのは

この建物は当時の《創価学会本部》だったそうです。

その頃はそんなことちっとも知りませんでした。

なんか複雑な家庭環境で可哀想な少年時代を送っていたように思われがちですが、私自身は毎日電車に乗っての通学を楽しんでいたように思います。


今日はこの辺にしときます。

なんでこのタイトルかがわかるのは次回以降、お楽しみに。