例によって時系列が覚束ない。
福田雅一は、いつ熊谷にやって来たのだろう。
何年何月、日にちまで明確ならば文章に重みもあるし、説得力も増す。
なによりもある、風格が生まれるだろう。
その点、私の書くものはいつも、間が抜けている
私が読む側の人間だとしたら、こんな文章は読まない。
断言出来る。
しかしながら、失念してしまったものは致し方ない。
これからも、このトホホなスタイルで行くしかない!キッパシ❗️
まぁ、威張ることでもないですね。
季節は春5月、暑い熊谷の夏が近づいている頃だった。
私は、2007年7月28日にライブドアブログで『夢の痕』というタイトルから数回にわたり、福田雅一が、入団した頃のことを書いている。
福田雅一が夢ファクトリィの門を叩いたのは、1995年の5月頃だったと想う。
故人には失礼だが私にはハッキリした記憶が無い。
ただ覚えているのは、福田を追い返した事である、彼のキャリアはメジャー団体でも通用する輝かしいもの、むしろあの頃の夢ファクに来る事自体が、あり得ない話なのだと想う。
しかし、彼は来た。
そして私は、彼の入団を断った。
この回の投稿をした時間帯が、午前2時43分となっているのが興味深い、のは私だけか。
プロレス界から離れて、数軒の店を経営していた頃だから、閉店時間後家に戻って書いたのだろう。
私はこの時も、曖昧な自分の記憶について書いている。
情け無い話だ。
旗揚げの年、小さな団体とはいえ、やはり私は多忙を極めていた。
たしか、旗揚げ二連戦も終わり四月の半ばだったかと思う。
『神風』が、道場の中でサラッと話してくれた事があった。
『高校の後輩が入りたいって言ってます。』
彼は、それが彼の持ち味なのだが、感情をあまり表に出さないタイプだった。
《明日は、天気が悪そうです。》
そんな感じで話す彼の言葉を疑ってはいなかったが、現実味を感じなかったというのが、本当のところだった。
聞けば、高校時代はインターハイや国体で優勝したりもし、大学でも活躍して日本大学では主将を務めていたという。
身長は『神風』よりも高いという。
彼も180㎝をはるかに超えている。
私よりも身長の低い選手がゴロゴロしている夢ファクトリーには大型の選手は喉から手が出るほど欲しいのは当然だったが、反面、そんな選手がウチに来ることに現実味が感じられなかった。
『神風』は、年が改まったばかりの頃にも入団希望の後輩の話を私にしていたが、いつのまにか話題に上ることも なくなり、旗揚げ前の忙しさも手伝って、すっかりわすれていた。