昭和世代が紡いだ平成プロレス〜夢の欠片 3 | 高田龍の《夢の途中》

高田龍の《夢の途中》

気がついたら、72歳に成ってました。
今までずいぶんたくさんのことを書いて来ました。
あと何年生きられるのか判りませんが、書き続ける事が生存確認でも有りますし生存証明でもあります。
宜しくお願い致します。

  『そりゃあ、無いと言ったら嘘になります。』

自分自身が、想像もしていなかった言葉が口をついて出た。

『それなら、続けたら好いじゃありませんか。』

私に、どんなやり残したことが有るというのだろう。
そんな物はなかったと言っていい。

一二ヶ月後には、Mさんの協力を得て、新たな仕事の出発が始まる。

私は、家族の為に頑張るときめている。

それなのに、私はKさんの質問に、やり残したことがあると、答えてしまった。

そして、吐いた言葉の裏付けを心の中で捜し始めた。

愚かな男だ。

過去に例のないシステムで誕生したSPWFには、業界から冷やかな目が向けられた。

《訳のわからない団体》

《社会人プロレス?何だそれ?》

《プロレスを馬鹿にしている》

これらの言葉は、旗揚げ時に耳にタコができるほど聴かされた。

しかし、そのプロレス界の異端児は、旗揚げ一年を待たずに、業界トップの新日本プロレスに選手をシリーズ参戦させていた。

《多団体時代》という言葉が、誌面に踊るようになってきた世紀末のプロレス界に、足跡は残すことが出来ているのだ。

取巻く環境は悪くはない。

そのSPWFは内部に不協和音が生じている。

チャンスを自らの手で潰してしまうかもしれない。


勿体ない話だった。

悔やまれる話だった。

『私には、プロレスラーの経験もありません。業界の中で積み上げたキャリアも有りません。ですが、たとえ僅かの時間でもプロレスに関わった者として、始めた時はそれほどの思いは無かったとしても、SPWFの一員として活動を続けていれば、人間として心に変化があっても不思議ではないと思うし、変化する方が自然なんじゃありませんか。』

私はKさんに自分の気持ちを語った。

Kさんは、何度も深く頷いていた。

『それなら、自分のやり残したことをやったらいいじゃないですか。』

それほどの強い思いが私にあった訳ではない。
確かに気持ちの変化はあったが、それはやり尽くしたことがあるなぁ、ああすれば良かった、こうすれば良かった程度のものに過ぎない。

Kさんとの時間を、そろそろ切り上げようと思った。

『やると言っても、選手を育てたり、営業社員を雇ったり、それにリングや道場、他にも準備にかかる費用は、切り詰めたとしてもかなりの金額に成ります。私が自分でどうにか出来るものではないんです。』

これで話は終わったと私は思った。

ところが、アッサリとKさんは言葉を返してきた。

『私、出しますよ。』

『・・・????』

一瞬、Kさんが言っている言葉の意味が解らなかった。

『今、言いましたように、プロレスをヤルってことは、お金のかかることなんです。私にはスポンサーもいませんから、これは成り立たないことなんです。』

『全部、私が出しましょう。』

大変なことに成った。

辞職の報告と挨拶の為にKさんと会った私に、次の進路への新たな選択肢がひとつ加わった。




〜こちらの更新はかなり滞っていますが、9月後半には、更新を再開しますので、ぜひ読んでみて下さい。〜小説  佳作座の消えた街

http://ameblo.jp/yumeututu716