昭和世代が紡いだ平成プロレス〜草魂 | 高田龍の《夢の途中》

高田龍の《夢の途中》

気がついたら、72歳に成ってました。
今までずいぶんたくさんのことを書いて来ました。
あと何年生きられるのか判りませんが、書き続ける事が生存確認でも有りますし生存証明でもあります。
宜しくお願い致します。

前回の投稿は何やら意味不明なところがあって、自分でも魚の骨が喉の奥に引っかかっているような感覚だった。

読まれた方々も、そうではないだろうか。

私が言いたかった事とは、最低限の誇りが自分にも有るのだということなのであり、他者を批評するとか、非難するつもりは毛頭ない。


この小冊子のタイトルそのものなのだ。

『草魂』そうこん=くさだましい
これを創る人達は、《そうこん》と読んでいた。

私は、夢ファクトリーのロゴの中に《Soul of grass》という言葉を添えた。

それを見て『草魂』と命名したのか、たまたま偶然そうなったのかは、知らない。
聞いたかもしれないが、忘れてしまっている。

プロレス業界で、私は成功した訳ではない。

むしろ、失敗ばかりしていた、敗残兵だ。

今、私があの頃を振り返って言える事があるとすれば、数多くの失敗をし、家族に塗炭の苦しみを与えて尚、己が道を貫いたこと。

誰にも褒められたこともない、褒められる筈もない生き方ではあったけれど、『命を掛けました』とは言えること。

世の中、それぞれの路で一生懸命働いて、結果を残す人は多い。

その意味から言えば、私のプロレス人生もその後の人生も、人に誇れるようなものではない。

ただ、今日迄の人生で、束の間のあの時、私はたしかに命を掛けた時間を生きていた。

だから、そう簡単に同じ匂いがするとか、同じ気持ちですと言われても、相槌を打つ気には成れないのだ。

了見が狭いと、お叱りを受けるかもしれないが、それくらいの拘りは、お許し願いたい。

コメントを頂いた方達の活動が如何だとか、私の方が上だったなどと言う考えは微塵もない。

むしろ、私などより見事に運営されているだろう事は、想像に難くない。

コメントをくれた方達、読んでくれている皆さんには、ご理解をお願いするばかりだ。

〜涙の河を越えてゆけ、命の限りを尽くし夢を追いながら〜

この歌詞の意味を理解する人には、きっと判ってくれるはずと思い、今回を了らせて頂くことにする。