昭和世代が紡いだ平成プロレス〜福田雅一熊谷参上3 | 高田龍の《夢の途中》

高田龍の《夢の途中》

気がついたら、72歳に成ってました。
今までずいぶんたくさんのことを書いて来ました。
あと何年生きられるのか判りませんが、書き続ける事が生存確認でも有りますし生存証明でもあります。
宜しくお願い致します。

今回から文字を少し大きくしてみました。

私の書くものは長文が多いのでこの文字の大きさにしたのですが、読んでくださる皆さんの評価は如何でしょう?

出来れば感想、賛否をお知らせください。

コメントでも、イイねでも構いません。

評価が悪ければ、元のサイズに戻します。

話も本題に戻します。


福田雅一が入団希望をしてくれた事は、弱小団体の夢ファクトリーとしては、嬉しい限りのことだった事は言うまでもない。

それを、あろう事か私は断ってしまった。

自分のやっている仕事=プロレス団体の運営=に誇りを持っていなかった訳ではない。

夢の頂を目指すという目標が曖昧だった訳でもなかった。

では、何故⁉︎

という事になる。

夢も誇りも私にはあった。

しかしながら、希望があるとは、言えなかった。

ここで希望という言葉の定義を論じようとは思わないが、私には、希望という言葉に、私なりの思いがあった。

余所見をしないで自分の成功だけに邁進するその先に希望は見えてくるとは思う。

その遥か遠くに小さく輝く希望の光に、更に思いを強くして前進する。

そして、目指す目標に到達することが出来る。

でも、たった一人で目標を目指す事ばかりではない。

多くの場合、仲間という協力者がいる。

守るべき人間がいる。

そして、それぞれが夢を叶える権利がある。

それを思うと私には、自分の都合だけで前に進むことに、少なからず躊躇いがあるのだ。

年長者は、かつて自分が親を始め、周囲の年長者にしてもらった様に、若者を育成する責務があるはず。

けして、若者のエネルギーを利用してはいけない。

綺麗事と嗤われても、私はこの考えを棄てることは出来なかった。

かつて、私は福田雅一の入団を認めなかった理由について書いている。
2007年の春だった。

福田雅一は姿勢を正し、若者らしく自らの思いを語り始めた。

『はい、自分はプロレスで飯を食うと決めていますが、怪我とは云え一度挫折をしましたから、次は失敗したくありません。社会は人間関係も難しい、団体もそうだと思います。ここには先輩も居ますし少しでもやり易いかなと…それで此処でお世話になろうかと…』

私には、福田雅一の放っていた光彩が、一瞬にして消えてしまったように思えた。

私の前の若武者は、今は狡猾な老人になっていた。

私は福田雅一に告げた。

私の目の前で輝いていた若者が突然、狡猾な老人に変わっていた。
私は正直失望した。
『福田クン、人生はそれ自体が苦難の連続だと俺は思う、普通に生きるだけでも大変なのに、プロのレスラーとして生きていこうとなると、何倍も辛いことが待っていると思う、確かに少しでも効率のいい生き方を選択する事は賢明な生き方なのかもしれない、でも俺は、これから自分の夢に向かって船出しようとする青年の心構えとしては甚だ情け無い様な気がするよ。若者らしく、人生に体当たりして欲しいし、そんな小技を最初から使うのはどうかと思うし、夢なんか掴めないと思うよ。よく考えなさい。』

その日が福田雅一と会った初めての日だった。

いくら一回り以上の歳が離れた相手とは言っても、彼も大学の門をくぐって、今は立派な社会人、少し非礼だったかもしれない。

しばらくして、福田雅一は来た時と同じように、礼儀正しく挨拶をして道場を後にした。

これで終わった。

これで良かったのだ。

彼は、メジャー団体でやれる実力を持っている。

同じ天井を見上げるなら、高い方がいい。

同じ苦労をするなら、報われる方がいい。

彼を受け入れなかったのは、私の心の中の親心だったのかもしれない。

私は、心の中でそう自分に言い聞かせた。