昭和世代が紡いだ平成プロレス〜止められなかった事 結 | 高田龍の《夢の途中》

高田龍の《夢の途中》

気がついたら、72歳に成ってました。
今までずいぶんたくさんのことを書いて来ました。
あと何年生きられるのか判りませんが、書き続ける事が生存確認でも有りますし生存証明でもあります。
宜しくお願い致します。

    今回は話が外れてしまうが、御容赦下さい。
数日前のこと、突然の訃報が。

斉藤昌典氏が亡くなったという。

プロレス好きなら、言わずと知れた《獄門鬼》マサ斎藤のことである。

ネット社会の発展と進化は、遠く離れた場所で起きた出来事も瞬時にと言えるほどのスピードで世界に拡げる。

プロレスの本場とも言える、アメリカで認められた日本人は少ない。

アメリカ大陸を主戦場とした日本人レスラーは、たしかに居る。

あの力道山もアメリカ人に認められた一人だったと思う。

アメリカマットを主戦場をして来た日本人レスラーも数多くいる。

しかし、本当に市民権を得たレスラーは、多くはない。

そして、マサ斎藤は、その数少ない一人ではある。

その彼の突然の訃報。

今、平成が終わろうとしている。

最近は、昭和世代に活躍した人達の訃報が相次いでいる。

死そのものを、悲しい出来事と捉えるか、自然の理と捉えるかで変わるのだが、どちらにしろ、知己のある人の死は、理屈では超えられない、哀しみの心を起こさせる。

私とマサ斎藤氏には、各々の人生の中で、まったく接点はなかった。

あったとすれば、彼の記事が載っている、《週プロ》《週ゴン》の中だけだった。

《筋肉ダルマ》というニックネームが本当に似合っていた。

四十代になった頃、それまでどちらかといえば、活字プロレスファンだった私の人生に変化が訪れた。

ここをご覧の皆様が周知の通り、自分でもまったく予期していなかったプロレス団体のフロントになった事である。

それでも、私と斎藤氏に何か接点が出来たわけではない。

同じ業界に身を置いているという実感すら私にはなかった。

《レッスル夢ファクトリー》をたちあげてからも、その意識は変わらなかった。

私とは縁のない人。

率直な実感である。

そして、夢ファクの崩壊。

縁の有る無しすら考えたこともなかった。

私がプロレス界を去って三年。

まったくの異業種で再起した私は、プロレス界の流れすら判らなくなっていた。

マサ斎藤というレスラーのことも思考の中にはなかったと言える。

ある日、長州力が新日本を出たことをテレビで知った。

A猪木に対しての痛烈な批判。

その画面を、ぼーっと観ていた私は、この数ヶ月後に毎日彼と一緒にいるようになることなど、露ほども思ってはいなかった。

そのくらいだった私にはマサ斎藤氏と自分の間の接点など考えるどころか、意識することもなかったのである。

人生は不思議なものだと、つくづく思う。

長州力との出会いも、まったく予期せぬことだったが、WJの発足にあたり借りたオフィスで私は、マサ斎藤氏と会うことになった。

広いオフィスの中央部分、まだ誰の席とも決まっていない事務机に老夫婦が座っていた。

私は、誰だろうとは思ったが、誰かの身内なのだろうくらいに思って、軽く会釈をすしただけで、すでに決まっていた自分の席に座った。

何度か視線が合ったりもしたが、その人物が誰なのか私には判らなかった。

《続く》