昭和世代が紡いだ平成プロレス〜草魂 2 | 高田龍の《夢の途中》

高田龍の《夢の途中》

気がついたら、72歳に成ってました。
今までずいぶんたくさんのことを書いて来ました。
あと何年生きられるのか判りませんが、書き続ける事が生存確認でも有りますし生存証明でもあります。
宜しくお願い致します。




この『草魂』と名付けられた小冊子の中に、福田雅一の直筆を見ることが出来る。

『草魂』とは、《レッスル夢ファクトリー》私設応援団を名乗る有志によって、興行開催場所で観客に配られていた小冊子である。



この中で、彼は語っている。

『草魂』側の質問〜福田選手ならば、どこの団体でも入団をする事は可能であったはず、それを何故、夢ファクトリーにしたのか。

この質問に、彼はこう答えている。

僕は、リングスで一度挫折しています。
その後いくつかの団体に話を聞きましたが、代表から話して頂いた夢ファクトリーのコンセプトを聞いて『ここしかない』と思い入門を決意しました。


そして、最後にこう記してある。

是非もう一度、パンフレットのコンセプトを読み直して下さい。


福田雅一らしい、心配りだと思った。

久しぶりに読んでみて、気がついたことがある。

彼は、夢ファクトリーに入ったことを〈入門〉と書いている。

〈入団〉ではなく、〈入門〉と。

それは、彼の覚悟であり、プロレスに対してのリスペクトだったのではないだろうか。

私の作ったコンセプトから夢ファクトリー入りを決断し、プロレスで飯を食うという目標に向かって前進を開始した福田雅一。

アンケートに綴られた彼の字からは、挫折から立ち上がった若者の歓喜の思いが伝わってくる。

結局、私は彼の夢を再生してあげることは出来なかった。

彼がもし、最初に私を訪ねたあの日を最後に、再び会うことをせずに、新日本や全日本の門を叩いていれば・・・。

それは、言っても仕方ないことなのだ。

私も彼も、出会うことが定められていたのだろう。

食わせてやれなかった、という思いは、今この時も私の胸にはある。

だからと言って、彼が向こうへ逝ってしまって久しい今、すべては未練にしかならない。

向こう側に逝くのも、そう遠くないかも知れない私である、ずる賢い人間を交えず、道場での思い出話に花を咲かせたいと思うばかりである。