昭和世代が紡いだ平成プロレス〜止められなかった事 | 高田龍の《夢の途中》

高田龍の《夢の途中》

気がついたら、72歳に成ってました。
今までずいぶんたくさんのことを書いて来ました。
あと何年生きられるのか判りませんが、書き続ける事が生存確認でも有りますし生存証明でもあります。
宜しくお願い致します。

《夢ファク》について思い出すままに書き始めてから、しばらく経つ。

どうも記憶が曖昧なためなのか、最近は書く内容が浮かばない事が多い。

話は変わるが、あのオウム真理教の麻原以下の中心幹部の死刑が執行された。

振り返れば、日本中を震撼させた地下鉄サリン事件は、1995年3月20日の事だった。

《レッスル夢ファクトリー》がプロレスファンに認知され始めた頃だ。

彼等の邪悪な企みの全貌が明らかになった時期と重なっていることが不愉快というか、気分が悪くはなった。

信仰、宗教。

それぞれが、その正統性を主張する。

当然のことだろう。

例えその教義に則ったとしても、生命軽視の神仏などあろうはずもない。

否、殺戮や生命軽視が教義の中に盛り込まれているのなら、どんな理由を言おうと、もはや宗教の体をなさない。

生きる権利はすべての人に与えられたものである。

そして、自他共に生命に危害を加えたり、殺戮する権利を私達は持っていない。


権利を持っていないことを、実行することは、とてつもない悪事ということなのだろう。

そして、権利を放棄することも結局は悪事になるのかもしれない。

 《レッスル夢ファクトリー》の代表者だった頃に、私はその権利を放棄してしまった事があった。

残念ながら、それは一度ではない。

最初の責任放棄というか、権利の放棄は、たしか最初の頃に書いている筈だが、悪夢軍団の首領という立場だった選手のキャラクターを勝手に変えられてしまった事に対して、それを黙認してしまった事。

テレビ番組の企画だった。

選手のイメージチェンジをして人気を出そう的な内容だった。

収録の日、私が道場に着いた頃にはスタッフと選手で、打合せが終わっていた。

あの番組がどの局のものだったのか、憶えていないが、オンエアされたものを観た私の印象は、醜悪以外のなにものでもなかった。

《以下次回》