昭和世代が紡いだ平成プロレス〜箸休め | 高田龍の《夢の途中》

高田龍の《夢の途中》

気がついたら、72歳に成ってました。
今までずいぶんたくさんのことを書いて来ました。
あと何年生きられるのか判りませんが、書き続ける事が生存確認でも有りますし生存証明でもあります。
宜しくお願い致します。

福田雅一の話をまだ続けてみたいと思っているが、今回は少し寄り道をしてみようと思う。

まぁ、少し古い言いまわしにはなると思うが、《箸休め》とでも思っていただければ。

少し前に、このブログに読者の方からコメントを頂いた。

コメントとして公開してあるので、読んでいただければと思います。


夢ファクトリーが、旗揚げしたときに、こんなファン倶楽部を
新設したのだが、盛況とは言えなかった。

それでも、何十人かの方々に会員登録はして貰った。

そんな人達に、私はどれだけ助けられた事だろうか。

その人達は興行を観戦することから始まって、少しづつ立ち位置を私達に近づけてきた。

それは、けして悪いことではない。

コアなファンを掴むということは団体としても、選手個人としても必要であり不可欠なものなのだ。

ファンに媚びるのはどうかと思うが、ファンとの交流は欠かせない事も、また事実なのである。

余談になるが、かつて私がWJの常務をしていた頃、こんな事があった。

ある地方会場。

その日、長州力はセミファイナルかその前くらいに試合を終えていて、珍しく会場の玄関前で私と二人、夜風に当たりながら雑談をしていた。

その時、目ざといファンの何人かが彼の姿に気がつき、駆け寄ってきた。

サインでもねだるのかと、成り行きを見守っていた私だったが、長州力は開口一番、まるで蠅でも追い払うような仕草をしながら、『試合みてろッ!』と一喝したのだ。

ファンに対してあんな事が出来るのは、彼だけだろうと思う。

これまでも、そしてこれからも。

当然だが夢ファクトリーも、そんな態度が出来る団体では無かった。

なんと言っても、《レッスル夢ファクトリー》は、弱小中の弱小だったのだから・・・。



そういう、ファンの方々の中から、プロレス業界に身を投じた人もいるとは思う。
実現はしないまでも、そうしたいと思っていた人となると、予想を超える数になるはずである。

本題に戻ろう。

さらに、夢ファクトリーが存在した頃と比べてプロレス界事情も変わっている。

団体とファンとの垣根の高さも変わっているのだろう。

今、私はプロレス界とは無縁の存在となって久しい。

そして、齢65歳。

7月になれば、66歳を迎える高齢者なのだ。

仕事といえば、近隣地域のご家庭に回覧板を回すことくらいしかない。

墓場に行く前にどれだけの時間が私に残っているのかは知る由もないが、もしも間に合うのなら、私には実現しようと思っていることがある。

それが、今の私の夢だ。

皆さんにご披露するようなものではないが。

頂いたコメントからは、かつて夢ファクトリーファンだった方が、今はプロレスを主催する立場にある事が判る。

そして、有望な選手がいるので私に見て欲しいと書いてある。

これが私には、解らない。

私が、その選手を見に行く事が、その選手に何のメリットをもたらすのだろう。

私に、何の意味があるのだろう。

何度も言う事になるが、私はプロレス界とは無縁な人間になっている。

その選手を評価する立場にない。

仮に、私などに評価されたところで、その選手のステイタスが上がる事などない。

これは、断言出来る。

かつて、夢ファクトリーに所属していて現在も現役でいる選手にアドバイスもされ、評価もされたとコメントには書いてあった。
それより、元WARの選手だった方にも教えて貰ったようだ。

それで充分ではないだろうか。

私は、WJの常務を辞めたあと、一度だけ長野県の体育館に長州力に会いに行ったことがある。
その時も、試合は観ていない。

15年も昔の話である。

その後は、頼まれてチケットを買った事は何度かあったが、どれも観戦した事はない。

茂木や『怨霊』や『死神』の試合も観戦した事は無い。

一度は観たい『阿蘇山』の試合さえ観たことはない。

私は深夜に放送されている新日本プロレスの放映も観ない。

私は、プロレスファンではないのだ。

過去にプロレス業界で仕事をしていた、そして巨額の負債を抱え、家族に塗炭の苦しみを与えた敗残の将なのだ。

コメントには、開催日と会場が記されていたが、この場所を私は知らない。

何より、その日は地域の公園の清掃を町内の方、原則全員参加で行う自治会の行事と重なっている。

私は、班長なので欠席は許されない。

クドクドと書いてしまったが、当日のご成功を祈っています。