昭和世代が紡いだ平成プロレス〜福田雅一熊谷見参2 | 高田龍の《夢の途中》

高田龍の《夢の途中》

気がついたら、72歳に成ってました。
今までずいぶんたくさんのことを書いて来ました。
あと何年生きられるのか判りませんが、書き続ける事が生存確認でも有りますし生存証明でもあります。
宜しくお願い致します。

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   その日はやって来た。

春の匂いが満ちていた。

花粉症さえなければ、春を満喫する事を楽しめたのだろうが、私はそういうわけにはいかなかった。

今もそいなのだが、この時期は辛い。

夏になる頃まで続く。

桜も散り終わり、季節は夏へ向かっていた。

昼前後だったか、道場の片隅に設えた小さな事務所のドアが開いて『神風』が当然のことながら、素顔で、くぐるように入って来た。

その後ろに『神風』よりも更に身長の高い若者が立っていた。

福田雅一だった。

後になって、《188》という数字が彼のキャッチフレーズになったようだが、それは彼の身長からきたものだ。

ジーンズにスニーカー。

ポロシャツ。

私の前のソファに腰を下ろした彼は、真面目な青年という印象だった。


2007年頃のブログで、私は彼との出会いを書いている。

私の福田雅一に対する第一印象はと云うと、一言で云えば『本物』である。
道場の片隅の狭い部屋で私は彼と向き合った。
一通り履歴を聞いた私は『何故、此処を選んだの…』と、福田に尋ねた。彼はしっかりとした口調で答えた。



彼は良識と教養に富んだ、常識ある青年だった。

出身大学で法学を学んでいた通り、理論的で分析的な人生設計を持っていた。

しかし、彼の話を聞いた私は、彼の入団を認めなかった。

当時、その事を知った茂木正淑は『代表!何で入れないんですか?代表、お願いしますよ!信じられないっスよ。』

あからさまに言って来たのは、茂木だけだったが、他の誰もが同じ思いだったと思う。

私の心には、後悔はなかった。