令和版『WJ』7 | 高田龍の《夢の途中》

高田龍の《夢の途中》

気がついたら、72歳に成ってました。
今までずいぶんたくさんのことを書いて来ました。
あと何年生きられるのか判りませんが、書き続ける事が生存確認でも有りますし生存証明でもあります。
宜しくお願い致します。

内田会長と私は、ホテル内の郷土料理の店で永島氏と会い、名刺を交換したあと、酒を挟んで懇談となった。

話題は、これから永島氏が何をやりたいのか、今後のプロレス界の展望、アントニオ猪木との馴れ初め、確執から訣別。 

長州力のこと。

永島氏が独り話し続け、内田会長は終始にこやかに話を聞いていた。


この時に話されていたことは、実現すれば間違いなく大事件である。

プロレスの歴史の一頁を飾るだろう、そしてその大事件のキャスティング・ボードを握る一人に私は成れる。

にもかかわらず不思議に私の心の中に高揚感は無かった。

自らを『弱小中の弱小』と呼び、大半が無名の選手で構成された『レッスル夢ファクトリー』の設立時でさえ、私は、自身の内側から突き上げてくる熱い思いを、抑え切れずにいたものであるのに、そういったものが、何も湧いて来ないのだ。

もしかすると、私の心の奧の何かが、この計画の先行きを感じとっていたのかもしれない。

その夜、法人登記をいつにするかを、永島氏から伝えられ、私達はそこから逆算した日時を決め、その日に氏の口座に現金を振り込む事を約束した。


ともあれ後日、本人が云う様に私達の出現が永島氏の夢を、手元に引き寄せた事は、間違いない。


約束の日が来た。

昼前に、一度、永島氏から連絡が来る。

内容は、今日の振込み宜しくと云う挨拶程度のものだった。

二度目の連絡は、少し声がいらついていた。『未だ入ってないんだけど、どうなってるんだろう』活字にすれば何でもない振込みを確認する言葉なのだが、その時の話し方は、まるでこちらが借りた金を期日に為っても返さない為に、催促されているような口ぶりで、正直腹が立った。


それでも約束は約束なので、私は状況を掌握して連絡すると告げ、電話を切った。

事情はこうだ、当時、内田会長の経営する管理会社はパブ、クラブに始まり焼肉屋まで、40店舗を超える店の経理、総務を一手に管轄していた。

永島氏にしてみれば、幾ら金を出せるのかしか興味はないのだろうが、㈱内田と云う会社は永島氏が、想像しているよりも遥かに多忙を極めていて取引業者への支払日と支払が担当者が処理を後回しにした為だった。

3時少し前に、処理は終わり、永島氏の口座に2000万円の現金は無事、振り込まれた。

しかし、それまでの間に永島氏からは何度、電話が入ったろうか、最後の電話で永島氏は面白い事を言っていた。

完全にキレていた?と云うよりは、慌てて居た。

これを読んで下さっている方の中には、会社経営や経理、設立登記などに、知識の高い方もいらっしゃると思うが、税理士や司法書士に、会社設立登記を依頼したとして、登記手続き日時を決めて、何かの都合でそれを、遅延したとしても、段取りの悪さに恥をかき、司法書士や税理士の先生方に迷惑がられる事はあるだろう。 

だからと言って取り返しの着かないような事にはならないだろう。いや、絶対に為らない。

ましてや、担保、保証人はもとより、借用書すら永島氏は書いていないのだ。 


文句を言える立場ではないだろう。


いったい、世の中に、担保も保証人も無く借用書すら巻かずに、2000万円もの金を人に貸す人間はあまり居ないと思う。

もっとも、借用書だけは、かなり経ってからいやそうに書いて頂いた。 


永島勝司という人格は、非常に興味深い。

氏の個人攻撃をするつもりは無いのだが、氏の人間性を語らずにはWJは語れない。 

私は、嘘をついていない。

尾鰭も付けていない。

立場上、否定せざるを得ないだろうが、私が此処までに、日時以外の間違いはあっても嘘を言っていないのは、永島氏本人が一番知っている筈だ。


ともかくWJは、産声をあげるべく、胎動を開始したのである。