出場する事に同意することをMさんに伝えるために電話を入れた私は、それとともに幾つかの条件を提示した。
さらに、これには何らの譲歩も出来ないとの言葉を添えた。
SPWFの代表が近くにいたのかどうかは判らなかったが、Mさんは即答で了承した。
夜になって私は各マスコミにFAXを送った。
私共は、明年早々に旗揚げを予定しているレッスル夢ファクトリーと申します・・・このような書き出しで始まるFAXの内容は、元SPWF所属の、茂木正淑、『神風』の両名は、いろいろと拗れた状況の中で、円満に退団する方法を模索してはみたが、良き案も見出せぬまま、千葉公園体育館大会を最後に別々の道を歩んで行くこととなった。
今日になってSPWF側が支援者の方を介して連絡をして来た。
内容は、横浜文化体育館で行われる予定のSPWFの興行に茂木、『神風』の出場要請である。
茂木達は、出場を拒否したが、彼等も大変世話になっている支援者の方からの話ということもあり、協議の結果、参戦することにした。
したがって、レッスル夢ファクトリー所属の選手として二人は横浜文化体育館大会へ参戦することになった。
概ね、このような内容だったと記憶している。
翌日のスポーツ新聞各紙、その週の専門誌に私の送信したFAXをもとにした記事が掲載された。
それは、《レッスル夢ファクトリー》という団体名が初めて活字となった瞬間だった。
それからの私の数日間は多忙を極めた。
団体名は決まったものの、ロゴマークはまだ完成していない。
それに、団体としてのコスチュームやオフィシャルのジャージすら出来ていないのだ。
真夜中に完成したロゴマークには苦労した。
それも今では懐かしい思い出になっている。
出場する二人には背中に大きく、ロゴマークのプリントされたTシャツを、なんとか間に合わせた。
いよいよ、レッスル夢ファクトリーの選手が、出撃する。
春三月を目指した旗揚げからは、少し前倒しになってしまったが、三月迄話題を作り引っ張り続けることを考えると、私は結局SPWFに助けられた。
SPWFの分裂騒動は私達にとってもあまり良い出来事とは言えなかったが、それも最後には私達にとってプラスの効果に働いた。
古の仏教に説かれる『変毒為薬』〜毒を変じて薬と為す。〜という言葉があるが、私達はまさしく、分裂、戦力外という状況をバネとして自らの進むべき道を加速度を上げた進み始めたのである。
そして、SPWF横浜文化体育館大会の日はやって来た。