昭和世代が紡いだ平成プロレス〜夢の欠片 4 | 高田龍の《夢の途中》

高田龍の《夢の途中》

気がついたら、72歳に成ってました。
今までずいぶんたくさんのことを書いて来ました。
あと何年生きられるのか判りませんが、書き続ける事が生存確認でも有りますし生存証明でもあります。
宜しくお願い致します。

  結局、私がKさんと別れたのは、日付の変わった後で、自宅へ戻る為にクルマを跳ばす夜道の東側は、白んでいた。

この夜明けは、私にとって特別な朝がやって来る前兆のように感じられた。

山が動いた。

Kさんとの話で、新団体設立の決意が私の中で固まった。

そんなに簡単に決めるべきではないという意見もあるとは思う。

しかし、これもまた、私の《瞬間的熟慮》だった。

家の前に着いた時、空は秋晴れの雲ひとつない青空だった。

Kさんの好意に甘えると決めた私は早速、いくつかの頼み事をした。

リングは自前の物を所有する。

道場を持つ。

場所は、東京都内が希望だったが、Kさんの事業の営業テリトリーが、栃木、群馬、埼玉だった為にその範囲内にすることにした。

最寄りにJRの駅があり、新幹線が停まる事を条件にした。

その理由は、都内を断念して関東地域に場所を求めるなら、どうしても不便さはある、仕事の性質上とくに営業面で都心への往き来も多くなる。

私は、SPWFのリングの製作を依頼した鉄工業者に同じ様な物を作ってくれるように連絡を入れ、相手は早速製作に取り掛かってくれた。

道場用の建物は、希望する条件に合う物件はそう簡単には見つからないだろうという私の予想に反してあっという間に熊谷市内にみつかった。

団体名を決めなくてはいけない。

それに選手の問題もある。

団体を設立するとなると、越えなくてはならないハードルの数は多かった。

私には、プロレス団体を運営する経験値など無いに等しいのだ。

道場に決めた建物の改修工事が始まった。
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団体名を何にするか、私は悩んでいた。

さらに、どのような団体を目指すのか。


もう私は走り出したのだ。
引き返すことも、立ち止まることも出来ない。


追うのは、夢の実現だけだった。



〜こちらの更新はかなり滞っていますが、9月後半には、更新を再開しますので、ぜひ読んでみて下さい。〜小説  佳作座の消えた街

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