昭和世代が紡いだ平成プロレス〜続止められなかった事 | 高田龍の《夢の途中》

高田龍の《夢の途中》

気がついたら、72歳に成ってました。
今までずいぶんたくさんのことを書いて来ました。
あと何年生きられるのか判りませんが、書き続ける事が生存確認でも有りますし生存証明でもあります。
宜しくお願い致します。

その画面を、私は最後まで観続けることが出来なかったというのが、本当のところだった。

時間が経ってみると、その醜悪な映像に対する怒りや憤りよりも、何故なんだ!という思いが、私の胸いっぱいに拡がっていた。

《レッスル夢ファクトリー》の旗揚げに対し、さまざまな計画を立てた。

レスラーとすれば、決して評価の高い選手など居ない。

知名度も同じだった。

茂木、『神風』と言ったところで、新日本参戦で多少、知名度は上がっていたが、誰もが知っているとは、とても言えない。二人にしてその程度なのだから、それ以下の選手達は推して知るべしだった。

最も頭を痛めたのは体躯や身体能力よりも、プロとしてのスキルだった。

佇まい、とでも言おうか彼らには、らしさがなかったのである。

《らしさ》という、得体の知れないものが、一流とそうでないものとの境界に厳然と存在することを理解して欲しいが、中々難しいらしい。

悪夢軍団の首領の立場にいた選手には、この《らしさ》がなかった。

だから、テレビ番組に自分が取り上げられるということで全てが許されてしまったのだろう。

願わくば、そんな時こそ悪夢軍団の首領よろしく、毅然とした態度でいて欲しかったな、とは思う。

ここから先は、どうでもいいと思う方は読んでも詰まらないかもしれないが、興味のある方は続けて読んで頂くようにお願いする。

《レッスル夢ファクトリー》を旗揚げするに当たって、私なりに色々と仕掛けは考えた。

ファンの方なら、当時我々がメディアになんと呼ばれていたかを思い出して頂こう。

週刊F誌曰〈・・・・どちらにせよ団体と呼べるようなものではない〉【要旨】
別のプロレス関連の雑誌には、《弱小中の弱小》とも書かれた。

旗揚げするに当たっての業界やファンに対する責任が有るのは当然である。

しかしながら、存在することさえ許さない、とでも言いたげな記事だったと、当時は憤慨したものだ。

そんな私達が、プロレスファンの前に姿を現わすのだ。
そして前評判は最悪。

私は、この状況を覆す為に、何をすべきかに、心を砕いた。

それが一番良かったのかどうかは今になっても解らない。

ただ、その時の私には、それしか思いつかなかった、ということだったのだ。


《続く》